家督相続(二)

「遠州のうち新所五百貫と高部のうちの百貫、また西三河のうち山中七村山形原の千貫文につきましては、累年奥平定能の支配に属してきたこともあり同人にこれを安堵致しました。また同じく遠州高部のうちの百貫文は菅沼満直、さらに百貫文は菅沼定忠に安堵致し、これについても特に不満はございませんでした。先の戦役で切り取った野田の百貫文、西郷の百貫文についても特に不満を申し立てることもなく、山家三方衆は我等の指示を待っている様子でございます」

 釣閑斎はよどみなくこたえていく。

 勝頼には、釣閑斎のこたえる知行安堵に問題があるとは思われなかった。伝統的に山家三方衆が形成してきた領土分配を基本として認めており、切り取ったばかりの野田領や西郷領についても、領有が争われる気配が全くなかったからであった。

「で、牛久保であるか」

「左様でございます」

 先の戦役で、甲軍は野田城を落とし、野田菅沼定盈を当地から放逐していた。これは昨年七月の段階で武田に転じていた定盈が、これまた牛久保領の配分を巡る不満から武田に叛いたものを討ったのであって、今度は新たに切り取ったその地を含め、菅沼定忠と奥平定能が争いはじめたということであった。

「山家三方衆と申せば累代奥三河周辺に根を張り関係を取り結んできた一門。彼等にとっては新参者に過ぎぬ我等武田家が、複雑に絡み合った牛久保領有権を解決することなど出来ましょうか」

 長坂釣閑斎は皺だらけの顔の眉間に、縦皺を寄せて更に皺を増やしながらこたえた。

 それは確かに釣閑斎のいうとおりであった。もしいま、勝頼が強権を発動して

「牛久保領は一円誰某に宛がう」

 などと宣言すれば、宛がわれた方は勝頼に絶対的に忠節を誓うだろうが、そうではない方が怨敵に身を転じ、徹頭徹尾武田に叛くであろうこともまた疑いのないところであった。両方の主張が並立しない以上、どちらかを選ぶことも見識の一つではあったが、勝頼は父信玄同様、牛久保領有については山家三方衆の衆中談合に委ねる方針をこのときも採用した。

 勝頼にとって悩ましい問題は他にもあった。

 それは、勝頼への代替わりに伴って家中衆からを起請文を徴収したときに発生した。先衆、譜代重臣、一門問わず広く集められた起請文の中に、西上野箕輪城代内藤修理亮昌秀のそれが含まれていなかったのだ。大兵力を擁する箕輪城代の起請文がないことで、家中に緊張が走った。

「内藤謀叛、討伐軍派遣」

 を公然と口にしたのは長坂釣閑斎光堅であった。大名の代替わりに伴って先代以来の重臣と新主との間に軋轢あつれきが生じることはよくあることであった。よくあることではあったが、それによって生じる事態はよくあることでは済まされぬほど深刻であった。いずれが勝利しても求心力の低下は免れず、家運が衰えるだろうことは避けられない。なので勝頼は内藤討伐などと息巻く長坂を叱った。

「そなたはいさかいの腹いせに、内藤討伐などと口にしているのであろう。少し黙っておれ」

「黙れとの御諚ですが、ではどうなさるおつもりか」

 長坂釣閑斎が不満そうに問うと、勝頼は

「府第に招致して余自ら存念を聴取する」

 とこたえると、跡部大炊助などが

「おやめになるべきです。招致してもし来なければそれこそ謀叛明白、討伐軍を差し向けねばならなくなります。もし参上したとしても修理亮殿が起請文の提出に応じなければ御屋形様の沽券に関わる問題となりましょう」

 と留め立てしたが、勝頼にはこれ以上の解決策があろうとは思われなかった。

「そなた等は何事かはじめる前からあれやこれやと諫止するが、成功の見込みなくして聴取に当たろうという余ではない。少し黙ってみておれ」

 勝頼の言葉に、跡部長坂の二人は黙り込むより他になかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る