高遠城の戦い(六)
その信忠にとって、武田方が城を恃むことなく城外に布陣したことは、意外なことであった。逆茂木乱杭を植え、柵や濠を幾重にも巡らせて、
その武田方が城外に布陣した経緯は以下のとおりである。
寺僧を城中から蹴り出して開戦を決意したあと、信盛以下城方は引き続いて敵を迎え撃つ陣容についての軍議に移った。信忠による伊那侵攻以来、来るべき籠城戦に備えてその準備に勤しんできた高遠衆であったが、もはやこの軍議で籠城戦を戦おうとする意見は出なかった。
「今、信忠の攻勢を前にして下伊那の諸城が戦いもせず続々と自落したことは言語道断の所業で許しがたいが、わしは下伊那の人々がそのような
信盛がこのような方針を示したからである。小山田備中守などは感涙にむせんで、
「もし、どこかで間違いがあって下伊那のいずれかの城にでも配されていたならば、それがし御家の危急にあたって戦う機会も得ず後世に汚名を遺すところでした。今、幸運にして殿の指揮下に参じ、天下の大軍を相手に一戦交えようというだけでも得難いのに、最期にあたって城外戦に討って出て、永年鍛えた弓馬の業を主君の眼前に披露する機会を得るなど望外の喜悦。後世に名を遺す機会、これをおいてまたとない」
と口にすると、人々の間からはこれに賛同する意見が続出して、方針はあっという間に城外戦と決した。もはや籠城戦によって敵を食い止め、時間を稼ごうという意見を口にする者は誰一人としていなかった。
「それではみな、城外に布陣して心静かに敵を待ち構えようではないか」
信盛がいうと、小山田備中は
「殿は本丸の物見櫓にて我等のいくさぶりをとっくり検分なされよ。その故は、およそ御大将というものは、公平に論功行賞なさるべきお立場であって、負けいくさともなれば、その責を負い、自ら腹を召さなければならぬお立場です。手ずから鑓を取り城外戦を戦って敵の端武者にでも討たれる軽挙を冒せば、腹を切り損じることにもなりかねません。もし腹召されたとしても、乱戦の中に身を投じておれば味方の将兵にその姿が明らかではなく、我が殿は腹召されたか、負けいくさの責を負うたのは誰かと浮かばれぬまま枯れた万骨のうちの
と献言した。これには五郎信盛大いに感じ入り、
「まことそこもとの言うとおりだ。もとより腹を切ることを恐れるわしではない。敗軍の責はわしがとる。なに憚ることなく暴れ回るが良い」
というと、自らは小山田備中のいうとおり本丸の物見櫓に登って城外に布陣する味方の諸兵を検閲した。鑓の穂先はびっしりと揃い、列を乱すどころか
武田の軍法に従って鍛えに鍛え上げられた軍役衆。長篠戦役で一敗地に塗れ、手練の勇士を多く失いながら、短期間でここまで建て直すことが出来たのは、武田家の軍法に底通する軍役衆の心得があったからである。それは上洛を目の前にして逝った父が、三十年の長きにわたる経営の中で培った知識と経験に裏付けられたものであった。信玄もまた、蟻の群れのようだった甲信の軍役衆を統制の取れた軍団に育て上げるため腐心したのだ。
今、高遠城外に布陣する軍役衆は、戦わずして逃げ散ったような蟻の群れなどでは断じてなかった。敗軍の責を負うことを決意した大将の許、その采配に従って、主命とあれば地獄の底にまで歩を進めることすら厭わぬ統制の取れた軍団に他ならなかった。
このような軍団を擁すればこそ、父は上洛を望んだものではなかったか。
信盛の口からは自然と
「惜しい」
という言葉が漏れた。
それは、時宜を得さえすれば天下を制することもいと
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