30年後の世界でドルヲタになった俺
西田彩花
第1話 突然のタイムスリップ
テレビをつけると、アイドルが歌っている映像が流れてきた。気分が悪くなって、俺はテレビを消した。無音の独り暮らしは寂しい。仕方なくラジオの電源を入れてみた。そこで流れてきたのもアイドルが歌っている騒音。すぐにラジオを消し、音楽プレーヤーを取り出した。
外に出て聞こえてくるのもアイドルの音。家に帰ってもアイドルの音。
俺は、アイドルが嫌いだ。
追っかけなんてやっている友達がいるが、内心バカにしている。確かに可愛いとは思うけれど、実際に自分の彼女にできるわけなんかない。握手会に足繁く通って、金をつぎ込んで、観客席から声援を送って。リアルの女にブランドバッグでも買って一緒にベッドに入った方が、数百倍良い思いができると思う。遠くで歌って踊る彼女たちに叫ぶよりも、近くにいる女に囁く方が、数百倍効率が良い。
アイドルなんて、所詮は売り物だ。プロデューサーが”いかに売れるか”を常に意識して、彼女たちを操り人形のように動かしている。踊らされて金を払い、一緒に寝ることもできないなんて不毛すぎる。
それなのに、外でも家でもどこでも何でもアイドル。アイドルアイドルアイドル。最近はダンスしている様子を見るのも、歌声を聞くのも、嫌気が差してしまった。
「可愛いのは分かるんだけどなー」
そう独り言ちて、スマホのアルバムを開いた。先週寝た女の写真が入っている。触れられるし俺はこっちの方が良い。自分に触られた顔を見るのも可愛いものだ。そういう可愛さは、画面越しのアイドルでは楽しめない。
そんなことを思いながら、襲ってくる睡魔に身を委ねた。ベッドに行くのも面倒で、ソファに座ったまま目を閉じた。
「チュンチュン…」
脳内に響いてくる小鳥の鳴き声で目が覚めた。目を開けると、ブラインドカーテンから朝陽が漏れている。やけにうるさいなと思い、カーテンの外を見た。ベランダには小鳥がいない。あれ?と思って見渡すと、電柱のところに小鳥が数匹。あんなところから鳴き声が聞こえるなんて、相当声量があるんだな…と寝惚けたことを思い浮かべていた。
腹が減って、冷蔵庫に向かう。冷蔵庫の中にはお茶とマーガリン、ジャムくらいしか入っていない。買い溜めするのを忘れていた。土曜日の朝から買い物なんて面倒くさくて仕方ないけれど、それを通り越して腹が減った。髪を軽く整えてから、外へ向かった。
スーツを着たまま寝ていたので、サラリーマンが休日出勤しているみたいだなと、ちょっと笑った。土曜日の朝なんて滅多に外に出ないけど、意外と人が歩いている。たまにスーツ姿の男ともすれ違った。あれは本当の休日出勤っぽいな…と思いつつ、土日休みを死守する自分に改めて感謝した。仕事なんて、月曜日から金曜日までで充分だ。
なんて呑気に考えていたけれど、コンビニの目の前に着いてやっと違和感に気づいた。小鳥の声、野良猫の声は脳内に響いてくるのだが、人の声が一切聞こえない。今まで何人とすれ違った…?そう思い返しているうちに、コンビニに若い女2人が入っていった。談笑している様子なのに、声が聞こえない。相変わらず小鳥の声だけが耳に響いてくる。
頭がおかしくなったのかもしれないと思ったが、まだ寝惚けているのだと考え直した。とりあえず食い物を買おう。コンビニに足を踏み入れると、コンビニ特有の音楽が聞こえた。と、同時に。
「いらっしゃいませー」
怠そうな男の声も聞こえた。人の声を耳にするのは、今日初めてかもしれない。もしかしたら、俺は夢を見ているのかも…。だったら夢で遊んじゃえば良いか。
エロ本コーナーに行って、一番刺激的な表紙の雑誌を手に取った。普段なら絶対にしない行為だ。雑誌を開いた瞬間だった。普段なら写真で飛び込んでくるはずの情報が、脳内に直接出てくるのだ。下着姿の彼女は、挑発的な顔をして俺に微笑みかけてくる。なんというか、とてもリアルなのだ。写真じゃなくて本当の人間がすぐそこにいるかのような。
「私のことどうしたいの?」
女の声が俺の頭に響いた。周りを見渡しても、ここはエロ本コーナー。女なんていない。雑誌にもう一度目を落とす。
「私と何がしたいの?」
さっきと同じ声が脳内に響き、微かに良い香りがした。女の子特有の、あの匂いだ。
すげー夢だなと思い、雑誌をめくる。めくるたびに、違う女が脳内に入ってくる。どの女も官能的で、この夢なら一生見ていても飽きないかもしれない…。そう思った瞬間。
「あのーすいません」
突然オッサンの声が脳内に響いた。いきなり官能の時間を邪魔されて、俺は怪訝な顔をして振り向いた。そこには50代くらいの冴えない男が立っていて、エロ本に手を伸ばそうとしていた。
「あっすいません」
思わず声が出て、体を動かした。そのときのオッサンの顔は忘れられない。宇宙人を見るかのような目つきで俺を注視したのだ。流石にカチンと来て、
「何か用です?」
と語気を強めにして言った。
「いえ…随分アナログだなぁと思いまして。珍しいですね」
再びオッサンの声が鳴り響いた。アナログ?アナログって何だ?
「最近は喋る器官が衰えているとまで言われているのに、あなたは随分はっきりとした発音で驚きました。それだけです、すみません」
オッサンの声がもう一度響いたが、言っている意味が分からなかった。まぁ夢だし…と思いつつ、俺はエロ本コーナーを去った。食い物を買おう。
パンとカップ麺を手に、レジに並ぶ。待っている途中、スポーツ新聞が目に入った。そういや馬券買ったままだな…スポーツ新聞も手に取った。そのとき、目を疑った。スポーツ新聞に”2067年”と書いてある。ちょうど30年後の日付け。いや…夢だよな…夢だよな…。自分に言い聞かせた。
レジの順番が来て、店員の女らしき声が頭に響く。
「通常決済で宜しいでしょうか」
「あ…はい」
カードを取り出すと、不審な顔をされた。
「当店ではそちらのカードは取り扱っておりませんので…」
「あ、ごめんなさい」
昨日までは使えたはずなのに、と思いつつ、現金を出した。
「現金…でしょうか」
彼女の戸惑った声が脳内に響く。
「はい」
その女は隣のベテラン風な店員に聞きにいった。現金が取り扱えないって…どういうこと?
「お客様、大変失礼しました。最近は現金払いの方がほとんどいらっしゃいませんもので…」
ベテラン風の店員は、現金を手に取って奥へと入り、お釣りを持ってきた。
「ありがとうございましたー」
店員2人の声が鳴り響く。
何?この夢。夢ながらも気が狂いそうで、さっきのエロ本オヤジのところへ行った。彼は没頭するように雑誌を眺めていた。
「すみません」
俺はオッサンに話しかけた。オッサンは振り向いて、俺を見つめる。
「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
オッサンは雑誌を置いて、コンビニの外まで着いてきた。
「あの、質問なんですけど」
「…はい」
「今は何年ですか?」
「2067年ですが」
「さっき言っていた意味を教えていただけますか?」
「えーと、どれですか」
「俺がアナログだってこと」
「ああ…なんだか過去からタイムスリップしてきたみたいですね」
オッサンは笑った。オッサンによると、脳内にある”スイッチ”をオンにして、話しかけたい相手に対してだけ脳内で話しかけるそうだ。スイッチのオンオフは簡単。この人に話しかけたいと思うだけだ。その後で内容を伝えれば良い…脳内で。オッサンも昔は”アナログ”な喋り方をしていたそうだが、15年ほどはもうこの方法だそう。”アナログ”な喋り方を忘れてしまいそうだと苦笑していた。
買い物方法について聞くと、今では現金支払いなんて考えられないとのこと。現金を持ち歩くのは危険だという発想で、脳内に組み込んだバンクを使って支払いするのが普通だそうだ。
「バンクの登録ってどうやるんですか?」
「ああ、金融機関に行くと良いんだけどね、今現金を持っているならそれで良いよ。現金いくらを脳内に入れると意識して、払うときにはその金額を支払えば良い。お釣りもちゃんと返ってくるよ。無闇に現金を出すと狙われちゃうから、バンク登録がまだならそうした方が良い」
オンオフとか意識とか、ちょっと意味が分からなかったので、”アナログ”ではない方法でオッサンに話しかけてみた。『俺はこのオッサンに話しかける…』。
「どうもありがとうございます」
「あれ、できるじゃないですか。何の冗談かと思いましたよ」
オッサンは笑いながらコンビニに戻っていった。
オンオフも簡単だとすれば、買い物も簡単…?だけどこのコンビニでもう一度レジに行くのは躊躇われたので、近くにある違うコンビニまで歩いていった。そこのコンビニで適当に少年誌を取り、レジに並んだ。ちなみに少年誌にも2067年発行と書かれていた。
レジでオンオフをして「通常払いで」と言い、『財布に入っている千円札を脳内に…そして脳内から千円札を出す…』と意識した。
その瞬間、店員がクスリと笑った。あれ、と思って店員の顔を見ると「すみません、レジでバンクに移す人なんて初めてだったもので」と言われた。オンにしたまま強く意識すると、それも丸聞こえになってしまうのだと学んだ。
「では千円頂戴しましたので、460円のお釣りです」
店員はそう言い、俺は会釈してそのコンビニを出た。そして丸聞こえになっちゃまずいと、オフにした。
財布を開いてみると、あったはずの千円がない。千円は俺の脳内に移動したのだろうか。
不思議な夢だと思いながら家へ向かった。夢にしてはグダグダ感が少なくないか…?というより整合性が取れすぎているような…。
家に入るとドッと疲れが押し寄せてきた。さっきまで腹が減っていたのに、食べるのも面倒だ。2軒目のコンビニで買った少年誌を取り出す。開くと可愛い女の子が水着姿で微笑んできた。
「いつもありがとう」
ありがとうって何だ…と思いつつ、ページをめくる。無邪気な笑顔で手を降っている。
「あなたのこと、好きだよ」
…え?若干赤面した俺は、雑誌から目を離す。可愛い。俺のことを好きだって言ってくれている。もう一度雑誌を見る。大きくて潤んだ瞳が、俺を見つめている。女の子の柔らかい感触も伝わってくるし、凄く良い匂いがする。
「私のことだけ見ててね」
その声は、今まで聞いたことないくらいに甘かった。空腹も忘れて、食い入るようにグラビアページをめくった。人気のアイドルグループに入ったばかりの子らしい。”
こんな可愛いアイドルが、こんなリアルに感じられるなんて。自分の彼女にならなくても良い。追っかけをしている友達の気持ちが、なんだか分かった気がした。…といってもこちらは4D体験だぜ!と勝ち誇った顔をする。
夢から覚めたら、きっとユメミーもいなくなる。グラビアページを何度も見ながら、自分の彼女のように扱った。ああ、ユメミー。俺のものだよ。そう思いながら、雑誌を開いたまま眠りについた。眠りたくない、もう一生この夢の世界で良いのに…と思いながら。
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