アンチテイル

君は何も言わずに立ち去るのか……

 IAU(International Astronomical Union=国際天文学連合)、第Ⅲ文科会(惑星科学)、第15委員会(彗星と小惑星の物理的研究を担う)、緊急検討会議議場――――

 今、そこは重苦しい空気が支配していた。


 議場正面、巨大なスクリーンには眩く輝く彗星が映し出されている。

 何本にも分かれた白っぽい尾と、一本の蒼白い輝きを発する尾を同時に曳くそれは、まるで天空を翔ける駿馬の軌跡のようである。幾本にも分かれた白っぽい方の尾は、中には捩じれて折れ曲がっているものもあるのが分かる。蒼白い尾には、一部 虹色に輝く色彩が混じっていた。

 彗星の尾である。太陽の放射熱により蒸発を始め、発生した塵やガスが尾となって長く伸ばされた姿だ。だが、それは今、あり得ない姿を取っていた。


 スクリーンの脇に立っている一人の女が説明を始める。20代の、それも前半の外見をした若い女だ。若いが彼女も委員会メンバーの天文学者になる。


「ニューオーシャン彗星、2016年に木星軌道で発見された長周期彗星です。発見の3年後に地球に最接近するものと予測されていました。核の規模などから近日点接近時にはかなりの規模の発光が期待され、そして期待どおりの観測結果がもたらされたのですが――」


 画像は尾を拡大する。


「この蒼白い尾はイオンテイルのはずです。ですが――」


 画面が切り替わる。女が操作したためだ。

 尾の画像が大きく拡大されたが、それに伴って議場内にはどよめきが拡がった。


「これは……、かなり激しく発光しているな」


 一人の男が発言した、白髪で髭を蓄えた男だ。彼も天文学者の一人なのだろう。その顔には極めて高い緊張の色が表れている。壇上の女が再び口を開くが、それは男の発言に対するものとなっていた。


「そうですね。この尾の内部、特にコアに近い基部では極めて光度が上がっているのが見て取れます」


 時に弾けるような瞬きを繰り返しており、まるで花火のような印象を与える。虹色部分はオーロラのようなものに見えた。


「彗星が輝くのは太陽に接近して、その熱によって構成物質が蒸発を始めるためです。その結果 放出されたガスや塵などが大きく拡がってコアの周囲を覆います。コマと呼ばれるものですね。それが太陽光の反射を受けて輝くのです。構成物質の性質や近日点の位置、そして地球との距離などの関係上、地上からも極めて明るく見える場合もあります。いわゆる大彗星と呼ばれるもの、ハレー彗星や1996年に発見された百武彗星、1997年に最大光度となったヘール・ホップ彗星、そして2007年1月に近日点通過をしたマックノート彗星は昼間でも観測できるほどの大彗星となりました。今回のニューオーシャン彗星も引けを取らない大彗星になります」


 名前が挙がった彗星の画像が次々と映し出された。どれも際立って輝く姿を見せ、中には大きく拡がる尾を見せるものもあり、人の心を捕らえて離さない魅力がある。こういった大彗星と呼ばれたものは、時代によっては不吉の前兆と捉えられることもあり、人心を不安に訪れ、パニックになった歴史があるが、それは全て彗星の正体が長く不明だったためである。20世紀以後、それまで積み重ねられた観測記録と探査精度の向上、そして理論の構築により彗星のメカニズムは解明され、そういった迷信は払拭されてきた。それでも軌道予測や放出されるガスや塵の量などの予測は難しく、彗星の状態を正確に予測することはできず、人々の心を揺り動かす存在であり続けている。


「それでもある程度の範囲は予測できます。彗星が彗星である以上、その性質には決まりがあるはずだからです。しかし――」


 女は言葉を切る。すると再びニューオーシャン彗星と呼ばれた彗星の画像が表示される。

 コマの輝きは爆発的と言えるもので、長く伸びる尾も火焔のようにも見える。それは鋭く、切り裂くようで、宇宙の漆黒に穿たれた天上の槍とでも言いたくなるおもむきを見せている。


「みなさん、お分かりかと思いますが、現在 映されているこの画像は先日 地球に最接近した時のものです。距離は地球から0.137AU(1AU≒1.5億㎞)、天文学的に見ればかなり接近したと言えます。それがこの鮮やかな輝きを見せてくれた理由の一つになるのでしょう。普通なら見事な天体ショーとして人々の記憶に残されて終わるはずでしたが――」


 女はここで再び言葉を切り、傍らに用意されていたペットボトルに口をつけた。喉を潤すためだ。その後、大きく深呼吸をし、再び話し始める。その顔は厳しいものとなっていたが、彼女はこれから話すことに極めて高い緊張をおぼえているのが分かる。 


「この画像は太陽からの離脱軌道にあるものを映したものです。何を意味するのかは――」


 女はここでまたしても言葉を切る。どこか話を続けることをはばかっているかにも見えた。


「尾の方向が逆だ――」


 白髪の男が口を開いた。女の代わりに発言したかのようだった。女は目を閉じ、深々と息を吐き、男に視線を向けた。軽く頷き、そして再び口を開く。


「そうです。太陽を背にしていながら、尾が太陽の方向を向いているのです。これが何を意味するのか、この場におられるみなさんには一目瞭然でしょう」


 女は男から目を離し、議場全体に目を向ける。見渡すように視線を移動させるが、それは学者たちの反応を見るためだった。だが目に見えた反応はなく、議場は恐ろしいくらいの静寂に包まれていた。いや、この静寂こそが事態の深刻さを表していたのだ。


「あり得ない………」


 ポツリと呟くような声が聞こえてきた。それは妙に響く声だった。議場の隅々に渡り、反響するように拡がったのだ。そして、この呟きがきっかけとなった。


「そうだ、あり得ない!」


 別の誰かが叫んだが、まるで悲鳴のようでもあった。ひどく動揺した響きがあったのだ。それが続く騒乱の幕開けとなった。何人もの学者たちが発言を始めた。


「離脱軌道にあるのなら、尾は太陽と反対方向、進行方向に伸びるはずだ!」

「これは本当の画像なのか? よくできたCGか何か、造り物じゃないのか?」

「何をボケたことを言っている? 我々は自分たちでも観測したじゃないか! 世界じゅうの天文台、天体観測所、さらに宇宙望遠鏡でも観測したのだぞ!」

「ううっ――、しかしこんなのあり得ないじゃないか! なぜ太陽風に逆らって、こんなに鋭く尾を伸ばすのだ? この彗星では何が起きているのだ?」


 議場のあちこちで論争が始まった。それは騒然とした様相を呈し始めた。


「もしかしたらアンチテイルじゃないのか?」


  その学者の言葉が議論に一つの方向性を与えた。別の学者が反論の言葉を向ける。


「いや、ニューオーシャン彗星と地球との位置関係上、それはあり得ないと思うぞ」


 アンチテイルとは折れ曲がったガスや塵が地球との位置関係によっては太陽方向に伸びて見えるものだ。これは錯覚であり、実際に太陽方向に伸びているわけではない。

 ここで、黙って聞いていた女が発言した。


「宇宙望遠鏡や太陽系内を飛行中のいくつかの探査機も同様の尾の状態を観測しています。特に地球から大きく離れた外惑星探査機でも記録されていることから、これが錯覚でないと結論できます。これは現実のものです」


 女がピシャリと言った。言い放ったかのような冷たさすら伴っている。

 結局、アンチテイル説も説得力を持たず、再び議場は混乱し始める。だが、今度はさほど拡がることはなかった。


「現実は現実、見たままだ。その謎を解明すべく我々はここに集ったのだろう!」


 白髪の男の発言だ。言葉の最後は怒鳴り声になっていて、雷鳴のような轟きは議場の混乱を収めるのに十分な力を発揮した。男は、しかし満足そうな顔を見せることはなく、そのまま壇上の女に目を向け頷いた。続けるように促したのだ。女も応えるように頷き、口を開いた。


「この謎を解明するのに大きなヒントとなるのが、この基部の輝きになるかもしれません」


 学者たちは黙って耳を傾けている。どことなく固唾をのむ雰囲気が表れていた。

 女は手元のタブレット端末を操作し、スクリーンの表示画面を変えた。画像の右脇に数値データが表された。暫く沈黙が続いていたが、やがてざわめき始めた。


「何だ、この温度は?」

「億単位に達している部分もあるぞ? これはどういうことだ?」


 画像に再び変化が現れる。尾の基部部分、極めて激しく輝く部分が拡大されたのだ。


「宇宙望遠鏡の精密計測によると、部分的には10億℃を越えているところもあります――」


 その数値は学者たちの想像を絶するものであり、皆は何も言えなくなってしまった。絶句したわけである。しかしいつまでも沈黙は続かず、白髪の男が発言した。


「X線の反応が出ているな。これは太陽風と彗星との相互作用の結果ではないな?」


 彗星からX線が計測された例は過去にもある。1996年の百武彗星の観測時にX線の放射が発見された。当時、そのようなことは予測されておらず、学者たちを驚かせたものだ。これは太陽風のイオンが彗星を覆う大気に突入して彗星の原子や分子と衝突した結果、いくつかの電子を捕獲して、それがX線などの放出を引き起こしたのだろうと考えられた。


「だがこの彗星のX線反応は爆発的で、ただの太陽風との相互作用の域を超えている。そして尾の基部部分に集中しているのが特徴的だ」


 男は発言を終えるが、後を継ぐように女が発言を開始した。


「そうです、この反応はX線バーストとでも呼びうるもので、異常を極めます。それと尾の中心軸付近から高速の荷電粒子流の反応が見られます。これがただの彗星の引き起こす現象とは信じられません」


 女は議場に目を向けるが、誰も応えるものはなかった。だが、何かが頭をもたげているのは確実で、それを口にするのをはばかる雰囲気が強く流れていた。


「彗星内部に何かがある。X線バーストすら引き起こすほどの強大なエネルギー源となる何か。それが構成物質を激しく噴出させ、太陽方向に伸びている。そして強大な反作用を引き起こしており、彗星の軌道速度を加速させているな。それに荷電粒子流か……」


 白髪の男の言葉、それは発言というよりも独り言のようなものだった。だが静寂に満ちていた議場にはよく響いた。


「何かって、いったい何……」


 近くの別の学者が口を開くが、声は震えていておののいているかのようだった。白髪の男は彼に目を向け、奇妙な形に口角を歪めた。それを目の当たりにした学者は身を引く挙動を見せる。男の見せる表情に怯むものをおぼえたからだ。

 まるで泣き笑いのような、或いは懊悩するような、それでいて諦観したような、いくつもの感情がない交ぜになった顔になっていたのだ。


「エネルギー源に関しては何も分かりません。ただ10億を超えるほどの高熱を発する熱源など普通の恒星に見られる核融合反応すら凌駕しています。私はこれが単なる自然現象に収まらないものを感じます」


 女の言葉は学者たちを強く刺激した。


「自然現象じゃないと? 人工的なものとでも言いたいのか?」

「人工的? 例えば……宇宙船だとでも?」

「軽々な発言は慎め。ここは学術会議の場だぞ!」


 女は、しかしいっさい怯むこともなく堂々と応えた。


「私は現実に観測された事象からの推測を述べたにすぎず、結論を急いでいるわけではありません。ただ、この異常事象は人類既知の科学理論を越えています。ただの自然現象と呼ぶにはあまりにも凄まじいのは確かです」


 画像が切り替わった。動画表示らしく、彗星の姿に動きらしきものが表れていた。それが皆の言葉を奪う。

 爆発的な閃光が尾の基部に連鎖しており、それに伴って構成物質がより激しく噴出しているのが分かる。よく見るとスパイラルを描いているらしく、蒼白い尾の中でドリルでも描くみたいに虹色の色彩が走っているのが見えた。


「この鋭く伸ばされたイオンテイルの姿は極めて指向的であり、太陽風に真向から逆らうかのようなこれは、完全な加速飛行を意味しています」


 彗星の速度が表示された。それによると現在も速度を上げていて、既に太陽系重力圏からの脱出速度に入っているのが分かる。つまり長周期彗星から非周期彗星に転じたということになる。

 この彗星は二度と太陽系に戻っては来ないと推定される。


「これは……確かに宇宙船のようなものに見える……」


 その声はしわがれていて、酷い消耗が表れていた。


「うむ、確かに制御された宇宙飛行に見えるな。太陽から離れる彗星が加速飛行に入るなど、近くに惑星があるわけでもないからスイングバイに入っているのではないし、これ自身が加速を開始しているとしか言えないな」


 だが何故か? 何故こんなことが起きるのか? その後も分析は続き、検討が交わされたが結局 答は出なかった。回答を得るためにもデータの蓄積は欠かせないのだが、対象となる彗星は猛然たる高速度で太陽系から離脱しようとしていて、程なく観測も覚束なくなるのは確実だった。

 会議は大した結論を得ることもなく幕を閉じることとなった。唯一の成果は、何も分からないということだった。




 壇上から降りる女に白髪の男が近づいてきた。彼は軽く挨拶をするように手を上げ、話しかける。


「まぁ、結局ロクな成果は得られず終わってしまったが、君自身はあれをどう見ているのかね?」


 男はスクリーンに目を向けるが、そこには今もニューオーシャン彗星が映し出されている。女も習って目を向けるが、その際 僅かに微笑んだ。男はその変化に気づく。


「何だか嬉しそうだな」


 女は目を伏せ、笑みを拡大させた。終いには声を出して笑い始めた。それは周囲にも届いたようで、今も残って討論を続けている学者たちの何人かが女の方に目を向けた。


「失礼、感情が抑えられなくなってしまいました」


 女は少し深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。彼女は姿勢を正し、男に目を向ける。ただし、未だ笑みはたたえたままだ。


「宇宙には未だ謎が満ちています。この新たな謎は私たち人類に対する挑戦のようなもの。是非とも解明したいと思いましてね」


 男も笑みを浮かべる。


「なるほどな、科学者――というより、知恵ある人ホモ・サピエンスの矜持を刺激したというところかな」


 男は言葉を切り、再び画像に目を向ける。そのまま女に対して話しを続けた。


「ところでな、私はあれを結構 本気で宇宙船だと思っているのだがな。君はどうなのかね?」


 女は首を振る。否定の仕草かとも思えるが、それは違った。


「可能性は高いですね。尾の噴出はどう考えても制御された指向性のものですし、あれが自然現象となると、それこそ想像を絶します」

「エネルギー源は何になるのだろう? 核分裂――いや、核融合か? 10億℃をも超えるし、荷電粒子流が観測されたとなると……、D-He3(重水素とヘリウム3)反応が考えられるな。となると核融合プラズマ推進……」

「X線の強度からすると核融合よりも強大な反応も考えられますね」

「例えば対消滅か? となるとガンマ線やパイ中間子の反応がないといかんが、目に見えた観測記録はないな」

「その通りです。ですが普通の核融合よりもかなり強大に思えるのですが……」


 会話はここで一度途切れる。一度、落ち着いて思考しようと2人は思ったからだ。

 女は彗星の画像に目を向ける。その目は彗星の画像に向けられていはいたが、それをしかと捉えているかは疑わしいものに見えた。眼差しが遠く、宙をさまようかのようだったからだ。それは意識に上る思考を反映させるものだった。

 彼女は思いを口にした。


「もし宇宙船ならば、それは地球外文明のものとしか言えません。つまり異星の知性体の造り出したもの」


 男の目も遠くなる。二人の眼差しは目の前の画像を越えた何かに向けられているようだった。


「となるとな、あれは何をしにこの太陽系に来たのだろうな? 結局は何のコンタクトも取ることなく去っていくようだが、何を意図しているのだろうな?」

「分かりませんよ。異星人の考えることなんて」

「そうだな。案外 あれは人類のことなど気にも留めていなかったのかもしれないな。太陽系に来たのはたまたまで、そこにいた我々なんかに興味は惹かれなかったのかもしれない」

「どうでしょうね。一度 帰って態勢を整えるつもりなのかもしれませんよ」

「と言うより、我々の存在には気づきもしなかったのかもしれんぞ」

「だから何も言わずに立ち去ったのでしょうか?」


 二人は楽しそうに会話を続けていた。




 虚空を飛翔し続ける巨大彗星は眩い光輝を絶やさず漆黒の彼方へと突き進み続けている。鋭く闇を切り裂く尾の輝きはいつまでも途切れず、暫く人類の目に留まり続けた。

 それは何か、いかなる存在なのか? 確たる回答を得るのは叶わず、全ては銀河の彼方へと消えゆく。ただ、残された人類の心に想いを刻んだ。


 この宇宙には、何かがいるに違いない――――

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