23.ドアの向こう側
地下のコンピュータールームにて。
モニターの画面から目を引きはがし、両手を組み、天に向けてううんと伸ばした。肩は凝っていないけれど、少し目が疲れた。
舞台は大体決まった。N県の某市を、ほんの少しだけ脚色し、(魔)改造し、新たな世界観へと作り替えたものだ。やはり、いくら『ここ』も二次元とはいえ、そのまま使うには無理があったのだ。この世界、私の世界の『設定』のままでは、私のキャラクターたちは動かない。
そう、ここも二次元だ。私が生きているこの世界も二次元であることに違いはない。もう私はそれを否定しない。この世界が二次元であるという事実を認識することへの抵抗感は、大分薄れた。
そして、私が作ろうとしている世界も二次元だ(いや、この場合は『一次元』と呼ぶべきだろうか。二次元内で作られる創作上の世界を何と言ったらいいのだろう……とりあえず『二次元』としておこう)。
私のいる世界と、私の作ったキャラクターのいる世界。
それら二つの世界の間には乖離がある。舞台の質が違う……世界観が違うのだ。
私が生きているこの世界は、比較的リアルで、三次元に近い(そもそも最初のうちは『この世界は三次元である』という前提、暗黙の了解があった。あの決定的な発言を二人がするまでは)。一方、私が作ったキャラが活躍する世界は、そこからややずれている。これらの世界観のズレを矯正しなければならなかった。
が、もういい感じにまで仕上がってきた。
超ジュピの世界は完成に近い。
二次元の世界。そこでは、『キャラクター』と一緒で『舞台』にもある程度の設定が必要になる。三次元とまったく同じ歴史をたどった世界であるのか、それとも違う歴史をたどった世界であるのか、といった大まかな設定から、キャラクターたちが通う学校の設定、キャラクターたちが住む街の設定、家の設定、部屋の設定……といったような細かな設定まで。
しかし、そこはキャラクター設定と同じだ。詳細すぎる設定は必要ない。二次元の世界を構成するうえで、必要のない細かい無駄な設定は省いても構わない。あるキャラクターが二十五歳三か月二十八日六時間五十一分七秒二二のときに何をやっていたか、何を思っていたか、何を考えていたか……などの細かい設定が不要なのと同じだ。物語の舞台でも、例えば小説なんかで、主人公が住んでいる家のトイレのマットの柄なんかを一々記述していたのでは、間延びして間延びして、にっちもさっちもいかないだろう。そこら辺は『マット』でいい。それ以上の設定はいらない。それ以上のことを物語に盛り込む必要はない。そこら辺は読者の脳内で勝手に補完される。
推理小説だと細かいことを書く必要もあるのかもしれないけど。
……今気付いた。だからミステリーってページ数多いのが多いのか。
閑話休題。
超ジュピの世界観と舞台、そして鎖肉爪鷹のキャラクター像も、完成に近づいていた。
基本的な設定から、シーンの演出、脚本までの九割ほどが完成していた。あとは、詰めるだけ。発表は月曜日だ。完成しそうになかったら土日も作業、という厳ついことになる予定だったが、それもなさそうだ。うん。よかった、よかった。
「……」
イスに座ったまま、室内を見渡してみる。
私一人だ。羽子さんも城崎社長もここにはいない。完全に私一人。部屋の入口を見たが、誰かが入って来る気配もない。音もしない。部屋の中は静まり返っている。
……よし。
色々探検してみよう。とりあえずは、この前、羽子さんが私に「入るな」と言ったあの開かずのドアの向こう。部屋の側面の壁についている複数のドアの向こう側の空間だ。先日は「入るな」と言われて入らなかったけれど、でも気になるものは気になる。好奇心が膨れ上がり、今まさに私の理性を超えんとしている。このままではまずい。早く中を覗いて、好奇心の膨張を食い止めなくては。
ヒロインワークスの企業秘密。羽子さんがポロリと漏らした『ウルトラコンピューター』という単語や、昨日社長が言っていた『究極のキャラクター』という概念。それらに関連がある何かが、そこにあるのかもしれない。いや、実際あるに違いない。
席を立って、左の壁の際まで移動する。ドアは一つの壁につき計六枚あった。私はそのうちの部屋の前方から数えて二番目のものの前に立った。このドアを選んだ理由は特にない。何となくだ。
ドアノブに手をかける。
回す……回った。
ドアを引いていく。
ドアは大した音も立てずに開いていく。中は暗い。真っ暗だ。戸が開くにつれて、その闇はどんどんその面積を広げていく。
足を入れる。ドアの向こうの暗い空間に、私は足を踏み入れる。別にびびるようなことではない。先ほどのコンピュータールームと同じタイプの床だ。ただ暗いだけ。空気も同じ。においも同じだ。異臭がするということもない。だから恐れることは何もない。
壁に手を這わせる。スイッチらしきものに触れた。それを強く押し込んだ。パチンッという音とともに、明かりがついた。照明。それほど明るいわけでもない。そう、私の背後のコンピュータールームの照明と、まったく同じ照度の明かりが灯っただけだ。電気が点いただけ。
見ると、
そこは、コンピュータールームだった。
「……あれ?」
三十台くらいのデスクに、三十脚くらいのイス。それらが規則正しく並んでいる。デスク群の上にはパソコンらしきものが置かれており、部屋の正面には一つの巨大なスクリーン。
どこぞの専門学校のコンピュータールーム……のような場所だった。
というか、さっきとまったく同じところだった。振り返る。ドアの向こう、そこには、さっきまで私がいた、作業をしていたコンピュータールームが見えた。
コンピュータールームと、また別のコンピュータールームがドアを通じて繋がっている?
見渡してみると、その部屋の左右の側面の壁にも、いくつかのドアがついていた。そこを開けると、また別のコンピュータールームに出るということだろうか。
いや。
そこで私は気が付いた。
ドアの、反対がないことに。
最初の部屋の側面の壁には、ドアが複数ついていた。左右で各々六枚ずつ。当然、それらドアの向こうにはドアがある。当たり前だ。ドアの反対側はドア。ドアを開けると、その向こうではドアが開らくということだ。
しかし、その壁にはドアが一つしかなかった。
正面、後ろ、右と左のうちの、後ろの壁にである。私が今開けて入って来た、ドアがついている壁にである。六枚なければならないはずのドアが、一枚しかなかった。
あるのは壁だけだ。ドアの反対側がない。触ってみたが隠し扉のようなものがついている様子もない。ただの壁だ。
最初の部屋に戻った。左側面の壁の六枚のドア。私はそのうちの、前から二番目のドアを開けたのだった。
一枚分だけ後ろに下がった。
前から三番目のドアを開けた。中はさっきと同様暗かった。電気を点ける。
コンピュータールームだった。最初の部屋と、二番目の部屋とまったく同じ形態の部屋。同じく左右両側面の壁には、それぞれ六枚のドアがついており、後ろの壁のドアの数は足りていなかった。
「……」
上着を脱ぎ、三番目の部屋の床に置いて、そこを出た。最初の部屋の左側面の壁の、前から二番目のドアを開け、床を確認する。上着は、なかった。
つまり。
これは、おそらく。
空間と空間を繋ぐアレだ。都内のエレベーターと無人島の廃墟を繋げたように、社長がコンピュータールームとコンピュータールームを繋げたのだろう。横の壁についた左右合わせて十二枚のドアと、それぞれに対応する十二部屋を繋げた。そして、その先の部屋の壁にも十二枚のドアがあり、そこからさらに別の十二部屋に繋がっている……ということだろう。
つまり、コンピュータールームが十二×十二×十二×十二×十二×十二×……と続いていくということだ。そのそれぞれの部屋に計三十台のコンピューターがあるとすれば、十二×十二×十二×十二×十二×十二×……×三十台のコンピューターが、ここに、この地下に、存在しているということになる。
それだけのコンピューターを、ヒロインワークスは所有しているということになる。
何のために?
もちろん、『究極のキャラクター』を作るためだろう。つまり、これら大量のコンピューターが連結して連動することによって『ウルトラコンピューター』になっているのだ。そしてウルトラコンピューターの演算の結果、究極のキャラクターの『設定』が生み出される……と、そういうことだろう。
何のために?
ヒロインワークスは何のために……究極のキャラクターなんてものを生み出そうとしているのだろう。そもそも究極のキャラクターって何……?
それだけは、分からない。
……。
出よう。
とりあえず、出よう。誰かに見つかるといけない。最初の部屋に戻り、左の壁の前から三番目のドアを開ける。床の、さっき私が落として置いておいた上着を拾って着る。その部屋を出て、最初の部屋に戻った。
イスに座って、脚を組んだ。太ももに肘をついて、ぼおーっと、開け放たれた二つのドアの向こうを眺める。二つのドア、その向こうの、二つのコンピュータールーム。空間と空間が物理法則を無視して繋がっているため、その景色が、寄り目をしたときに見える風に別れて見えた。
……ダメだ。気分が悪くなりそう。席を立って、ドアを二つとも閉めた。
部屋の壁のドアの向こう側には、また別の部屋がある。その部屋のまたその向こうにも、別の部屋があって、それが延々と続いていく……のかは知らないけれど、とにかく大量のコンピューターが『ある』のは事実だ。このパソコンに似た機械一台で、いくらするのかは分からない。でも、おそらくこんな小さな会社の資金で購入できるような額ではないだろう。いや、そもそもこの会社、どうやって利益を得てるんだ? 株式会社? 株主とかいるの?
……ううん、ますます疑問。考えれば考えるほどに謎が出てくる。
この企業、私が思っている以上に闇が深いのもかもしれない。
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