七尾城の戦い(二)
天正四年(一五七六)九月、噂どおり謙信は能登攻略の軍を起こした。対する能登畠山勢は長続連を筆頭に、急遽掻き集めた二千ばかりの軍兵で七尾城に籠もった。連年出兵を重ねて鍛え上げられただけあって、越後の将兵はあっという間に畠山の領内を蹂躙し七尾城下に迫った。城側は大手口に筆頭家老長続連、蹴落口に遊佐続光、古府谷に
七尾城は
「さすが義総公築城の堅城。自称軍神も攻めあぐねておる。包囲攻城半年、間もなく越軍は兵を退くであろう」
籠城戦の指揮を採る長続連はそういって城兵を励ました。事実、遠征軍の糧秣は細り、さすが百戦錬磨の越後軍役衆にも疲労の色が見えてきた天正五年三月、関東方面で北条が軍を動かし始めたことを契機として謙信は帰国の途に就いた。
だが一度の包囲攻城で堅城七尾を陥れることができる等という安易な見立てのもとに兵を起こす謙信ではない。このたびの戦役によって、七尾城兵には越軍に対する恐怖心が植え付けられたに違いなかった。領民の間にも同様の恐怖が蔓延したことだろう。
(次なる戦役ではこのたび植え付けたであろう抜きがたい恐怖心が、強力な武器となるのだ)
謙信は心中秘かにそう呟きながら、越後へと帰国したのであった。
同年閏七月、北条の動きが止んだことを見極めた謙信は再度能登攻略の軍を起こした。前回の戦役で切り取った支城群は畠山の反撃に遭遇して越軍はこれらを失陥していたが、謙信が自ら出陣すると再び越軍の手に落ちた。
七尾城下では
「越軍再び来たる」
の噂によって領民が浮き足立っていた。城下町への放火、苅田狼藉、誘拐の憂き目から身を守るためには、なんとかして七尾城内に逃げ込むより他なかった。
関東や北信の諸将から義将と讃えられた謙信も、一面においては掠奪者、殺戮者として
領民が救いを求めて殺到するなか、幼君を奉じて再び防御戦の指揮を採ることとなった長続連も、前回の戦役で損耗した城兵を補充する目的で、それまでの態度を変えてこれら領民を惣構のうちに囲い込んだ。少しでも人を集めて戦力の足しにするためである。これによって七尾城内には軍民合算して一万八千人もの人々が
城方は領民を抱え込みはしたが、彼等を二の丸より上には上げなかった。越軍と相通じて城に火を放つの挙を恐れたのである。だが唐突に矢弾を撃ちかけてきた越軍に対抗するためには、武道の心得に欠く領民を全面的にあてにするというわけにはいかなかった。越軍の攻勢と見ると、畠山の侍衆が城中から駆け寄せて、汝はあれに向けて石礫を投げよであるとか、汝はどこそこのほつれた縄を結い直せなどと走り回って号令する。越軍によるひとしきりの攻勢が止んだ後、侍衆は領民にこう呼び止められた。
「厠をなんとかしてくれませんかのう」
越軍の攻勢を退け興奮が冷めた畠山侍衆は、そういわれてはじめて、辺りに立ちこめる糞尿の臭気に気付いた。見れば城中の厠に長蛇の列が並び、閉じた厠の扉と床の隙間から万を超える人々の排泄物が溢れ出している有様であった。この不潔を嫌った人々が、惣構の一角に穴を掘り、そこを急造の厠としているほどである。
侍衆は
(面倒くさいことをいう)
とでも言いたげに顔を
「糞尿は城中に捨てることなく、能う限り城の遠方に棄てよと固く申し付けておいたはずだ」
と、この期に及んで原則論を持ち出し相手にしなかった。籠城の指揮を採る将は、一方で城門を固く閉じて外に出るなと申し達しておきながら、一方で糞尿は城の遠方に棄てよなどと相反する命令を下していたのである。いよいよ困り果てた領民がこのように厠の新設を訴え出ても、畠山首脳部はろくに手を打つことがなかったから、城中の抹糧には今少しの余裕があったが、囲い込んだ領民の糞尿処理がどうにも追いつかなくなってきた。時節は盛夏のころであった。領民の出入りを許していた三の丸までが糞尿に
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