[1-18] 少女の騎士

「貴方がやったんですか?」と宗谷はリュウに問いかけた。

「何をだ」とリュウは槍を手元で回す。

「村の人を殺した。さっきの女の子に首輪をした」

「ふむ」


 リュウはその答えに迷った。

 事実は違う。あれは平山グンシャンの族長による独断であり、首輪についても同様だ。少なくとも村への襲撃は自分の命令だったが、無用な虐殺については戒めていた。それに首輪はグンシャンの族長が盗んだものだ。ゆえに、この問いに対しては否定するべきだろう。

 しかし、この少年は怒っている。

 剣柄にかけたその手は、力を抑えきれずに震え、不正を問いただすその声は沈んでいる。まことに気持ちの良い少年だ。このけがれなき怒りから放たれる剣に興味が惹かれている。それもまた事実だ。


「だったら、どうする?」


 思わず口をついた言葉は、嘘になった。

 リュウは自分でも驚いた。

 おのれは嘘とはほど遠いところに立つ者である、そう自負していたつもりだ。そうであったのに、まるで偽りを生業にする行商のように、この少年の顔色をうかがってしまっている。


「……失望しました」


 少年の瞳が落ちて手の震えが、ピタリと止まった。


 くる!


 その直感は寸部も違わず。少年の斬り落としを一歩引きながら歩先で受ける。

 ギィン、と金鳴りは鼓膜を震わすだけではない。じん、と槍の持ち手を心地よく痺れさせた。


 ——重さ、良し。


 少年の剣先がわずかに浮き、同時に己の槍を下げる。

 少年は左に、自分は右へ。

 互いに円を舞い回りながら、三合ほど刃を交わす。


 ——速さ、良し。


 少年の四合目は下段からの突き上げ。

 それを槍の石突いしづき《穂先とは逆側の先端》で払いのけ、そのまま石突を少年に突き込む。

 少年は剣を引き寄せ、つばでそれを受け止めた。

 互いに先を奪い合う、競り合いの状況。


 ——呼吸、浅し!


 ハァッ! と、息を吐いて槍を回す。

 少年の剣を下に払い落とし、頭上から穂先を振り下ろす。

 少年は体の軸をずらしてそれを避けた。

 愚かな。

 先の取り合いで、自らの軸を相手に譲るなど。


 すかさず、体を前に入れ、少年の足を踏みつける。

 それをそのまま踏み込みに変えて。槍を離した腕で少年に肘打ちをたたき込んだ。


「かっ、あぁ」


 少年の呻き声に唾液がまじる。

 胸骨を突かれた少年が前のめりになる。それを蹴り飛ばして、後ろの壁にたたきつけた。


「……まだまだ、未熟だな」


 うずくまる少年を見下ろしながら、そう言葉を投げかけてみた。

 この言葉には嘘はない。たしかに、この少年は未熟だ。

 つまり、まだまだ伸びしろがある、ということだ。この若さで、これほどにこの少年はやる。実際、以前に刃を交えた時よりも伸びている。敵ではあるが、彼の成長を実感できたことは愉快だった。

 それに、なんとも気持ち良い立ち会いだ。

 初雪のごとき清らかな怒りを正面から受けることができた。その剣に戯れたのはわずかに数合だったが。ああ、なんと心地の良い手のしびれか。


「槍使いが体術に長けるのは当然だ」


 少年は、肘をたたき込まれた胸を抑えて咳き込んでいる。


「槍の弱点は懐に入り込まれた時だ。その対処を鍛錬するのは当然だ。特に、棒術と体術は相性が良い。長巻を相手にするときは、棒術を絡めた組技にも警戒すべきだろう。懐に短刀を仕込んでいる場合もある」

「……っるさい」


 少年は剣を杖にし、壁を背中につけて立ち上がる。


「お前なんかに、負けるか」

「やめておけ。そもそも、あの少女がいないお前では相手にならんよ」


 そこでふと気がついて、少年が現れた鏡のほうを見る。

 その鏡の向こうにはあの少女がいた。小さいその両手を握りしめ、こちらを凄まじい形相でこちらを睨みつけている。恐ろしい目だ。まるで子を守る母竜のようだ。


「どこを、見ている」

「お前の……。いや、私の巫女を見ている」

「勝手なことを」


 唾液と途切れる息をこぼしながら、少年は必死の威嚇を向けてくる。こちらは、母親とはぐれた子竜のようだな。

 どうにも、まずいな。自分にはそういう気性はなかったはずだ。しかし、少年を言葉でいたぶると、妙に心臓がくすぐられるのだ。


「あの少女はお前には過ぎたものだ」


 槍を構えてみる。

 さて、どうだろうか。今の言葉は嘘になるだろうか。

 かの少女は並ぶ者のいない大魔術士だ。それを巫女として迎え入れることが叶えば、自分の栄誉は山の頂に至るであろう。偉大な巫女を迎えることは、族長としての責務でもある。それは事実だ。

 しかし、同時に、この少年をなぶってみたい、という心持ちが自分にある。それも事実だ。


「さっきの娘につけていた首輪もな。あれは実験にすぎない。本来は、お前の少女につけるためのものだ」


 これは嘘ではない。

 あの首輪は盟友となった帝国の司令から渡されたものだ。彼は、精強でならした北方公爵軍の無力化に使えるかもな、と言って首輪を渡したのだ。聖都を襲った時のことを語り合った酒の席でのことだ。おそらく、鏡の少女の拘束を示唆してのことだろう。


「貴様ぁ!」と少年は吠えた。「レヴィを、お前なんかに渡すものか!」


 少年は立ち上がる。いいぞ。それでこそ勇者よ。

 鏡の方を横目でうかがうと、少女の頬に朱が差している。先ほどまでの形相はやわらいで、まるで発情期の雌竜のようだ。

 ふふ、どうにも。まことに愉快な奴らよ。


「だったら、俺を倒してみろ」


 応じて槍を構え直して、再び対峙する。

 その時だ。

 外から竜の咆哮が響き渡り、グンシャンの者どもが叫ぶ声が聞こえてきた。


「おい! やつら、飛竜に何かしてるぞ!」


 リュウにとって、もはや、そんな事はどうでも良かった。

 ただ、目の前に立つ少年の闘気が高まっていくのを楽しげに眺めていた。



 ◇


「ま、待ってください」


 ヘイティは背後のその声に振り返らず怒鳴った。


「るっせぇ、ちゃんとついてこい」

「だって、そっちは飛竜が」

「だからだろうがよ!」


 ヘイティは飛竜の群れの中に飛び込んだ。

 もしかしたら、飛竜に食い殺されるかもしれない。その可能性はある。だが、これは賭けなんだ。何もしないで助けを待つリスクと、飛竜に飛び込むリスク。そいつをどんどん場に積んで、手札を切っていく。この感覚は女には分からねぇか。

 飛竜の群れの中に入ると、どうやらカードの引きは良かったらしい。まわりの飛竜は首をもたげて、群れに入り込んできた人間を見たが、それでもじっと動かなかった。


「やっぱりな。こいつは魔術に飼い慣らされてやがる」


 貴族の馬みたいに、操りの首紐に意識を侵された瞳だ。

 胸くそ悪いなぁ、おい。

 食事も交尾すらも指示されなければしない、そんな馬に乗って何が楽しいのか俺にはまったく分かんねぇ。

 つながれた飛竜の首縄を手当たり次第に曲剣で切り離していく。

 首縄を外された飛竜はきょとんと左右を見回すばかりで動こうとしない。中には、その場に屈みこんで翼の中に頭を隠しやがる奴もいる。ああ、こいつらはもうダメだ。自由を与えられても、もう飛ぼうとする意思すら残ってない。


「な、なにをされているのです?」

「見て分かんねぇか」

「分かりません」


 ったく、これだからお嬢ちゃんってやつは。


「与えてやるのさ、自由をな」

「自由?」

「後は、こいつらにどれだけ残ってるか。それ次第だ」


 その時、まわりから「おい! やつら、飛竜に何かしてるぞ!」と傭兵たちの声が上がり始めた。

 ちぃ、いい加減。まだ、骨の残ってる奴はいねぇのかよ。

 その時、ギヤァと咆哮が近くで轟いた。


「ひぃ!」と鳴いた、後ろの女など無視してそっちに向き直る。


 そこには、首をもたげてこちらを威嚇する青い飛竜がいた。


「いたじゃねぇか」と、目の前で大きく開かれた竜の口を睨みつける。「そうだよ、お前みたいな奴が、オレの好みなんだ」


 飛竜を奪って逃げる。

 その算段を思いついた時に名案だと思った。しかし、ちょっとした問題もある。

 オレは飛竜に乗ったことがない。

 飛竜の首縄の使い方なんて、俺が知るわけがない。俺はあの糞みていな操りの首紐すら使ったことがない。だが、馬に乗るのに魔術なんかいらねぇ、馬と気持ちを通わせて一緒に走るのが醍醐味ってもんだ。

 そう、オレは暴れ馬に乗るのは大の得意さ。

 だったら、自分で飛び回りたいっていう気概が残っている飛竜なら、あるいは。


「よしよし、威勢がいいじゃねぇか」


 咆哮を上げる青い飛竜の首にも、縄がかけられている。


「あ、あぶないです」

「あぶないだぁ? そのすっとこどっこいな口を閉じやがれ、女ぁ!」

「ひっ、すみません」


 鼓膜を破るような咆哮がもう一つ浴びせられる。


「いいじゃねぇか。気に入ったぜ。さぁ、俺たちは今からダチだ。青々とした綺麗な鱗をしてやがるじゃねぇかよ。自由に飛び回りたいんだろう。それが、こんな縄なんかで繋がれてよ。可哀想によぉ」


 声をかけながら、そぉと近づいたその瞬間。

 飛竜の真っ赤な口が開き、刃みてえな歯が見えたと思ったら、その首がこっちに伸びた。

 咄嗟に体を横に傾けて、その噛みつきを避けながらも手を伸ばし、そいつの首縄をつかむ。

 操りの術特有のあの気色が悪い感覚が走り、その途端に飛竜は大人しく首をうなだれた。

 嫌悪感は奥歯で噛みつぶして、首縄を曲剣で切り離した。

 その瞬間、そいつが驚いてこちらを見る。

 オレは、にやり、と笑いかけてやった。


「背中、借りるぜ。オレも連れて行ってくれよ」


 よっ、とそいつの背中に乗り上げた。

 そいつは、そこで自由になったことに気がついた。頭を上げて咆哮し、翼を大きく羽ばたき始めた。


「おいおい、おい! 待てよ。待てって」


 あわてて、飛竜の頭に手を伸ばして、バンバンと叩く。

 じろり、とその大きな瞳がうごいてこちらを睨みつけたが、やがて、鼻息をならして羽ばたきが止まった。


「どぅどぅ……は、ははっ。やっぱり、コイツは分かってるぜ。どんな暴れん馬でも、こういうのはちゃんと分かってくれるもんさ。ほら、女。はやくこっちへこい」


 貴族の女は、離れたところで震えていた。


「で、でも」

「さっさとしやがれ! 置いてくぞ! 残されたテメェが傭兵どもに強姦されようが、こっちは知ったこっちゃねぇんだ」

「は、はい!」


 目をつぶって走り寄ってきた女の腕を、身を乗り出して掴んで引き上げて、前に抱き寄せてやる。こんなとろい女じゃあ後ろに乗せられねぇ。どっかで手を離して落っこちまうのが関の山だ。


「ほら、飛ぶぞ。しっかり捕まってろよ」

「はい」


 消え入るような女の返事を聞く前に、飛竜の首筋を叩く。

 すると、竜の体が沈み込んで、その雄大な翼が頭上に広げられた。

 ひゅぅ、と思わず吹いた口笛を飛竜が合図と判断したのか、翼は振り下ろされ、俺たちは空へと飛び上がった。



 ◇


「奴ら、飛竜を奪いやがった!」

「巫女もだ。巫女も奪われた! さっさと追いかるぞ!」

「くそっ。あいつら、首縄を切りやがった」


 窓の外から聞こえてくる喧騒は、ヘイティたちの無事を告げていた。

 一方で、宗谷とリュウの対峙は静寂に包まれている。

 二人が交わした剣撃はすでに十数合におよんでいた。その交差の一つ一つは、少なくとも宗谷にとっては、生死を切り分けるものだった。その限界まで張り詰めた緊張は宗谷の鼓動を速めていた。

 宗谷は、自分の心臓を動かす糸の存在を強く意識していた。それが脈打つたびに、見知らぬ男の、つぶやくような声が聞こえるのだ。


 ——レヴィ、レヴィは、どこだ。


 鼓動と一緒に聞こえてくるその男の正体はレヴィアの父親だ。宗谷の心臓に絡みつき、彼の命を保っているその思念は、いつもよりも弱々しかった。

 宗谷に雑念が浮かぶ。

 もし、この背中にレヴィがいたのなら。この父親の声は娘を守れと力強い命令に変わる。そして、糸の魔力がこの体を躍動させていただろう。

 もし、そうだったら……。


「お前の兄弟は、上手くやったみたいだな」とリュウは窓の外を流し見て言う。

「……兄弟じゃない」

「ああ、なるほど。だが、飛竜の民では共に槍を並べる友を兄弟と呼ぶ」

「そうか」


 リュウには余裕がある。

 そして、自分はすでに限界に近いことも分かっている。

 重ねたこの十数合は、リュウとの実力差をハッキリと削り出しただけだった。自分がいかに未熟で、無力なのかを重ねて思い知らされただけ。

 その弱気を嘆くように、レヴィのお父さんの声が震えた。


 ——ああ、レヴィ、レヴィよ。


 もしも、だ。

 仮に今、僕の背中にレヴィがいたとしたら?

 この戦いがレヴィを守るためのものだったら?

 この心臓を包み全身に巡る糸、その魔力が躍動すれば……。僕はこの人に勝てるだろうか?

 レヴィを守ることができるのだろうか?


 ——でも、それは死者との隷属魔術。呪いなの。


 レヴィはそう言う。彼女はそのことをずっと気に病んでくれている。

 でも、僕はもう死んでしまったのだから。彼女がそんな事を気にすることはないのに……。確かに、母さんがこのことを知ったら、悲しむだろうし、僕だって、それは申し訳ないとは思うけれど。


「整ったか?」と、リュウが笑みすら浮かべて問いかけてくる。


 僕は、レヴィを守れるのか?

 あの時、廃墟の遊園地で、僕が見捨てた女の子。あれと同じことを、僕はまた繰り返すのか?

 僕はまだ、卑怯なままなのか?


「馬鹿にするな」

「であれば、また踊ろうぞ」


 剣先は上がりと穂先が下がる。

 互いの刃が天と地を刺して、静止する。

 互いの刃圏が広がって磁場のような引力が生まれる。それが肌を粟立たせた。

 やがて、対峙する二点は、まるで磁石のように吸い寄って、

 衝突した。


 一合、

 駆け抜けて、振り向きざまに、

 二合、

 払い落とされて、引き受けに構え、

 三合、

 刀身に右手を当て、回し払いながら前へ、

 四合、

 剣を短く抱え持った突きは、リュウが懐から引き抜いた短刀に阻まれていた。


「ほう」とリュウの息がこぼれる。「俺に隠し手を抜かせたか」


 リュウの短刀の刃に絡んだ長剣は、体重を乗せても動かなかった。

 短刀をもつリュウの腕に絡みつく筋肉がみえる。その脈打つ隆起は、彼が誠実に鍛え上げた暴力を表していた。自分のような借り物の、偽りの力ではない。一人の男が積み重ねた確かな力だ。

 それ前にして、僕はあまりにも無力だ。


「なかなか見所のある工夫だったぞ」

「くぅ」


 押しても押しても、短刀はビクともしない。

 もし、ここにレヴィがいたら……などと考えてしまう自分が嫌いだ。

 僕は結局、自分一人では何もできない。

 誰も守れないのだ。

 あの時から何一つ、成長なんてしていない。

 逃げることしか出来ない。卑怯な人間のまんまなんだ。


 短剣の刃がまわり、長剣が絡め取られる。そして、リュウに襟を掴まれたかと思ったら、僕は投げ飛ばされていた。

 床を二三回転がって、姿見の鏡の前で止まる。


「ソーヤ!」と、鏡から聞こえるレヴィの心配そうな声が悔しい。


 僕は、僕は、僕は……。

 いつもレヴィに守られてばかりだ。

 ごめんなさい。レヴィのお父さん。約束したのに、ごめんなさい。


「少年よ。今は少女のもとに戻るがいい。飛竜の民の流儀にしたがい、いずれは巫女として奪いにゆくつもりだ」


 なんだよ、それ。

 役立たずの体をむち打って、なんとか顔を上げる。


「鏡の少女よ!」

「何よ! ソーヤに何かしたら、ただじゃおかないわよ。お前たちが住処にしているチンケな山なんて、あっという間に火の海に沈めてやるんだから!」


 くっくっ、とリュウが笑った。


「まことに愉快な奴らよな。ちぐはぐで噛み合っておらん。まるで幼竜の生えたての牙よ。まぁ、よい。少女よ。名は確か、レヴィアといったか?」

「あん? 貴様みたいな獣くさいガチムチ脳筋ごときが、気安く口にしていい名前じゃないわよ」

「やれ、これは噂に違わぬ暴竜よ」


 リュウは槍を引いた。

 すると、あんなに濃密だった戦いの緊張感が、潮が引くように薄れていく。


「鏡の少女よ。いずれ、俺はお前を巫女として迎えにいくだろう」

「はぁ? ゴリラの分際がこの私をどうするって? お前なんてね。自分の飛竜に肉棒をケツの穴に突っ込まれて、腹の内部から破裂して死ねばいいのよ」


 ……レヴィのお父さん、本当にごめんなさい。

 レヴィの口の悪さがとんでもないことなったのは、多分、うちの母の影響です。


「……もとい、少年からお前を奪うつもりだ」


 リュウは苦笑いを残して、背を向けた。


「それまで、鍛えておくがいい」


 リュウはそのまま僕を残して、部屋を出て行った。



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