高遠城の戦い(六)

 その信忠にとって、武田方が城を恃むことなく城外に布陣したことは、意外なことであった。逆茂木乱杭を植え、柵や濠を幾重にも巡らせて、そなえを厳重に固めた城を恃むことが常道であろうと思われたからであった。

 その武田方が城外に布陣した経緯は以下のとおりである。

 寺僧を城中から蹴り出して開戦を決意したあと、信盛以下城方は引き続いて敵を迎え撃つ陣容についての軍議に移った。信忠による伊那侵攻以来、来るべき籠城戦に備えてその準備に勤しんできた高遠衆であったが、もはやこの軍議で籠城戦を戦おうとする意見は出なかった。

「今、信忠の攻勢を前にして下伊那の諸城が戦いもせず続々と自落したことは言語道断の所業で許しがたいが、わしは下伊那の人々がそのようなみちを選んだことについては、やむを得ないことだとも思っている。そのゆえは、兄は先年の高天神落城に際し、籠城衆の小者までが連署した後詰要請の手紙を無視し後巻うしろまきを怠ったからである。城方が孤軍奮闘の末に壮烈な玉砕を遂げたことで、かえって兄の汚名は近隣に流布されてしまった。遺憾ながらこれは事実である。そしていま、まさに兄はこの高遠城を後巻するどころか上原城を焼き払って新府に逼塞している有様である。木曾や小笠原、下條などが武田家と取り結んだ縁戚を踏みにじって城を捨てたとは言い条、兄のこのような所業を顧みれば彼等が選んだみちも尤もなことで、戦乱の世にあって必ずしも誤りとはいえぬ。しかしわしは国主勝頼とは兄弟の間柄である。兄勝頼とのつながりの強さは、父信玄の代に無理矢理縁戚を取り交わされた木曾や下伊那の国衆とはわけが違う。そのためわしはひとり腹を切って、兄に対する忠節を示そうとも考えたが、そなた等高遠の衆は兄を城主と奉った時期もあり、どうしても兄に忠節を尽くしたいという。このように主従の思惑が一致したからには、心を一つに死力を尽くして敵に当たることもやぶさかではない五郎である。そして斯くの如く上下一致している時節であればこそ、寡兵く大軍を制する時宜を得たともいえよう。これまで種々、籠城準備を重ねてきた我等であるが、後詰ごづめ望むべくもないいま、死を恐れず決然しろを討って出て城外戦を挑むべきと考えるがどうか」

 信盛がこのような方針を示したからである。小山田備中守などは感涙にむせんで、

「もし、どこかで間違いがあって下伊那のいずれかの城にでも配されていたならば、それがし御家の危急にあたって戦う機会も得ず後世に汚名を遺すところでした。今、幸運にして殿の指揮下に参じ、天下の大軍を相手に一戦交えようというだけでも得難いのに、最期にあたって城外戦に討って出て、永年鍛えた弓馬の業を主君の眼前に披露する機会を得るなど望外の喜悦。後世に名を遺す機会、これをおいてまたとない」

 と口にすると、人々の間からはこれに賛同する意見が続出して、方針はあっという間に城外戦と決した。もはや籠城戦によって敵を食い止め、時間を稼ごうという意見を口にする者は誰一人としていなかった。

「それではみな、城外に布陣して心静かに敵を待ち構えようではないか」

 信盛がいうと、小山田備中は

「殿は本丸の物見櫓にて我等のいくさぶりをとっくり検分なされよ。その故は、およそ御大将というものは、公平に論功行賞なさるべきお立場であって、負けいくさともなれば、その責を負い、自ら腹を召さなければならぬお立場です。手ずから鑓を取り城外戦を戦って敵の端武者にでも討たれる軽挙を冒せば、腹を切り損じることにもなりかねません。もし腹召されたとしても、乱戦の中に身を投じておれば味方の将兵にその姿が明らかではなく、我が殿は腹召されたか、負けいくさの責を負うたのは誰かと浮かばれぬまま枯れた万骨のうちの一柱ひとはしらに身をやつさねばならぬこととなりましょう。百倍の敵を目の前にして勝てると思うほどそれがしの目は曇っておりません。このいくさには万に一つの勝ち目もござらん。にもかかわらず降伏を拒絶して城外戦に討って出ようという所以は、名誉のためであって、殿はその心意気に報いるべく諸兵の戦い振りを見極め、敗勢が明らかとなったころに物見櫓の上にて尋常に腹召されよ。内外に敗戦の責を負うたことを証明なさるのです。それこそ御大将の心得というものでござる」

 と献言した。これには五郎信盛大いに感じ入り、

「まことそこもとの言うとおりだ。もとより腹を切ることを恐れるわしではない。敗軍の責はわしがとる。なに憚ることなく暴れ回るが良い」

 というと、自らは小山田備中のいうとおり本丸の物見櫓に登って城外に布陣する味方の諸兵を検閲した。鑓の穂先はびっしりと揃い、列を乱すどころかしわぶきひとつ聞こえることがない。ただ諸人或いは軍馬の口鼻から、その呼吸に合わせて白い息が立ち上るだけである。

 武田の軍法に従って鍛えに鍛え上げられた軍役衆。長篠戦役で一敗地に塗れ、手練の勇士を多く失いながら、短期間でここまで建て直すことが出来たのは、武田家の軍法に底通する軍役衆の心得があったからである。それは上洛を目の前にして逝った父が、三十年の長きにわたる経営の中で培った知識と経験に裏付けられたものであった。信玄もまた、蟻の群れのようだった甲信の軍役衆を統制の取れた軍団に育て上げるため腐心したのだ。

 今、高遠城外に布陣する軍役衆は、戦わずして逃げ散ったような蟻の群れなどでは断じてなかった。敗軍の責を負うことを決意した大将の許、その采配に従って、主命とあれば地獄の底にまで歩を進めることすら厭わぬ統制の取れた軍団に他ならなかった。

 このような軍団を擁すればこそ、父は上洛を望んだものではなかったか。

 信盛の口からは自然と

「惜しい」

 という言葉が漏れた。

 それは、時宜を得さえすれば天下を制することもいと容易たやすかったであろう軍役衆を、この場にて失わなければならないことに対する哀惜の念から漏れた言葉であった。

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