新府移転(四)

 このころの武田家は高天神落城によって分国のみならず、甲斐本国も大いに浮き足立っていた。しかし国境を固く封鎖して内情が伝わることがなかった伊豆方面においては、そのような瓦解寸前の内情が伝わらず武田に靡く動きが秘かに進展していた。沼津城と対峙する徳倉城将笠原新六郎政晴が、俄に武田へと転じたのである。

 そもそも伊豆相模の北条方にとって沼津城は咽に突き刺さった小骨のような存在であった。したがって頻りに兵を出して何とかこれを抜こうと努力していたものであったが、徳倉城は大きな手柄を対武田戦で挙げられないでいた。

 徳倉城に配されていた笠原新六郎政晴は北条家重臣松田憲秀の子であった。天文十六年(一五四七)、武田晴信はこのころ佐久において唯一武田に抗っていた志賀城に笠原清繁を攻めた。当時は依然として威勢を誇っていた関東管領上杉憲政は、麾下将兵を志賀城後巻に派遣したが、小田井原で板垣駿河守信方率いる甲軍に大敗した。晴信は小田井原で討ち取った関東衆の首級三千を志賀城の周辺に並べ立て籠城衆を恫喝し、蟻の這い出る隙もない重囲に囲い込んで志賀城を攻め落としている。この落城の際、笠原一族の能登守光貞が北条家に逃れその被官となったようである。

 その次男が笠原新六郎政晴であった。

 その場合だと、笠原新六郎は一旦松田憲秀の養子に入った後、笠原に復姓したことになる。先に、笠原政晴は松田憲秀の子であったと述べた。笠原政晴は松田憲秀の実子であり、笠原に養子に入ったのだという説もあって一定していない。  

 いずれにしても沼津城攻略を任された徳倉城だけあって、その城に配された笠原新六郎は北条氏政氏直父子によほど期待されていたのであろう。しかし、北条方泉頭城が奮戦して沼津に押し寄せ、城将春日信達に苦戦を強いたのとは対照的に、徳倉城は期待ほどの働きもなく、かえって北条家中から

「徳倉の笠原は臆病者」

 などと陰口を叩かれるようになったという。いたたまれなくなった笠原新六郎の許に、興国寺城曾根河内守から密使がやって来て、謀叛を唆した。

 実は春日信達は、沼津城に北条方を迎撃するに際し、徳倉城兵に対しては殊更頑強に抵抗して散々に打ちのめすことを旨として籠城戦を戦っていた。徳倉城兵の攻め口の守りに兵を回したので、他の方面が手薄になって、こういったところのかまえは他の北条方諸兵によって幾分崩されるということが頻発した。構を崩した北条方は手柄を褒賞されたが、毎度毎度手酷く打ちのめされるばかりの徳倉城兵は顕彰されることがない。笠原新六郎に対する臆病者との誹謗中傷は、武田方のこのような策謀によって作られたのであった。

 何度寄せても狙い撃ちにされて手柄を挙げられず、家中での立場を失いつつあった笠原新六郎は曾根河内守の誘いに乗って、徳倉城ごと武田に転じた。なお笠原新六郎は謀叛に際してその理由を

「黄瀬川における勝頼公の武勇に感じ入ったため」

 としているが、これなど建前であろう。しかしこれが建前であろうとなかろうと、黄瀬川対陣の際の勝頼の振る舞いが内外に武名を轟かせたことに違いはなく、勝頼の武勇が武田に転ずる理由になり得ることを、はしなくも世に示したものであった。

 かかる事態に接し、それまで散々笠原新六郎をそしってきた氏直は驚き慌て、泉頭城兵に徳倉城攻撃を命令した。この動きに対して江尻城代穴山梅雪が反応して徳倉城に援軍を入れている。双方が軍勢をこの方面に投入し、いよいよ氏直自らが出陣してきた。勝頼は味方に転じた徳倉城を救援するため、新府移転のため慌ただしいさなかではあったが天正九年(一五八一)十一月に伊豆方面に出張っている。

 勝頼はこの伊豆出兵に先立つ十月、佐竹義重等に宛てて

「新府城が完成した」

 と喧伝しているが、その実態はというと、とりあえず削平は完了していたものの、本丸はおろか二の丸、三の丸、その他各種のかまえや塀、柵、門、櫓の類いは造作も半ばであり、兵舎もなく到底籠城が可能な様相ではなかった。勝頼はそれでも、新府城への移転を急いだ。

 本拠地を躑躅ヶ崎館より西の韮崎に移すことは、下伊那の防衛が望まれ、かつ甲斐本国への北条方の侵攻を許した今、勝頼にとって喫緊の課題だったわけである。

 笠原新六郎が武田に寝返ったことで多少の遅れが生じたが、勝頼は氏直との対陣を終えるや、休む暇もなく新府移転を進めた。

 府第の大手の外には、金や銀をちりばめた輿こし数十基が、それぞれ実用性よりも装飾に重きを置いた豪奢な馬介うまよろいを着す騎馬に跨がった武者に護られている。駕籠曳きも賤しい身形の者は一人としていない。扈従する人々は士分であれば騎馬侍でなくとも贈答用の太刀、弓を担いで、綺羅をちりばめた絹布の羽織を着用している。騎馬侍ともなるとその豪華な形は際だって映えた。これらの人々が一歩進めるたびに、身に着けた羽織から綺羅がこぼれ落ち、その往路までも美しく輝かせるのではないかと見る人は見たであろう。これらの人々が列を成し、府第を続々あとにする。

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