花舞い恋狐伝【祝1万PV感謝感涙~!】

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第一編

序章

第0話   輝く少女

 夜陰やいんに紛れ、長屋の屋根をうろつく少女に、通りを歩く者は誰も気づかなかった。


「まさか、この体を使うことになるだなんて」


 吹きすさぶ春風に漆黒色の長い髪がなびく。


 薄物の夜着やぎ姿で、まるで慣れない歩行を練習するかのように、長屋の屋根屋根を裸足で踏みしめてゆく。


 燃えたぎる鉄色の刀身とうしんがまぶしい太刀たちの、その柄を握るのは、少女の白く柔らかな両手。


 その腕が、刀の重さに震えだした。

 あまりにひ弱な体力に、少女の意識を乗っ取っているモノは、ため息が出た。


「やはりこの体、使い勝手が悪いですね……」


 巨大な朧月おぼろづきに見下ろされ、少女は両足を前後に開き、後ろの左足に重心を乗せると、両手で太刀を持ち上げて、真上に振り上げた。


 そして、一気に振り下ろす。


 均衡を崩して、前のめりによろけてドテッと膝をついた。


 少女の体幹も筋肉もできていない体が、長屋一家の安眠を妨げた。


 この体の本当の持ち主は、なんの武芸も習っていない商人の娘。

 重たい武器を操り、敵を討ち取って帰るなど、はなから無理な話であった。


 しかし今はこの体しか頼れない。


 この、火当ひあたり輝耶かぐやという、バカでお人好ひとよしで、どうしようもない小娘にしか。


「こーんな調子でどう戦えというのですか」


 くもって月すら見えぬ中、少女は呆れ顔で闇夜を一閃いっせん

 キレの悪い素振すぶりのように、体全体が持っていかれた。


 両腕が悲鳴をあげ、太刀を持ったままだらりと垂れた。

 刀身をおおう輝きが、吹き消された蝋燭ろうそくのごとくしずまる。


 あとに残ったのは、ごつごつした黒いうろこに覆われた、不気味な刀だった。

「……」

 少女は再び両手で持ち上げると、火色を刀身に宿らせて腕の塩梅あんばいを確かめた。


「早く私に、慣らさなければ」


 疲労した少女の足取りが重くなってきた。

 それでも少女の意識を乗っ取っているモノは、誰もいない屋根を歩いては、ときおり跳躍して、宙を一閃した。




 ……その様子を、一人の美女、由良姫ゆらひめが高みから眺めていた。


「やっぱり輝耶ちゃんね」


 夜目よめく由良姫は、巨大な管狐くだきつねの背の上で、弱々しく唇を噛みしめた。


 これから自分が、この細くて息子すら満足にあやしてやれなかった手で、あの娘を殺めねばならぬのだ。


 一族を、守るために。


「ごめんね……本当に、ごめんなさい、輝耶ちゃん……」


 由良姫はまとった白いかわごろもたもとをたぐりよせて、心の底から詫びた。


 あの少女は幼いころ、息子とよく遊んでくれた可愛い童女どうじょだった。


 けれど今は、化け物に生涯しょうがいを支配されて生きる、気の毒な宿命の少女。


 化け物にしたがわされて、自分たち一族を斬りに来る少女。


(そんなことになるなら、いっそ命を奪ったほうが輝耶ちゃんも幸せよ!)


 そう自分に言い聞かせても、人様ひとさまの子を殺めてしまっては、とても生きていけない。


 自分もすぐに命を絶とうと決意し、ふところから一本の五寸くぎを取り出して、放り投げた。


 釘は弧を描きながら、けれども少女までは距離が足りずに、真っ逆さまへ落ちてゆく。


 ぴたりと、釘が空中で止まった。

 尖った先を、少女の首筋に向け、夜風を切り裂いて真っすぐ飛んでゆく。

 由良姫が操っているのだ。


 このまま進めば少女の首に刺さる。


(ああっ見てられない!)


 由良姫は恐ろしくて、白い着物のそでで顔を覆った。

 白い裘の下からのぞく、鮮やかな緋袴ひばかまが風にはためく。


 少女も迫る気配に気づき、太刀を軽く振り上げた。


 キン、と金属音が鳴った。


 それは長屋通りを千鳥足ちどりあしで歩く酔っぱらいを「お?」と言わせる程度の音。


 そして、少女が刀身で釘をはじいた音。


 はっと顔を上げた由良姫に、安堵あんど焦燥しょうそうが押し寄せた。

 少女が無事だった代わりに、自分の存在が知られてしまったのだ。


「大変! 逃げて!」


 由良姫は管狐に指示したが、それよりも先に、少女が体重の有無を超越ちょうえつした飛躍ひやくを見せた。


 真っ赤に燃える鉄色の軌跡が振り下ろされ、逃げようとする由良姫の背中を強打。


 上がりそうになった悲鳴を喉で押しつぶし、由良姫は管狐の背中を叩いて急がせた。


 まとう火鼠ひねずみの裘が大火傷を防いだが、肌に打撃は届いた。


「逃がしません! ここで始末しま……ああっ! ちょっと、輝耶さん! しっかりなさい!」


 少女の体力が限界に達して、体の均衡が大きく崩れた。

 頑丈そうな大店おおだなの屋根へ落下できたのが、せめてもの救い。


 灰色の雲間へ逃げおおす由良姫の姿が、あっと言う間に見えなくなった。


「こんな好機を逃すなんて!」


 仰向けで動けない少女は、こぶしで屋根を叩いたのだった。


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