高天神城陥落(五)

 穴山梅雪斎不白は山下源之丞出奔事件以来、本国に番替衆の派遣を依頼するなど必死に江尻城の舵を取っていた。

 少なくとも衆目そのような評価で一致していた。そこへもたらされたのが

「高天神城が落ちた」

 という報せであった。

 横田甚五郎が徳川の包囲を破って甲府に到達し、後詰不要を説いたのは昨年のことであった。勝頼は高天神城を救出する肚でいたが、小田原北条氏を主敵と定め激しく争っていた時節、徳川或いは織田と後詰の一戦を交える余力など到底なく、そのことを知り尽くしていた一門諸衆はこぞって高天神城後詰を押し止めた。極め付きは高天神城救出を諫止する同城横目付横田甚五郎からの注進であった。

 かかる注進を受けて、みな口には出さなかったが、勝頼の苦衷も知らず

「強敵織田徳川と干戈を交えずに済む」

 などと安堵したものであった。

 しかしいざ高天神城が落ちたとなると、駿河の武田方は激しく動揺した。次の主戦場が駿河に移ることは疑いがなかったからである。しかしそのなかでも江尻城代穴山梅雪斎不白は泰然として高天神城落城の事後処理に当たっていた。

 武田の人々はみな、

「流石は武田の柱石」

 などと褒めそやしたものであった。

 しかし現実には穴山梅雪は高天神城が陥落してからとて、今更何ごとも慌てる必要はなかった。決死の一戦を覚悟していたからではない。既に徳川家康を経由して、織田信長と誼を通じていたからであった。一門筆頭として陸奥守の受領名を得たにもかかわらず、薙髪して梅雪斎不白を名乗ったのは、そのような内心の変化があったからに他ならなかった。

 無論誰にも口外はしていない。重臣と恃む佐野主税助にも、である。薙髪の理由は表向き、信玄の七回忌法要を終えてひと区切り付いたからというものであり、誰もそのことについて不自然に思わなかった。

 城を挙げて織田家に転ずることを決意していた梅雪にとって、当面の問題はその時期であった。梅雪には、現時点で信長に靡くことを宣言したとして、どれだけの城兵がついてくるものか、にわかに判断がつきかねた。武田が周囲に敵を置いて東奔西走を強いられているこの時期、連戦を嫌って色立いろだて(謀叛)する者があっても良さそうなものであったが、それが一向にない。要するに勝頼の類い希な統率力によって、武田家全体の瓦解が一歩手前で食い止められていたのである。黄瀬川の戦いや膳城素肌攻め等で示された勝頼の武威は他国に響き渡り、誰がどう見てもこの時期の武田家がそう簡単に崩壊するようには見えなかった。色立する時期を誤れば、自分は勝頼のためにひと揉みに揉み潰されかねない。梅雪はそう考え、だからこそ勝頼の武威を憎んだのであった。

 梅雪はかかる変心を勝頼に悟られまいと策謀した。本拠移転を口にした勝頼に、七里岩の一角を進上したのも実にその一環であった。新たな府中として新府城の名が与えられた新城であったが、普請作事に着手したばかりで、本丸御殿が間もなく竣工するとの報せが入ったばかりのころである。

 勝頼が唐突に

「本丸御殿落成を以て新府移転を執り行う」

 と宣言した。

 梅雪は思わずこれを押し止めそうになった。あまりにも急な通達だったからだ。だが諫言を怠ったのは実に

(移転を急いで諸人の支持を失うがよいわ)

 という、底意地の悪い思惑からであった。

 本拠を移転するということは、現在は躑躅ヶ崎館門前に構える各重臣の屋敷を新府中である韮崎に移転させなければならないということであった。新府移転が決定してから、人々はおぼろげながら韮崎への移転を覚悟していたものであるが、まさかほとんど造作も成らぬうちに、本丸御殿が落成したからとて勝頼が移り住むことなど誰が予想し得たであろうか。大方自身が新府城に移り住めば家臣団も否応なく新府中へと移転しなければならなくなるという見込みのもとに、勝頼は移転を口にしたものであろう。梅雪は勝頼がかかる強引な移転によって人々の支持を失うことに期待したのである。

 梅雪の策謀はこれだけにとどまらなかった。旧例に則り梅雪は自身の嫡男勝千代に勝頼息女をもらい受けるべく建議したのである。もとをたどれば武田宗家と同祖に行き着く穴山武田家は、歴代宗家と姻戚を取り結ぶ間柄であった。例えば梅雪の実母は信玄の姉南松院であったし、梅雪の正室は信玄の次女であった。こういった間柄もあって、梅雪が勝千代に勝頼息女を望んだことに誰も梅雪の策謀を疑う者はなかった。

 一方で勝頼息女を嫡男の正室に望む他の勢力も武田家中にあった。典厩家がそうであった。今や江尻城に逼塞してその方面にかかりきりの穴山梅雪に代わり、相模守信豊が勝頼に次ぐ立場にあった。この信豊が、嫡子次郎の正室に勝頼息女を望んでいるということを、梅雪は知っていた。そして梅雪は同時に、信豊が梅雪に出し抜かれまいと、自身の嫡男と勝頼の娘との縁談成立に向けて、跡部尾張守勝資や長坂釣閑斎光堅に贈り物を贈呈しているということも、江尻にありながら知っていた。梅雪ははじめから、勝千代と勝頼息女との縁談が信豊に出し抜かれ不成立に終わることを知っていながら建議したのである。梅雪にとっては自分の子の縁談が成立しようがしまいが、そういったことを建議すること自体に意味があったのである。そしてこの縁談は、梅雪が予想したとおり信豊の側に凱歌が上がった。それを聞いて梅雪は、自身の正室、見性院を前に

「屋形が勝千代との縁談を断った」

 と、怒りを顕わにしながらいってみせると、見性院は驚きの表情を示し、次いで怒りにわななきながら

「穴山武田家と宗家は歴代浅からぬ縁を取り結んできた間柄。然るに当代に至ってその縁を断つとは」

 とひとかたならぬ怒気を発した。前述したとおり見性院は信玄の次女である。見性院の実母は信玄正室三条の方であり、一方で勝頼の実母は武田の仇敵諏方頼重の女であった。見性院にとっては側室腹の勝頼が宗家の家督を継承したということだけで気に入らなかったものが、加えてこのたびの縁談不成立である。見性院は大いに怒った。

 梅雪にとって、武田宗家を出身母体とする見性院が反勝頼に転じたことは重要であった。見性院に従って穴山家中に送り込まれてきた武田宗家の目付も、見性院の意向に引き摺られて反勝頼に転じるからである。

 梅雪は勝頼の武勇を畏れ、武威によっては色立しても到底敵わないことを知っていた。だからこそあらん限りの策謀を尽くして、一方で勝頼の信任を得ながら謀叛の露顕を防ぎ、一方で家中を反勝頼に統一することに成功したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る