[1-16] リュウ・ロンシャン

 ヘイティはソーヤたちに先行して、村に潜入していた。


 山岳から離れたその平原の村は薄く雪に覆われてしまっていた。辺り一面にひろがる雪の下は、種まきの終えた黒麦の畑だろう。ここらでは秋に黒麦の種をまく。雪の下で冬を越え、春の雪解けとともに麦は背を伸ばす。

 これほどの広さの黒麦畑であれば、種まきを終えた時期とはいえ、村はまだ賑わっているはずだが、向こうに見える村はしんと静まり返っていた。

 ヘイティが村の様子を覗き込むと、そのところどころに、殺された村人たちが路地に投げ出されていた。


(まぁ、様子は予想どおりだな)


 ヘイティはフードをかぶり、雪の上に身を伏せた。

 彼は商館から引っ張り出してきた白鹿の毛皮を身にまとっている。それを被って雪面に身を伏せれば、保護色となって見つからないし、鹿の丈夫な毛皮は溶け出した雪を通さない。

 白鹿は大変珍しく、その毛皮は非常な高値で取引される。しかし、ヘイティはその損害を承知の上で万全を期した。


(公爵家のいいなり、ってぇのは気に入らねえがよ)


 権力者のお墨付きの価値を、ヘイティはその態度とは裏腹によくわきまえていた。

 特に、狐の目部隊の設立については非常に魅力的だ。これはつまり、公爵家公認の武装集団を平民であるヘイティが所有できることを意味している。

 商いの基本は物流であり、ゆえに正確に流れ続けなければならない。その正常な流れを邪魔するのが、交易路に出没する野党や何かと関税をかけたがる地方貴族たちだ。

 これらに対抗するためには武力が必要なのだが、平民が私兵集団を持てば権力者から睨まれることになる。それが今回の件で、公爵家の斥候部隊という名目のもと、大手をふるって私兵を募ることができた。加えて、地方の小貴族程度であれば、公爵家の正式な部隊と戦うことはできないだろう。

 加えて、スマホの魔道具が支給される。

 ヘイティはこの魔道具に無限の可能性を予感していた。遠距離での会話を可能にし、見たことも鏡に写して見せることができる。商人であれば誰しもその価値に気がつくであろうが、ヘイティはそれのはるか先の可能性を感じとっていた。


 この鏡を使えば、本がタダになる。

 つまり、貧民でも文字が読めるようになるんだ。


 本をつくるには写本するしかない。結果として高級品となる。そして、写本魔術を独占して巨額の富を得ているのが聖王家だ。

 貴族には家門ごとに得意とする魔術工房を抱えている。

 領都くらいの大きな街になると、その中心部に魔術通りがあり鋳造や花茶などの魔術工房が軒を連ねている。平民には高価な買い物にはなるが、魔術で煎じた薬草や湿布、火炉などを求めてその扉を叩くこともある。

 こういった魔道具は貴族の貴重な収入源となっており、ゆえにその技術は家門ごとに秘匿される。そうやって家門ごとに受け継がれた専門分野が出来あがっていた。

 例えば、フェン公爵の銀細工といえば世界に名の知れた一級品だ。公爵家を象徴する狼の紋が刻印された銀細工は高値で取引されている。いわゆるブランドというやつだ。


(そして、この写本魔術を独占しているのが聖王家だ)


 文章とは法律であり、すなわち権力となる。

 聖王家の絶大な権力は、その写本魔術をつかった法典の編纂と公布によるところが大きい。法典だけではない。魔術書のほとんどが聖王家の写本で出来ている。

 ヘイティは貧民街育ちであり、もともとは文字が読めなかった。

 そうであるから、彼は文字の暴力と読めないことの無力を嫌というほど思い知らされていた。


 ヘイティは目を閉じて、その苦い想い出に耐えた。


 ある貴族が慈善活動だと言って作った孤児院があった。

 そこで、オレたちは朝から家畜の世話や農作業で働き、夜は全員でむしろ巻いて眠りこけた。辛い毎日だったが、身寄りのない子どもが生きていくには仕方の無いことだ。のたれ死ぬ子どもなんて、貧民街では、それこそ掃いて捨てるほどにいるんだ。

 その孤児院には、一人の少女がいた。

 彼女は一番の年長で、面倒見がよくて、よく見るとべっぴんだったから、オレたちはみんな彼女のことが大好きだった。仕事中も彼女の近くにいられる当番を奪い合って、つまらない喧嘩ばかりしていた。

 慈善活動のための孤児院には規則があったらしい。その規則はオレたちには読めない文字でこう書いてあった。


「娘は数えて14歳になれば酒場の風呂番になること」


 あの時のオレは本当にガキだった。

 文字も知らなかったし、例え読めたとしても、酒場の風呂番が何を意味するか分からなかっただろう。酒場に風呂なんてあるわけがない、風呂がある酒場ってのは娼館のことで、風呂番といえばそこで体を売る娼婦だ。

 結局、オレたちが大好きだったあの子は売り飛ばされて、オレたちの前からいなくなった。


 あの時の悔しさを思い出して、奥歯を噛みしめた。

 ガキの頃の自分は文字が読めなかった。

 ギートに教えられて文字を知った時、この世の中には沢山の嘘があちこちに書かれていることに驚いた。全部が嘘っぱちだったが、文字にするだけで正しいとされちまう。

 そして、貧民街のみんなは文字を読めない。

 だから、この魔道具はすげぇんだ。馬鹿みたいに高い本をタダで見ることができる。ってことは、貧民街の子どもたちに文字を教えてやれる。もちろん、最初からそう単純にはいかないだろう。オレにとってのギートみたいな教師も足りねぇし、貧民街のみんなは文字が読めることの大切さも知らない。

 だけど、この魔道具があれば不可能じゃなくなるんだ。面白ぇ冒険譚や女が好きそうな恋愛物語でもいい。目につくところにそれがあれば読みたいと思う奴がでてくるはずだ。

 そうやって、文字を読めるようになったら、あの子みたいに酒場の風呂番に売られるようなことは……。


「族長。もの申したいことが」


 村から男の声が聞こえて、ヘイティは考えるのを止めた。

 その声は、死体が転がっている村の路地から聞こえる。すると、こちらのほうに歩いてくる二人の男がみえた。長い布を体に巻きつけたような装束に、軽装の革の装甲。肩には短い槍をかけている。

 典型的な飛竜傭兵の装いだ。


「聞かんぞ。臆病者に若衆をまかせた覚えなどない!」

「しかし、このような奥地にまでに来てしまっては、すでにロンシャンの大族長との距離が」

「くどいぞ!」


 怒鳴りつける年配の男は髭面だ。その体に様々な色の布を巻き付け、ケバケバしく飾り立てていた。

 権力に酔い、自ら力を誇示するような人間ほど、服のセンスは凄惨を極めるものだ。どうやら、後から追いかけてくる若い男はなにか忠告しようと試みているようだが……まぁ、あの感じだと無駄だろう。


「あのような若造を大族長とはよくも言ったな! よもや、お前も奴のヤギ乳を飲みおったか?」

「そのような事は断じて。どうかお聞きください。このような平たき地では飛竜が可哀想です。獲物になる動物もいませんし、翼を休ませる岩陰もありません。今は飛竜を野ざらしにしていますが、いよいよ辛いようで、鱗が逆立っております」

「家畜を襲えば良いだけであろうが」

「それが……、空を見回っておりますが、周囲の村には家畜どころか人すら見当たりません。どうやら家畜をつれて逃げたようです」

「だったら、人の肉でも食わせておけ! そこらに転がっているだろう」

「そんな。人の味を覚えた飛竜など、誰が乗りこなせましょうか」

「むぅ……。くそったれが!」


 族長と呼ばれた髭面は、そこらに置いてあった木桶を蹴り飛ばした。

 正確には、周辺の村は家畜を連れて逃げたのではない。家畜を殺して埋めたのだ。そうでなければ、このような素早い撤退は不可能だった。

 それにしても、ソーヤの奴め。あいつはクソ真面目で甘っちょろい奴だが、こういうところは妙に割り切りがいい。自分は貧民街あがりで、散々に悪さに揉まれてきたつもりだが、ソーヤが時々みせる冷徹さには驚かされてしまうことがある。


「もういいではありませんか。巫女となる貴族の娘を一人捉えたのです。これで、足りなかった飛竜の首縄を作らせることができます。十分な収穫です」

「むぅ……」

「あちらを見てください」


 若者がそう言って指差した先に、ヘイティもつられて目線を向けた。

 ひゅっ、と思わず口笛を吹きそうになったのを慌てて堪える。こいつはすげぇ、初めて見た。あれが飛竜ってぇやつか。村の広場に、1、2、3……、まぁ大体30ってところか。それが群れて繋がれてやがる。

 その時、青い鱗をした飛竜が喉を仰け反らして咆哮した。


「……あのように、首縄の不足ゆえに飼い慣らしが足りず、吠える凶暴な飛竜がまだいるのです。我が部族にとって、首縄を編む巫女の確保は最優先でした。族長の判断によって、それが成されたのであれば、まずは故郷の山にもどり巫女を奉るのが先決か、と」

「そ、そうか……まぁ、お前の言うことも一理ある」


 老害が安いおだてにほだされて、なんとかまとまりそうな様子だ。

 それにしても、向こうにいる飛竜が気になる。首縄がどうのと言ってたな。

 思いあたる節があるとすれば、貴族の奴らが馬に使う首紐だ。ああいった魔道具はいけ好かないものだ。馬ってぇのは、もともと走るのが大好きなんだ。

 それを、魔術で無理矢理に走らせるものだから、馬は生きている意味を失っていく。しまいには馬小屋から出て行くことさえしなくなる。聖都の貴族に飼い慣らされた馬は、交尾ですら首紐の指示がなければできないらしい。まったく、冗談じゃねぇや。


 もう一度目をこらして、群れる飛竜たちを見る。


 オレには、飛竜だって馬と同じように見える。あれも本当は自由に空を飛び回る生き物じゃないのか。それがまるで、貴族の馬のように、太い首縄をかけられて大人しくしている。

 ほらよ。あの青いやつが怒って、また叫んでやがる。


「ええ。巫女の確保は部族にとっての一大事です」


 あの二人はまだしゃべっている。


「そのためとあれば、今回の独断による進軍も許されましょう。ロンシャン大族長も山から出るなとの命令に背いたことを、」

「貴様! あのような若造の戯れ言を命令というか!」


 族長と呼ばれていた髭面は、肩に担いでいた短槍を振るい、歩先の平らで若者の横面を張り飛ばした。様子を見ていたこちらの横顔も思わず歪む。あんな勢いで殴られては、歯の数本は確実に折れただろう。下手をすれば顎が砕けてしまったかもしれない。

 やれ、せっかく良い感じだったのに最後に虎の尻尾を踏んじまったらしい。


「いいか! 俺の前でロンシャンのガキの話は二度とするな!」

「あっ、……がっ」


 いやだね〜。あ〜、いやだ。

 ああいう奴はさっさと殺したほうがいい。あの若いのも変に忠義立てなどせずに、事故を装って後ろから刺し殺してしまえば、喝采して喜ぶ同族も多かろうに。


 その時だ。

 隠れ伏せていた背後から、凄まじい竜の咆哮がした。

 さっきまでの青い飛竜の咆哮とは圧が違う。同時に、風が吹いてまわりの雪が舞い上がった。

 振り向きたくなるのを何とか堪えて、風でめくれ上がりそうになる白鹿のフードを抑えつける。首縄で繋がれていた飛竜たちも首をもたげて上空をながめ、髭面の族長も口をあけて上を見ていた。

 それは手近な家の屋根を、そのかぎ爪で掴んで着地した。

 黒く巨大な竜だ。

 その強靱な首が左右に振れ、獰猛な黄色い瞳であたりを見回すと、荒々しい鼻息を吹いた。


「グンシャンの族長よ」


 男の声だ。それが黒竜のほうから降りてきた。

 若い男の声だが、よく響くその低音には威厳があった。

 目線を向けると、黒竜の背の上に男が立っていた。よく日に焼けた顔、長く乱れた黒髪、全身を黒い布でまとっている。黒い巨竜をあやつる、黒衣の男。

 さては、あのロンシャンのリュウか!

 交易路を管理していれば自然と情報が入ってくる。最近になって、飛竜民族の部族をまとめ上げ、大族長を名乗った若者がいると聞いた。そいつこそが、何百年も外敵の侵入を許さなかった聖都を襲撃した張本人だ。

 若い、とだけ聞いてはいたが自分ほどではない。見たところ、せいぜいが35歳くらいだろうが、確かに大族長を名乗るには若すぎる。


「ろ、ロンシャンの、こんなところまで」と老害族長の声は震えていた。

「聞いているのはこちらだ」


 リュウは黒竜の背から大地に降り立つと、そのまま歩いて老害のほうへと近づいていく。


「飛竜の部族は一つになった。これまでのようにはいかぬ。それぞれの部族が放題に動いては、いずれは他に飲まれよう。それに……」


 リュウの鋭い目がさらに細くなり、道端にころがっている死体へと向けられた。


「随分と食い散らかしたようだな」

「だ、大族長がなんだが知らねぇが」老害の髭がひくついている。「獲物にまで口を出される筋合いはねぇぞ」


 眉をひそめたリュウは、今度は目線を広場で繋がれた飛竜へと移す。


「竜もやつれている」

「そいつも、お前には関係ねぇ。こっちの問題だ」

「慣れない平野にあれだけの飛竜を連れてきたが、餌も十分にままならなんだか。……その腹いせに住人を殺し、身内である若衆にも当たり散らすとはな」


 リュウは身をかがめて、殴り飛ばされた若者に「立てるか」と声をかけて助け起こしながら、詰問をつづけた。


「グンシャンの族長よ。目的は巫女の確保だろう?」

「な、なんのことだ」

「とぼけるな。我が天幕から首輪を持ち出しただろう」

「……」

「お主が族長として部族の裁量を主張するは良い。しかし、我が友人からの贈り物を盗むとは、どういう了見か」


 言葉につまった族長の顔に血の気がさしていく。


「おおかた。適当な村を襲い、貴族の娘を捉えてあの首輪をつけさせれば思い通りにできる、とでも算段したのだろうが、」

「う、うるさい! お前だって、そのつもりだったんだろうが。そのために帝国からあの奴隷の首輪を取り寄せた」

「さて、な……。仮にそうだとしても、お前の盗みの理由にはなるまいが」


 リュウは振り返ると、自分が騎乗してきた黒竜を見上げて「コクライ! 仲間を呼んできてくれ」と呼びかけた。

 それに応じるように、黒竜は鼻息を吹き鳴らし、屋根を蹴り飛ばして空に飛び上がる。そのあまりの剛脚に、屋根は崩れ落ちてしまった。


「ば、ばかな!? 首縄もかけずに、あんな巨竜を、言葉だけで……そんな」

「グンシャンよ。首縄にせよ首輪にせよ。それに頼り、不足をかこつは己の未熟。我が帝国の友人も似たようなことを言っていた。奴隷の術士を従えるのに首輪なんぞに頼るは三流とな」

「貴様、若造のくせに俺をあなどるか」

「……言うても無駄か。もう良い。それよりも、」


 不意に、リュウが向きを変え……こっちを見た。


「間者か、それとも村の生き残りか? いずれにせよ、這いつくばるのも寒かろう。立て」


 おいおい、マジかよ!

 リュウの鋭い眼光は間違いなくこちらに向けられていた。

 おいおい、コイツは本気でやばい。俺の鼻がコイツはやばい奴だとひくついてやがる。ロンシャンのリュウ。立ち姿だけでも十分だ。


 こいつは強い。


 ちょうどその時だ。胸元に仕込んだ鏡から声がこぼれる。


「ヘイティ。こちらソーヤ。すぐ近くまで来ている。そっちの潜入はどうだ?」


 這いつくばったまま、鏡を耳元によせる。


「ああ、ソーヤか」

「状況を教えてくれ」

「ちぃ〜とばかし、マズいことになったぜ」


 リュウが槍を手にして、こちらに近づいてきていた。


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