雨と彼女と僕と……

泡沫恋歌

雨と彼女と僕と……

第一章 雨と彼女と僕

第一話 雨の女

雨の日に女をひとり拾った。

若くもない、取りたてて特徴もない。

ただ白い肌ときれいな歯並びをもってる、そんな女。


「雨、止みませんね」

「…………」

先ほどから、同じ店の軒下で雨宿りしている女に僕は声をかけた。

「雨、止みません……」

女は空を見上げながら鸚鵡返しに答えた。

「通り雨なら十五分もすれば止むはずなのに……」

僕らはかれこれ小一時間、ここで止むのをひたすら待っている。

「どこかへ行かれる途中ですか?」

女に訊ねる、小ぶりのボストンバッグをひとつ手に提げていたからだ。

「雨が降ったので帰るべきところへ、帰りたくなくなりました」

「そうですか……」

不思議なことをいう。

「濡れてもいいのなら、僕の家はここから歩いて二十分くらいだから、一緒に来ますか?」

そう訊くと、「はい」とあっけないほど素直についてきた。

まるで捨て猫のような女だった。


僕のアパートに着いて、ふたりはシャワーを浴びた。

彼女はボストンバッグの中から着替えを取り出し乾いた服を身に着けた。

「寒くないですか?」

「少し……」

キッチンでお湯を沸かし、熱いインスタントコーヒーを淹れて、彼女に渡した。

「あたし、猫舌で熱いものが飲めないんです。牛乳を入れて冷ましたいの」

冷蔵庫から取り出した牛乳を渡すと、それをどぼどぼ注ぐ、薄温いコーヒーを美味しいそうに飲む。

「ふつうコーヒーは熱いほうが美味いでしょう?」

「熱いものって怖い、早く飲まないとって焦ると口の中が火傷して火脹れになるんです」

「変わった人ですね」

「そうかもしれない……」


おもむろに彼女はボストンバッグから小型のパソコンを取りだした。

「わたしは詩人です。そしてわたしの全てがここにあります」

そう言って、彼女は白い小さなUSBメモリを僕に見せた。

パソコンを立ち上げると、彼女は自分の詩を僕に読ませてくれた。



  【 雨粒 】

  

降りつづく雨のせいで

部屋の空気が重く感じる

ポツリポツリと奏でる サティのピアノはけだるい

大きめのポットにダージリンティを入れて

ゆっくりと茶葉の広がる時を待つ


雨の匂いと紅茶の香りが混ざりあって

不思議なやすらぎを覚える

そんな雨の日の午後が好きだ


一粒の雨粒が水紋となって広かっていく


あの人から手紙がきた

それは家から少し離れたポストに入っている


まるで迷路のような複雑な記号で出来た

あなたの詩は いつも徒にわたしを悩ませる

『 僕はひどく優しいからとても罪深い 』

人の痛みを知ろうとしない 

あなたは一生優しい人のままで居られる


全てのノイズを遮って祠の中に閉じこもる

少しでも触れようと延ばした わたしの手を 

あなたは冷たく払い除けた

虚しく空を掴んだその手に 一粒の種をくれた

それは創作のエナジーとか詰まった種子だった


良く育つように

良く育つように

そういって わたしのために祈ってくれた


一粒の雨粒が水紋となって広かっていく


あなたから手紙がきた

それは一言添えただけの絵葉書


熱いダージリンティを飲み終えたら

赤い合羽を着て出掛けよう 傘はいらない

雨の中いきおいよく水たまりを踏んで 

小走りで取りに行こう

家から少し離れた あのポストまで


手紙はポストから取り出した瞬間

雨粒たちに掻き消されて 

文字が読めなくなってしまった……

たぶん 

それはあなたのノートの切れはしに

書かれた複雑な記号だったかも知れない



「僕、詩はよく分からないんだ」

「詩の意味を知る必要はないのです。言葉に触れて、リズムを感じて、雰囲気に浸ってくれれば、それで十分なんです」

「そんなもんかなぁー」

「詩は生きています、だから意味付けしないで欲しい、感じたまま……そのままで……」

詩人の彼女は、詩について語り始めたが……僕にとっては退屈な話題なので話をかえようと、

「雨は嫌い?」

ふいに浮かんだ疑問を投げかけた。

僕の問いに少し考えて、彼女はゆっくりと答える。

「……雨の日は憂鬱でわたしから気力を奪う、だけど……内面に籠もった熱で詩が書ける。雨は嫌いだけど、実は好きかもしれない」

「矛盾してるね」

「ええ、詩は矛盾だらけの人間だから書けるんです」

「……そんなもんなんだ」

「そう、詩人なんて……そんなもんだと思う」

意味のない会話が、ただ雨音のように聴こえた。


雨が降り続いて、帰りそうもない彼女をベッドに誘う。

彼女は素直に自分から下着を脱いで、僕の自由になった。

僕の愛撫に気持ち良さそうに反応するので安心した。

「若くはないので激しいセックスとかいらない。いつくしむように優しく抱いて欲しいんです」


   触れあったのは愛ではなく

   お互いの触角に過ぎない

   よく知るための男女の儀式

   そこに所有欲を持ち込むのはルール違反


そう言って、彼女は眠ってしまった。

左の薬指にプラチナの指輪をしている、たぶん結婚しているのだろう。

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