七尾城の戦い(二)

 天正四年(一五七六)九月、噂どおり謙信は能登攻略の軍を起こした。対する能登畠山勢は長続連を筆頭に、急遽掻き集めた二千ばかりの軍兵で七尾城に籠もった。連年出兵を重ねて鍛え上げられただけあって、越後の将兵はあっという間に畠山の領内を蹂躙し七尾城下に迫った。城側は大手口に筆頭家老長続連、蹴落口に遊佐続光、古府谷に温井ぬくい景隆かげたかをそれぞれ配して戦いに臨んだ。

 七尾城は石動山いするぎさん系の山岳に築かれた山城である。七尾の名が示すとおり、山岳から分岐する七つの尾根を巧みに利用して築かれたのがこの城であった。名君義総の縄張りだけあって難攻この上ない。城方に十倍する二万の兵力を擁しながら、越軍による攻略は遅々として進まなかった。越軍は犠牲も厭わず激しく攻め立て、七尾城惣構の最前線に立たされた城兵は次々とその数を減じていく。それでも堅固なかまえに拠って城方は必死の防戦を展開した。力攻めに利あらずとみたか、謙信は矛先を転じ、固く閉じ籠もる敵方の目の前で城下に火を放ち人を拐かし、或いは苅田狼藉を働かせた。敵を堅城から誘き出すための常套手段である。関東において連年劫掠の限りを尽くしてきた越軍の侵攻と聞いて能登の領民は恐慌を来し、惣構の内側に助けを求めようと殺到したが、越軍の付け入りを恐れる城兵はこれを許さない。怒号し或いは鑓の穂先を向け威嚇して、彼等領民もろとも越軍を遠ざけようと企てた。謙信はしかし、城方の前線がかかる混乱を来しているのを尻目に包囲の兵を更に他へと転じさせた。即ち、能登国内の支城群にその鋭鋒を向けたのである。このために熊木城、黒滝城、富来城、城ヶ根山城、粟生城、米山城などがあっという間に越軍の手に落ちた。謙信はこれらの支城に麾下将兵を籠めて周囲から七尾城を締め上げていったが、天下の堅城は陥落する気配がない。

「さすが義総公築城の堅城。自称軍神も攻めあぐねておる。包囲攻城半年、間もなく越軍は兵を退くであろう」

 籠城戦の指揮を採る長続連はそういって城兵を励ました。事実、遠征軍の糧秣は細り、さすが百戦錬磨の越後軍役衆にも疲労の色が見えてきた天正五年三月、関東方面で北条が軍を動かし始めたことを契機として謙信は帰国の途に就いた。

 だが一度の包囲攻城で堅城七尾を陥れることができる等という安易な見立てのもとに兵を起こす謙信ではない。このたびの戦役によって、七尾城兵には越軍に対する恐怖心が植え付けられたに違いなかった。領民の間にも同様の恐怖が蔓延したことだろう。

(次なる戦役ではこのたび植え付けたであろう抜きがたい恐怖心が、強力な武器となるのだ)

 謙信は心中秘かにそう呟きながら、越後へと帰国したのであった。

 同年閏七月、北条の動きが止んだことを見極めた謙信は再度能登攻略の軍を起こした。前回の戦役で切り取った支城群は畠山の反撃に遭遇して越軍はこれらを失陥していたが、謙信が自ら出陣すると再び越軍の手に落ちた。

 七尾城下では

「越軍再び来たる」

 の噂によって領民が浮き足立っていた。城下町への放火、苅田狼藉、誘拐の憂き目から身を守るためには、なんとかして七尾城内に逃げ込むより他なかった。

 関東や北信の諸将から義将と讃えられた謙信も、一面においては掠奪者、殺戮者として蛇蝎だかつの如く忌み嫌われていたのである。謙信はこれら城中に逃げ入る人々を敢えて追わなかった。

 領民が救いを求めて殺到するなか、幼君を奉じて再び防御戦の指揮を採ることとなった長続連も、前回の戦役で損耗した城兵を補充する目的で、それまでの態度を変えてこれら領民を惣構のうちに囲い込んだ。少しでも人を集めて戦力の足しにするためである。これによって七尾城内には軍民合算して一万八千人もの人々がひしめくことになった。対する越軍は前回同様二万ばかりである。攻守拮抗していることを知ってか、越軍は遠巻きに城を囲むだけで強攻めに出て来る様子がない。あっても惣構の最前に矢弾を放ってくる程度のものであった。

 城方は領民を抱え込みはしたが、彼等を二の丸より上には上げなかった。越軍と相通じて城に火を放つの挙を恐れたのである。だが唐突に矢弾を撃ちかけてきた越軍に対抗するためには、武道の心得に欠く領民を全面的にあてにするというわけにはいかなかった。越軍の攻勢と見ると、畠山の侍衆が城中から駆け寄せて、汝はあれに向けて石礫を投げよであるとか、汝はどこそこのほつれた縄を結い直せなどと走り回って号令する。越軍によるひとしきりの攻勢が止んだ後、侍衆は領民にこう呼び止められた。

「厠をなんとかしてくれませんかのう」

 越軍の攻勢を退け興奮が冷めた畠山侍衆は、そういわれてはじめて、辺りに立ちこめる糞尿の臭気に気付いた。見れば城中の厠に長蛇の列が並び、閉じた厠の扉と床の隙間から万を超える人々の排泄物が溢れ出している有様であった。この不潔を嫌った人々が、惣構の一角に穴を掘り、そこを急造の厠としているほどである。

 侍衆は

(面倒くさいことをいう)

 とでも言いたげに顔をしかめ、厠の新設を求めた領民に対しかえって

「糞尿は城中に捨てることなく、能う限り城の遠方に棄てよと固く申し付けておいたはずだ」

 と、この期に及んで原則論を持ち出し相手にしなかった。籠城の指揮を採る将は、一方で城門を固く閉じて外に出るなと申し達しておきながら、一方で糞尿は城の遠方に棄てよなどと相反する命令を下していたのである。いよいよ困り果てた領民がこのように厠の新設を訴え出ても、畠山首脳部はろくに手を打つことがなかったから、城中の抹糧には今少しの余裕があったが、囲い込んだ領民の糞尿処理がどうにも追いつかなくなってきた。時節は盛夏のころであった。領民の出入りを許していた三の丸までが糞尿にまみれ、蚊、蠅の類いが大量に発生した。領民は極めて不衛生な状況に置かれた。用便の後も清潔な水で手を洗うことが出来ず、汚染された手指を経て食糧を口に運ぶより他なかった。

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