第8話     -2-

 週を跨いで月曜日、昼休みの時間。


「最近、なんだか機嫌が良いね鞍嶋君。今日なんて特別、顔に出てるよ」


 そう言って僕の目の前に立つのは、クラスメイトの佐武だった。


「そう、かな? 自分じゃあまり意識していなかったけれど」

「うん。いい傾向だと思うよ。前より柔らかい顔付きになった。私生活で何か変化があったんだろう?」


 相変わらず、佐武、高津とは仲良くしていたが、僕と逢来の関係は秘密にしていた。別に話した所でどうとなる訳じゃないだろうが、何となく打ち明けるタイミングを逃してしまい、今に至る。


「まあ、最近良く話すようになったやつがいてさ……他校の、生徒なんだけれども。これが意外と話が合うんだ。もしかしたらその影響かもしれない」


 だからか、そんな言い方で誤魔化してしまう。最近は放送部に寄っても長居する事は無く、顔を合わせる時間が減ってしまっている気がする。一緒に帰らないかと誘われても、用事があるからと言って断る事が増えた。


「今日は放課後どうするんだい?」

「あ……今日は好きなバンドのCDを買いに行きたいから、真っ直ぐ帰らせてもらうよ」


 小さいながらも嘘を積んでしまっているなと、心の中で申し訳ない気持ちになる。一方で佐武は「そうかい」とだけ言って柔和な顔をしている。

 思い返すと、佐武が誰かに対して反発したり、感情を激しく見せる事は少ない。対して別のクラスの高津は、佐武とは真反対の性格だ。プライドが高く、自分の意見にだけ正しさを見出す。といっても、それは放送部の中だけの内弁慶だが。

 温和な佐武と、自尊心の強い高津。同じ放送部でなければ接点など無いようなこの二人が仲良くしているのだから、世の中何があるのか分からないものだ。


「それにしても――」


 佐武がクラス内を横目で覗きながら言った。


「最近は、前と比べて落ち着いてきたようだ。平和なのは良い事だよね」


 先月、僕と逢来が初めて言葉を交わした日。事故を装ったあの出来事が起こって以来、目に見えた虐めは少なくなっていた。と言うのも、あれから逢来はどんな挑発を受けても反発などせず、すっかり大人しくなっていた。それが何日か続いた頃、虐めを行っていた岡本達は詰まらなさそうな顔をするようになった。

 飽きたから、面白味に欠けるから、理由は多々あると思うが、一番大きい原因となっているのはやはり。


「ほら、岡本さん、最近彼氏が出来たから色々と忙しいんだよ」


 教室内で恥ずかしげも無く彼氏の自慢をする岡本と、それを取り囲む女子数名はその話題で持ちきりだった。どれ程盛り上がっているかといえば、クラスの日陰者である僕が知っている程度だと言えば伝わるだろうか。

 廊下側の席に座り、頬杖ほおづえをついて一人静かにしている逢来の姿を見た。その表情は、まるで感情というものを忘れてしまったかのように凪いでいる。学校の内と外で見る彼女は別人のように見えて、時折どちらが本当の彼女なのだろうかと疑ってしまう事がある。

 学校の中にいる時は、同じクラスでこんなにも距離が近いというのに、彼女の姿はどこか遠く見える。早くあの場所へ、何もかもを近付けられるあの場所へいきたいと、今はそれだけ思う。

 放課後に彼女と会って、何から話そうかと頭の中で順序立てていく。授業中も関わらず、それだけを必死に考えていた。やはり、夢中になって何かを考えていると時間が経つのが早い。

 佐武についた嘘を怪しまれないように、帰りのHRが終わると同時に外へ飛び出した。足取りは軽く、ニヤけたその表情は、周りに誰もいないのを理由に隠さなかった。

 ビルに着く。エスカレーターを上りカフェの扉をこじ開けた。


「……今日は、早いんだな。ほら、こんな物で悪いが汗を拭け。風邪引くぞ」


 ぼそりと呟かれたそれは、店長の言葉だった。僕の様子を見て呆れた顔をしながら差し出されたのは、いつもコーヒーと共に提供されるおしぼりだった。


「あ、ありがとうございます……」


 冷静になって自分を見てみると、全身汗まみれ。十二月を目前に控えたこの寒い季節で、よくもこれだけ汗をかけたなと思う。どれだけ自分が舞い上がっていたのかに気が付いて恥ずかしくなる。


「今日もあいつと会うのか?」


 あいつ、とは逢来の事だろう。


「あ、はい。いつもお邪魔してすみません」

「いや、いいんだ、そういう意味で言ったんじゃないから気にしないでくれ。ただ、ちょっと頼みたい事があってな」


 カウンターの向こう、従業員だけが入れる裏側の部分に腰を沈めながら、店長はその内容を僕に話した。


「実は、食材の仕入れにミスがあってな。といってもそこらのスーパーで買ってこれるような物だ。あいつに、ここへ寄るんだったら買ってきて貰おうと思ってな」

「あの、自分で連絡はしなかったんですか?」

「重ねて申し訳ないが、仕事用の携帯しかないんだ。プライベートの携帯は充電を忘れてしまって」


 初めて店長と話したが、これが最初の会話になるとは思っていなかった。まあ、大した手間でもないしいいか――そう思って携帯を開いて気が付く。


「あ、逢来さんの連絡先、まだ聞いてなかった……」

「あれだけ一緒にいて、まだ連絡先の交換もしてなかったのか?」

「その、今まで口約束とか、偶然が重なったりで何とかなってきちゃいまして。実際に話し始めても、その内容に夢中で連絡先の交換とか考えてませんでした」


 出会ってから一ヶ月以上経っているのに、連絡先の交換も行わなかった二人。奇妙な関係だなと、僕だけじゃなく店長もそう思ったようで、その顔は難解な数学の問題を見ているかのように困惑していた。


「最近の中学生はわからんな……。いや、元はと言えば俺の確認不足が招いた失敗だ。巻き込もうとして悪かった、子供相手に情けない。引き止めて悪かった、自分でなんとかするよ」


 僕達を最近の中学生という括りに当て嵌めてしまうのは止めた方が……と言おうと思ったが、いつも座っている窓際の席へと促されてしまいそのタイミングを失う。

 待つ事数十分。いつもより来るのが遅いなと思いつつも、逢来が店にやってきた。

 なにやら話し込んでいるようで、彼女と店長の声が聞こえる。それが終わると同時に、こちらへ駆け寄る逢来の手にはサンドイッチが乗せられていた。


「や、お待たせ。なんか、さっきのお侘びだって。何があったかは分からないけれどラッキーだったね」


 そんなに気にしなくても良いのに……そう思いながら、店長の方を向いて軽く頭を下げておいた。

 お互い律儀なんだから――そう言う逢来には反応せず、サンドイッチを口に運んだ。綺麗に切り分けられた断面と彩り。作った本人の性格が現れているようだった。


「それじゃ、今日は私の番ね。前回は有名なバンドだったから新鮮さが薄れたかもしれないけれど、今回はちょっと奇をてらった――」

「その前に、良いかな」


 いつもならこのまま持ち寄ったCDの話を交えるのだが、それを遮ってでも、先に言っておきたかった事がある。逢来も、何事かと驚いた様子だったが「どうぞ?」と言って話を譲ってくれた。


「あの、前回会った時の最後……何を話したか、覚えてる?」

「勿論、覚えてるよ。私から焚き付けたのに忘れる筈ないでしょう?」

「きっかけは何だって良いんだよね。それでいいのなら……僕の一歩目は成功だったよ」


 目を大きく見開いて、僕の言葉を飲み込むまでに数秒。喉を通って、その意味を理解するまでに長く時間を掛け、ニヤリと笑った彼女は僕の肩をコンと軽く叩いた。


「やるじゃん。まさかちゃんと今日までに行動を起こすなんて、発破を掛けるつもりだったんだけれど、見直したよ」

「君の後押しがあったお陰だ。僕一人じゃ、ずっと変えられないままだったと思う」

「いいのよ、謙遜しなくて。君が選んで、君が勝ち取った一歩だったんでしょう? もっと自信持たなくちゃ」


 まるで自分の事のように喜ぶ逢来。ここまで共感性が高いのも、ある種才能だなと思った。「今日は私の奢りだ!」と言い出し、勝手に注文を始める彼女を止められる者はいなかった。

 定番となってしまったアイスコーヒーに、フローズンストロベリー。軽食のメニュー欄からホットドッグにパンケーキ、デザートにワッフルとアイスクリーム。それらがきっちり二人前ずつ注文された。次々と並べられる横文字に、聞いているだけで胃もたれしそうである。パンケーキはデザートじゃないのかと尋ねると、それは主食だと言い切られてしまった。

 注文を受けた店長も、本当に食べ切れるのか? と心配そうな顔をするが、こっちには男の子がいるから大丈夫だと、自信たっぷりに答える始末。


「こういう時は盛大にやらないと。君ってこういう経験少なそうだから、私からのプレゼントだよ」

「しかし、ものには限度ってのが……」

「細かい事は気にしない。これもアドバイスだよ」


 そうこうしている内に、さっそく運ばれる一品目。いきなり飲み物が二つ届いた事に憂鬱さを隠し切れないが……これも一応厚意あっての事だ。頂けるだけ貰っておこう。

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