婚儀(二)

 信玄に命じられ、高遠城から甲斐府中躑躅ヶ崎館に登城した勝頼は、満面の笑みを湛える信玄より

「そなたに縁談がきた。よきお相手だ」

 と告げられた。

 縁談と聞いて、顔が上気していくのが、自分でも分かった。

 だが勝頼は一瞬にして冷静になった。信玄の傍らに坐する兄義信の表情が、父のそれとは好対照なほどに冷たく固まっていることに気付いたからだ。

「お相手は信長公御養女である」

 義信を傍らに置いて堂々と言い切った信玄。

 勝頼の背筋が凍った。

 それもそのはずである。

 義信は今川義元息女於松を妻に持ち、当代氏真とは義兄弟の間柄だった。織田信長といえば、桶狭間でその義元を討ち取った義信義父のかたきともいえる人物であった。その信長親族を縁戚に迎え入れることについて、義信が面白かろうはずがない。

「養女とはいうが、苗木勘太郎と信長公妹君との間に生まれた信長公姪御であって、大切に育てたことは実の娘と変わらぬほどだと聞いておる。苗木勘太郎といえば・・・・・・」

 この縁談の利点について、取り憑かれたように滔々と語る信玄も異様であれば、信玄の言葉も終わらぬうちに席を立った義信の行動も異常であった。聞くに堪えぬ、という義信の言葉が聞こえてくるようであった。

 信玄はといえば、中座した義信などに目もくれず語り終えると、

「どうだ。悪い話ではあるまい」

 と長い言葉を句切った。

 勝頼は

「ありがたき幸せにございます。謹んで承ります」

 と型どおりのこたえを口にし、信玄の前を退出したあと、兄のあとを追うように、急いで西曲輪を訪ねた。

 兄義信はさぞ怒りに打ち震えているだろうと勝頼には思われた。訪問は、そのことについて詫びるためであった。本来勝頼が義信に詫びるべき性質の話でもなかったが、勝頼は兄に詫びて自分なりに筋を通す以外に身の振り方が分からなかったのである。

 たとえ義信がこの縁談に反対の立場を堅持しようとも、この国で信玄の命令に逆らうことが出来る者など誰一人としていなかった。勝頼は父信玄に命じられるままにこの縁談を受け容れなければならなかったし、義信には納得してもらうより他になかった。

 自分がいまここで詫びることにより、兄の怒りが幾分和らぐというのなら、俺はいくらでも頭を下げよう。

 勝頼はそう思っていた。

 しかし、案に相違して義信は快く勝頼を迎え入れた。

「すまぬ四郎。そなたの縁談、喜んでやりたいのは山々なのだが・・・・・・」

 義父義元公の仇を縁者にするなど捨て置けんと散々罵倒されることを覚悟していた勝頼は拍子抜けした。依然家督を譲られてはいなかったとはいえ、考えてみれば次期惣領たる太郎義信が、勝頼の縁談について何も知らされていなかった、などということは有り得ない話であった。義信はやはり勝頼と信長養女との縁談については反対だったのだろうけれども、賛成意見が多数を占める中、押し切られる形でこれを承認したに違いなかった。中座という前代未聞の行動に出た所以は、義信が心の底から納得する縁談ではなかったからだと勝頼には思われた。

 だが義信は、勝頼が詫びるより先に自ら勝頼に頭を下げたのである。安堵する勝頼に、義信が言葉を次いだ。

「わしはやがて父の跡を襲い武田の棟梁となる身である。そなたは諏方家を継いだ身であるが、龍宝が視力を失い信之が死んだいま、そなたをおいて他に頼るべき弟はいない。わしはそなた自身に遺恨などあろうはずもない。したがってそなたも・・・・・・」

 義信は勝頼の手を取りながら言った。

「兄上!」

 義信の言葉に、こみ上げてくる熱いものを抑えることが出来ない勝頼なのであった。

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