第15話 痛い
翌日。学校に行く気力など微塵も無かったし、小宮に何をされるのだろうかという恐怖が足を満足に動かしてくれなかった。それでも、逢来をそのままにしておく事はできなかった。
周りからの目線が途端に怖くなった。これまで日陰者を演じ続け、誰の記憶にも残らないように過ごしてきた筈なのに、どうして一番見つかりたくない人間に知られてしまったのだろうか。
生徒玄関へ行き、教室までの廊下を歩く。ここまではいつも通りだった。
扉を開き教室へと入ると、黒板の前に群がるクラスメイト達。その内男子の殆どが携帯を片手に写真を撮っていた。何があったんだろうと思い、近くに佇む佐武に声を掛けた。すると佐武は異常なほどに汗をかいていて、やけに挙動不審だ。
「おはよう佐武君。あれは、何かあったのかい?」
「な、何だ、鞍嶋君じゃないか。見れば分かる事さ、自分の目で確かめてきなよ」
普段のおっとりとした口調はどこにいってしまったのか、語気が荒くなっている。
不審に思ったが、掘り下げてもどうにもならない雰囲気を感じて黒板の方に向かう。
人混みの隙間から黒板を見ると、そこには一枚の写真が貼られていた。
一糸纏わぬ姿で、顔の部分にはモザイクが掛けられており誰かまでは判別できない。しかし、撮られているその場所、身体の痣に傷……僕にはそれが誰なのか一瞬で理解出来てしまった。
――逢来の写真だ。誰がやったのかなんて、考えるまでもない。
人混みを掻き分けて、慌ててその写真を引き剥がした。クラスメイトからの視線が僕を貫く。「何、こいつ」「でしゃばるなよ」そんな言葉が容赦なく投げつけられた。それでも、この写真がこいつらの目に触れる事が耐えられなかった。手の平でぐしゃぐしゃに丸めてしまう。
すると、僕の後ろから実に不愉快な声が聞こえた。
「やっぱり、どっかで見た事ある顔だと思ってたら同じクラスだったんだな、お前」
小宮だった。馴れ馴れしく僕の肩を抱き、耳元でそう囁かれる。
「こんな事をするのはお前位だ……。虐めにしたって度が過ぎてるだろう……」
「いーや、俺じゃない。撮ったのは俺で間違いないけどな」
「じゃあなんでこんな写真が黒板に貼られてるんだよ!」
思わず大声になってしまう。怒りは時に人を狂わせて、恐怖を簡単に置いてけぼりにする。周りのやつらも「そんな声出せんのか」「なんで怒ってんのこいつ、気持ち悪い」なんて好き放題に言っている。
「さあ? 俺の携帯から間違って誰かに流出したのかもな?」
あくまでもとぼける小宮。段々腹が立って、喧嘩じゃ勝てない事は分かっているけれど拳を強く握った。この憎たらしい顔に向けて思いっきり振りぬいたら、一体どれだけ気分が良いのだろうと思う。
理性はどこかに消え、後先何も考えずに小宮の顔面を殴りつけた。
すると小宮は避けようともせず、僕の拳をそのまま受け止めた。若干よろめいたが、倒れる事はなく。姿勢を元に戻すと口の中から僕の制服に目掛けて唾を吐いた。流石に口の中が切れていたようで、それには血の色が混ざっていた。
「おい皆! 今の見たかよ? こいつ俺の事殴ったぜ? 俺は何もしてないのにさ!」
やられた、と思った。
クラスの人気者と、クラスの日陰者。どちらの方が影響力があるのか、そんな事分かりきっている。どれだけ僕の方に正当性があっても、小宮が「それは違う」と言えばそうなってしまうのだ。しかもその瞬間は、クラスの殆どに目撃された。今や僕は「クラスの人気者を殴った頭のおかしいやつ」に見えているのだろう。
大した筈ないのに痛がる振りをする小宮と、それを気遣う男や女。殺気の込められた視線が僕を射抜く。
そんな時、教室に入ってくる生徒がいた。
「何……してるの……?」
逢来だった。見るからに元気の無いその顔は、僕と視線が合うも直ぐに逸らされてしまう。人混みの中にいた岡本が囁くような声で「本人が来た、間違いないよ」と呟いた。彼女の身体に痣や傷を付けた本人が言うのだから間違えようもないなと思う。
「あ、おはよう逢来ちゃん。いやね、朝からこんな写真が張り出されててね」
そういって小宮は僕の手から丸まった写真を奪い取り、丁寧に皺を伸ばしながら元の形に戻しては逢来へ見せ付けた。
一瞬で青ざめていく彼女は、それだけで本人であると言っているようなものだった。
ざわつくクラスメイト。昨日から引き摺っている吐き気が強くなった。
そんな僕らに追い討ちを掛けるように、小宮は話を続けた。
「ていうかさ、大分前にクラスに広まった写真あるよね? あれに写ってたのって、もしかしてお前ら二人だったりする? そうだとしたら、こいつの行動も逢来ちゃんを庇う為のものだって理解できるよね」
数ヶ月前、逢来が改めて虐めを受けるようになった原因の、僕と彼女がカフェに行こうとしている所を隠し撮りされた写真。今更になって掘り起こされた内容だったが、クラスの連中はそれを忘れていなかったようだ。周りからは「確かに」「そう言われてみれば納得だ」なんて声が聞こえてくる。
あぁ、もう駄目かもしれない。このクラスに僕の居場所は一瞬にして無くなった。元々あったかどうかと聞かれれば怪しいところではあるのだが……。
始業の鐘が鳴り響いた。「それじゃあ、また後で」と僕の耳元で囁いてから小宮は自分の席に戻る。たったその一言で、この学校という場所から逃げ出せなくなった。これは脅し以外の何物でもない。
授業が始まる。内容はいつも聞いていなかったからどうでも良かったが、「また後で」と言う小宮の言葉だけが頭の中で何度も繰り返される。休み時間になると、何度か男子便所に駆け込んでは胃の中の物を吐き出してしまった。
放課後になるまで小宮は、僕にこれといった接触をしてこなかった。その代わりに、僕が怯える様子を遠くから眺めて楽しんでいるらしい。恐怖と悔しさで頭がおかしくなりそうだった。
そんな状態の僕と、あれからずっと俯いたままの逢来が連れてこられたのは、昨日と同じ教室。
そこにいたのは小宮と岡本、それに取り巻きの月下と春山、普段小宮と仲良くしている北条の五人。小宮と仲が良いという時点で、北条もまた虐める側の人間だという事は分かりきった話だろう。
そんなやつが何故この場にいるんだ? この件に関しては、これといった係わりが無い筈なのに……北条が不気味に見えて仕方が無い。
不愉快な笑顔を貼り付けたそいつらの中から小宮が一人、僕の方へと近付いてきた。
「さっそくだけどさ、この写真どうして欲しい?」
携帯の画面を僕に向ける小宮。写っているのは勿論、今朝の写真だ。
「消してくれ……ってお願いしても、聞いてはくれないんだろ」
「うん、その通り。とりあえずさ、今朝殴られた分のお返しからだよね」
言い終わるや否や、僕の左頬に強い衝撃が走った。その衝撃に耐える事もできずに床へと倒れこむ。そこでやっと殴られた事に気が付いて、口の中に血の味が広がった。
痛みで視界がぼやける……我慢しないと涙が出てきそうだ。
思わず殴られた頬を手で押さえるが、和らぐ事はなかった。むしろ、段々とその実感が沸いてきて痛みが鮮明になってくる。
「はぁ……気分良いなぁ。やっぱり女の子殴るより男の方が遠慮はいらねーからさ……でも、まだ足りないなぁ。俺ってクラスのみんなの前で殴られたんだぞ? 俺は、お前に恥をかかされたんだぞ? まさか、一回殴られた位で済むと思ってないよな?」
尻餅をついたままの僕に小宮は跨り、首元を掴む。そのままもう一度殴られた。何度か抵抗してみるも、力の差が大きすぎて全く意味が無かった。
五回程殴られた辺りで鼻血が出ているのに気が付いた。
自分の顔がぬるい血液で汚れていくのを感じていると、小宮の暴力も止まった。
「……手が汚れる、もういいや」
僕の上から小宮が降りても、立ち上がる気力は無かった。身体に力が入らなくて、自分の心が綺麗にへし折られているのが分かる。
駄目だ、やっぱり僕なんかが調子に乗っちゃいけなかったんだ。彼女の為とか言っておきながら、僕は何もしてあげられなかった。今、この現状は、彼女が一番見たくない光景だった筈だ。面倒事に巻き込みたくない、心配を掛けたくない、彼女はそう言っていた筈なのに……僕は全てにおいて彼女を裏切ってしまった。
血なのか涙なのかさっぱり分からないものが顔の表面を流れている。そんな僕の視界の端には逢来がいた。無気力な表情でじっと遠くを見ている。
「それじゃあ次は逢来ちゃんだけど、やっぱり写真消して欲しい?」
逢来は怯えた様子で自らの腕を抱きかかえながら、小さく無言で頷いた。
「じゃあ、ちょっとお願いあるんだけどさ……北条、お前の番だぞ」
「お、やっと俺か」
教室の奥、小宮が僕を殴っている所を羨ましそうに見つめていたこの男が、彼女の元へと近付く。
「ども、何回か話した事あると思うんだけど、俺の事は覚えてる?」
「覚えてない」
冷たい声色で、逢来は目も合わせずに答えた。
「うわぁ、冷たいな。最近彼女に振られたばかりで、傷心中の俺には厳しい言葉だ。慰めて貰わないと、俺泣いちゃいそうなんだけど」
けらけらと後ろで笑う四人。こんな状況で何を笑ってるんだこいつら。
「何が言いたいの」
ぶっきらぼうな言い方で逢来が言った。北条はの顔には段々と興奮の色が見られて、顔が紅潮していくのが遠目にも分かった。
「何が言いたいって……ヤらせてよ。こんな可愛い子抱けたら俺の傷心も癒されると思うんだよね」
一瞬、その言葉は聞き間違いだったんじゃないかと自分の耳を疑った。しかし、後ろで小宮が「俺もヤりたかったな」と言っているのに対して岡本が怒りを露わにしているのが見えたから、きっと間違いじゃないんだろう。
更に逢来との距離を詰めた北条は、彼女の左腕を乱暴に掴んだ。痛みに顔を歪ませながら「離して!」と逢来は強く叫んだ。しかし、北条の手は掴まれたままだ。抵抗する為に暴れる逢来を北条が暴力的に押さえつける。
暫くの間それが続くと、北条は我慢の限界といった様子で突然声を荒げた。
「お前、写真消して欲しくねぇのかよ? 消して欲しいよな? だったら黙って言う事聞けよ! さっさとしねぇと誰か来ちまうだろうが!」
北条の手が素早く振られ逢来の頬を通り過ぎた。聞こえてくる音から握り拳では無い事が分かったが、それでも彼女を黙らせるのには十分なものだったと思う。
僕と同じように床に倒れ込んだ逢来の目を見ると、どこか虚ろで、そこからはもう抵抗する気力など感じられなかった。
「マジで面倒だなお前。良い所は顔と身体だけだ、虐められるのも納得だな」
逢来の長い足を卑猥な手つきで撫でる北条。後ろでそれを傍観する小宮と岡本達。彼女の服が、今度は他人によって脱がされていく。
何故僕は、彼女のそんな光景を二度も見せられているのだろう。
一体僕は、何の為にこの場所にいるんだろう。
そう思っていると、不意に北条から目を逸らそうと顔の向きを変えた逢来と目が合った。
じわりとその目には涙が浮かび上がり、あぁ、また泣かせてしまったとぼんやり思う。
彼女の目に、今僕はどんな風に映っているのだろうか。
情けない顔だろうか。晴れ上がって醜い顔をしているだろうか。血や涙で汚れきった顔をしているだろうか。
彼女の目に映る僕がそんなものだとしたら、とても、嫌だな。
そう思うと、ピクリとも動かなかった筈の身体が少しだけ軽くなった。
「や……やめ……」
辛うじて手が伸ばせるのと、声を上げられる位だったが、何もしないままでいるよりよっぽどましだと思った。
「や……やめ、て……おねがい……だから……」
半ば無意識に捻り出した言葉は、心の底から溢れてきたものだった。
でも、彼女の目に光は戻らなかった。聞こえている、その耳に届いている筈なのに、心にまでは全く響いていなかった。
横たわる僕の顔面を目掛けて、小宮の足が飛んできた。
「てめぇ、邪魔してんじゃねーよ! 舐めてんのか!」
蹴り飛ばされた僕は、徐々に身体とその意識が切り離されていくのを覚えた。
暗くなっていく世界。次第に薄れていく感覚の中で最後に聞こえたのは、逢来の衣服が脱がされる音と、彼女の零した小さな涙の音だった。
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