四月八日(月)

25.本番

 休みが明けると、月曜日だった。

 当たり前だ。でも、つい先月まで学生だった私からすると、それは久しぶりの感覚だった。専門学校では月曜日に授業がないということもあったから。

 電車を降りて、駅を出て、歩いて歩いて歩いて某ビルに到着する。

「ふっひー……」

 深呼吸をする。目の前には五階建ての黄褐色のビルがある。ヒロインワークス株式会社はここの五階。そこまで上がらなければならない。ポケットからスマホを取り出して、時刻を確認する。始業時間は十分後だ。

 バクリ、バクリと、心臓が重低音を鳴らしている。緊張で、腹の奥にしびれるような感覚が走る。「ふっひー……ふっひー……」と再度深呼吸をして、体の震えを止める。目を見開いて、覚悟を決めて、

「うっし。行くで」

 自動ドアからビル内へ入り、そのまま直進。右に折れ曲がって、廊下を直進し、エレベーター前へ。上矢印のボタンを押して、しばらく待つ。籠が降りてきた。中には誰も乗っていない。ドアがプシューと開いて、それに乗り込む。五階のボタンと閉まるのボタンを素早く押す。籠が上昇を開始した。

 ……。

 緊張してきた。

 いや、でも、多分、大丈夫なはずだ。やれることは全てやったし、完成度も十分高めたし、自信……はないけれど、それでも自分が思う『最も素晴らしいキャラクター』が出来上がったのだけは確実だ。

 キャラクター作り。

 ヒロインワークス株式会社の業務、それはキャラクター作りだ。ここ二次元の世界の中で、様々なキャラクターを考案、制作、実演する。それを三次元の世界のクリエイターたちに読ませる。そして、そのキャラクターに影響を受けたクリエイターたちは、そのキャラを彼らの作る二次元の世界の中に産み落とす。

 二次元が三次元へ干渉し、そしてまた別の二次元へと干渉する。三次元を通して私たちは別の二次元に影響を与えるのだ。

 私のキャラクター。

 私が作ったキャラクター。

 それを、これから披露する。

 それを、これから見せる。

 それを、これから読ませる。

 鎖肉爪鷹というキャラクターを、これから思う存分、見せる。私はそのキャラクターを『地の文』を用いて、事細かに記述し、文章へと加工する。その活字を読んだ読者は、そのキャラクターから大いに影響を受ける。インスピレーションといってもいい。彼らに閃き、衝撃、震撼、戦慄……といったような、ありとあらゆる感情を誘起させる……ことができるかもしれない。まだ分からない。私の作り上げたキャラに、そこまで強い魅力があるだなんて断言できない。自信もない。

 そうだ。私は社長を納得させられるかどうかすら怪しいのだ。そんな状態で、読者を、それも三次元のクリエイターたちを震撼させられるだけのキャラを作れた……だなんて、断言できない。それでも、それが私の仕事だ。やらなければならない。できるできないじゃなくて、やらないと。プロなんだ。雇われでも、四月の一か月分がタダ働きでも、私はこの会社の社員なのだ。求められる結果を、出さないといけない。

 それが、社会人。

 なんて、エリートキャリアウーマン風な空想をしている間に、エレベーターは五階に到着した。チーン、プシューという大音量とともに、ドアが開いた。

 外は廃墟だった。もうとっくに見慣れた景色だ。エレベーターを降り、廃墟に足を踏み出した。その部屋から別の部屋へ出て、廊下に出て、歩いて歩いて、事務室に到着する。

 誰もいなかった。まだ羽子さんも社長も来ていない。見慣れた麻雀台に、イスが二つ。段ボール箱が五、六個、地面に置かれている。

 どうやら廃墟の外、無人島の天気は曇りのようだ。日差しが少なく、そのため室内は暗かった。

 二つのイスのうちの、一つに座った。

 脚を組む。太ももに肘をつく。手の甲で顎を支える。麻雀台の横で、ぼおーっと外の景色を眺める。緑色の木々が風に揺られてバサバサと音を鳴らしている。鳥の鳴き声はしない。天気が悪いからだろうか。これから嵐でも来るのかもしれない。

 それにしても。

 本当の本当に、一週間があっという間だった。何というか……結構時間の余裕がなかった。そのせいで、あまり記憶がない。いや、色々なことが起きたのは確かだが、そうであるがゆえに、細かいことが頭に残らなかったような、そんな気がしている。充実し過ぎたがゆえに思い出が逆にない……といった症状だ。分かる人には分かると思う。

 忙しかった。良く言えば、充実していた。悪く言えば、忙殺されていた。でも、こういうものなのだろう。これからずっとずっと……寿退社とか産休とか、あとはクビになるとか会社が倒産とかしない限り、今のような日常が延々と続くのだ。

 カバンの中から設定ノートを取り出した。膝に載せて、開いた。詳細に……かは分からないが、とにかくそこには私が考えたキャラクターである鎖肉爪鷹の設定が、びっしりと書き込まれていた。

 この設定から、一人のキャラクターが生まれた。

 キャラクターに詳細な記録は必要ない。いるのはエピソード。そのキャラを語るうえで必要なエピソードがあればいい。そのキャラがなぜそんな性格になったのか、とか、なぜその道を志すに至ったのか、とか。そういったキャラのキャラ性の根拠になる土台があればいい。それらエピソードをふまえたうえで、キャラの方向性が定まる。そして、動く。他のキャラを巻き込みながら、舞台を渡り歩いていく……。

「おはよう、侑ちゃん」

「あ、はい」

 声がした。顔を上げ、振り返って見ると、羽子さんがいた。入口から事務室の中へ歩いてくる。

「おはようございます、羽子さん」

「もうすぐ、きずきちゃんも来るって。先に行っとこうか」

「そうですね」

 地下に。

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