[1-09] ウィス・インリング
(おーい、ソーヤ。聞こえるか?)
ヘイティの声が胸元のポケットにしまった鏡から聞こえてきた。
宗谷はそれを取り出し、かつて元の世界で良くしたように耳に当てる。
「聞こえるよ。ヘイティ」
「おいおい! なんてこった。このスマホの術ってやつは、マジでヤバいな! 本当にソーヤの声が聞こえてやがるぜ」
あまりの大声に、咄嗟に鏡から耳を遠ざける。
「声が大きいぞ。今は斥候中だ」
「おっと、そうだったな。しかし、相手は盗賊風情だ。例えバレたとしても、オレたちに万が一もあるかよ」
「ヘイティ。僕はこの鏡を使った斥候を試すために手伝ってるんだ。本当は屋敷でやることもある。しかも、ウィスさんも連れてきてしまった。さっさと終わらせたい」
「か〜、薄情な奴だな。それでもダチかよ、仲間が心配じゃないのか? なぁ、隊長さんよ」
「盗賊風情では万が一もない、そう言ったのはお前だ」
耳にあてた鏡の角で、そのままこめかみの当たりを掻く。
スマホの術を提供するかわりに、公爵家のための斥候部隊をヘイティに承諾させた直後のことだ。ヘイティはちょうど良いタイミングだと言って、交易路である街道沿いに盗賊が出現するようになったと言い出した。
「オレの交易路は治安がいいって有名だ。オレたちの商会が睨みをきかせてんだ、当然だな。護衛すら連れずに行商に出る奴もいるくらいだ」
ヘイティはそこで声を落とした。
「ところがだ。ここ最近になって、行商が殺されて積み荷を奪われたという報告が何件かあった。まぁ盗賊の仕業なんだが、その裏には飛竜討伐が影響しているらしい。今、貴族どもは手柄立てようと領都に集まってやがる。オレの交易路は領都と聖都を繋いでいるが、街道の周辺には貴族の領土がごちゃごちゃ入り組んでやがる。そこで威張り散らしていた貴族たちがいなくなったものだから、盗賊くずれが調子づきやがった」
領地貴族にはその領地の治安を守る義務があり、盗賊などを取り締まっている。
しかし、今は飛竜傭兵の討伐のために領都に召集されているため、各地の治安システムが崩れ始めているのだろう。それで盗賊の活動が活発になりだした。
「そこでオレたちの出番だ。ここで商会の実力だけで交易路を守れることを証明すれば、貴族どもの鼻を明かせるって寸法だ。だからよ。ソーヤ、お前も手伝え」
ヘイティたちが交易路の管理をするようになって、北方領の物流は大きく改善した。その一方で、商会は貴族たちとの対立を深めている。なぜなら、彼らがかけていた関税が撤廃されたからだ。そこで、商会の実力だけで交易路が守れるのなら、貴族に対して優位に立てるだろう。
とはいえ、貴族側の人間でもある自分に手伝わせるのはどうだろうか?
「こまけぇことはどーでもいいんだよ。お前だってオレたちの仲間なんだ。この人差し指に交換した指輪、忘れたとはいわせねぇ」
などと、交換したばかりの指輪をさっそくネタにしてごね始めた。
……結局。
その指輪を使った斥候の試験運用には良い機会でしょう、というギートさんのもっともな提案を受ける形でこの討伐作戦に参加させられることになった。
話がまとまったところで、ヘイティはギートさんに近寄っていく。
「おい、お前もつけろ」
ギートさんの返事など待たずに、ヘイティはギートさんの手を強引に引っ張り出して指輪をつけると、こちらを振り返った。
「残りの指輪は、オレがちゃんと選んだ奴につけさせておく。何個あるんだ?」
「取りあえずは5個ほど持って来た。レヴィに頼めばもっと作ってもらえるだろう」
「よしよし」と嬉しそうにはしゃぎ回る。
その横で、ヘイティに指輪をはめられたギートさんが「この私が指輪をはめることになるとは、ね」と曖昧な表情で、左手の人差し指を何度もなでていたのが妙に印象深かった。
そんなことがあって、僕はヘイティの盗賊退治に付き合うことになった。
街道外れて、馬で30分くらいした森の中。
すでに日は地平線に近づき、影はまるで魔物のように長く伸び始めていた。そろそろ、目的の場所だ。
白いスノーは目立つので、ここからは徒歩がいい。頭のよい彼女なら、この当たりで放しておけば帰るまで待ってくれるはずだ。
「聞きたいことがある」と背中からウィスさんの声がした。
振り返ると、そこには馬から降りてその首紐を適当な枝にくくりつけている彼女がいる。
「なぜ、あのような男と指輪を?」
こちらを振り向いた彼女の眉間は不機嫌そうに寄っていた。
「ウィスさんには、ヘイティみたいな奴はあまり良くは見えないかもしれません」
「……率直に言って、あのような男は好かん」
「そうでしょうね」と笑ってしまった。予想した通りだ。「移動しながらにしましょう。盗賊の住処まではもう少しあります」
「ああ」
討伐作戦としては、ヘイティたちとは別々に行動し、三方から盗賊たちを襲う算段になっている。単純な包囲作戦ではあるが、離ればなれになっている状態で歩調をそろえるのはかなり難しい。
だが、スマホの術があればそれが可能なはずだ。
歩き始めると同時に、鏡を口元に寄せ、「こちら、ソーヤだ。一つ目の予定地点に到着した。このまま徒歩で第二地点まで移動する」と報告する。
すると、すぐに鏡から(了解。ヘイティだ。こちらはちーとばかし遅れてる)とヘイティの声で応答があり、続いてギートさんの声で(ギートです。こちらも到着しました。同じく次に向かいます)と返ってきた。
鏡を胸元にしまって歩き始めながら、背後にいるウィスさんに話しかける。
「ヘイティは凄い奴なんですよ。貧民街の孤児なのに、みんなのリーダーになって、馬が好きで、商人になって、今では交易路の管理まで任されるまでになった」
「……」
「彼には色々と教わりました。操りの首紐を使わないで馬に乗る方法とか、投げナイフとか。命を助けてもらった事もある。口は汚いですが、根は良い奴なんですよ」
「街一番の商売女がソーヤ殿に会いたがっている、とも奴は言っていたが」
ヘイティめ。あいつは本当に悪い奴だ。
「いや、あれは、無理矢理だったんですよ。連れて行かれただけで」
「男は皆そういうものだから時々こらしめてやらないといけない、と母が言っていたぞ」
ヴァン様、一体、何をしたんです?
「ま、まぁ。ヘイティは女遊びもしますが……。でも、本当に悪い奴ではないと思います。遊ばれた女の人たちも、あいつのことを悪く言うことはないです。多分ですけど」
「なるほどな。奴は私のことをデカ女といった。馬みたいにデカいとな。あれも悪気があったわけではない、と?」
「そ、そうですね」
よく覚えてますね……。
ウィスさんは身長が高い上に鍛えてもいる。ぱっと見た感じだと、ヘイティよりも大きい。多分、そういう所が微妙に影響して、ヘイティの悪い口がウィスさんに向かった可能性は否定できない。
「まぁ、あんなチビのことはどうでもよい」
ウィスさんも結構言いますね。
それ、絶対にヘイティの前では言わないでくださいよ。面倒くさいから。
「私が質問しているのは、なぜ、ソーヤ殿があんな薄汚い小男なんかに人差し指を交換したのか、ということだ」
「それはさっきも言った通りですよ。ヘイティは、」
「その人差し指、ミハエル様からの申し出を断ったそうだな」
足が止めて後ろを振り返った。
後ろについてきたウィスさんの表情が、薄暗くなり始めた森の中で影を深めていた。その声がまるで狼の威嚇のように響く。
「お前にとって、ミハエル様は、あんな奴よりも……」
そろそろ、夜が近づいていた。
「ウィスさん、」
「ミハエル様は! ……お前のことを話すとき、いつも嬉しそうだ。私に戯れにお話をされる時なぞ、いつもお前のことばかりだ」
彼女の奥歯を噛みしめる音が、鼓膜をつつく。
「ミハエル様は気を落とされていた。舞踏会で珍しく酒に酩酊され、いつもは社交の中心におられるのに、周囲を遠ざけてバルコニーで一人佇まれていた。私が酒の代えをお持ちにうかがった時に、こう仰られたのだ。ソーヤにフラれてしまったか、と」
舞踏会、バルコニー、そして綾取りの指輪。
おそらく、それは先日にあったミハエル様暗殺未遂事件のことであり、母さんが探り出した証拠を渡すために僕が舞踏会に参加したときのことだ。
あの時、バルコニーで、ミハエル様は左手の人差し指を見せ、綾取りについて僕に語った。
「王族であるミハエル様から人差し指を賜る。この意味、知らぬとは言わせん」
王族と綾取りを交わすことは、すなわち、聖王国全体の
中でも、人差し指は重要な地位をしめる。歴代の聖王の人差し指を担った人たちは聖王国の要職を担当し、聖王の軍を統括することが多い。例えば、ヴァン騎士団長はミハエル王子の中指だが、現聖王とは人差し指の
「……あの時は、僕は、」
僕は、正直なところ、そういった聖王国の政治なんて一切考えていなかった。
あの時はただ、レヴィに向けられた嫌疑を何とかすることだけで頭の中はいっぱいだった。本当にそれだけだった。
ミハエル様からの申し出も、あの方の戯れにおっしゃる軽口なのだろう、と軽く受け流して、今まで忘れてしまっていた。
「僕は、レヴィの従者に過ぎません」
「あのような道理をわきまえぬ小娘など!」ウィスさんの声が荒くなる。「どうでもよいわ」
ウィスさんの手が伸びて、僕の胸ぐらを掴んだ。そして、その険の強い目で睨みつけてくる。
「私をここに派遣された際、ミハエル様はこう仰っていた。ソーヤが何を成すかよく見ておけ、とな」
「……」
「お前たちの噂は聞いている。ミハエル様の婚約者が従者に熱をあげるなど言語道断だ。そのような醜聞でミハエル様を汚すようなこと、私は絶対に許すつもりはない」
そのきつく尖った口調が、今度は急にしぼむ。
「……しかし、ミハエル様は達観されている。このような醜聞も、あまり気にされている様子はお見せにならない」
彼女の燃えるような目も光をひそめて、夜の静寂が風に揺れる草木のざわめきが鼓膜をなでる。
「私が言いたかったのは、それだけだ」
ウィスさんは掴んだ胸ぐらを放り投げるようにして、僕を解放した。
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