第5話 -2-
それ以降、この日は特に目立った虐めは無かった。きっと先程の騒動で彼女らも満足したのだろう。
放課後、帰路で電車のつり革にぶら下がりながら、ネットの掲示板を眺めていた。CDへの感想はまだちらほらとしか目に付かず、やはりこんなものかと思う。そんなぼうっとした頭のまま、そろそろ着いた頃だろうと思って電車から降りる。
「……あれ、一つ早かったか」
だからか、間違ってCDショップへと向かう為の駅で降りてしまった。これといって用も無いのに、無駄に一駅分の距離を歩くのはとても
――逢来なら話し相手になるんじゃないか。
この一週間、結局誰とも感想を語り合えずにいた僕は、そんな考えが一瞬頭を過ぎる。勿論佐武と高津にも聞いてみたが「ごめん、わからない」と口を揃えて返されてしまっていた。
気が付くと、勝手に足が動き始めていた。
仲の良い友人でもあるまいし、ましてや本人が受けている虐めを見てみぬ振りするような人間が、何とも都合の良い話である。そもそも、また逢来が店に訪れるという保障は無い。
少しの緊張を持って店の入り口を跨ぐ。手に汗を滲ませながらエスカレーターを上っていった。先日と同じ場所、新譜が並べられてある棚へと向かった。
客足はそれ程多くない。逢来がいればすぐに見つけられると思うが……姿は無かった。少しだけ待ってみようと思い、店内に設置されてある視聴コーナーで時間を潰す事にした。
せっかくだから、普段聞かないジャンルも聞いてみる事に。すると、これがまた良かった。当初は時間を潰す為だったのに、いつの間にか音楽を聴く事が目的に成り代わっていた。
段々とその世界観に没入していく感覚、こうやって視野が狭くなってしまうのは悪い癖だなと思う。
「や、また会ったね」
ヘッドホンを頭に装着し、完全にここへ来た意味を見失っていた頃、僕の背後から声を掛ける一つの声がした。
「あ、逢来……さん」
まさか本当に会えるだなんて思っていなかった驚きと、ジャージ姿のままの彼女の姿を見て少し罪悪感が湧いた。
「また来たんだ? 今日は何が目的で来たのかな?」
「また、と言うなら君も同じじゃないか」
それもそうか、と言って彼女は右の頬を爪で掻いた。その様子を見ながら、僕はここへやってきた目的について、正直に話すべきかどうかを悩んでいた。そうやって煮え切らないままの僕に痺れを切らしたのか、先に彼女の方が口を開く。
「そういえば曲、聞いた?」
「あ……勿論さ。とても良かった」
願ってもみない質問に、僕は思わず口角を上げてしまう。
「感想とか聞いてもいい? 同じファンとしては気になる所でさ」
「僕もだよ。同じ趣味を持つ人とは話しておきたいって思ってたんだ」
「いいね、それじゃあ……鞍嶋君、この後時間ある? ちょっと場所を変えない?」
「そうだね、ここで話すのは少し気が引ける」
だよね、と言って逢来は歩き出した。僕はそれに反射で付いて行く。いつもなら、このまま店から出るために下向きのエスカレーターに乗る所だったが、今回は違う。「二つ上の階にカフェがあるんだ。そこに行こっか」という逢来の言葉に返事を返した後、これといって会話もないまま移動をし、七階へと辿り着いた。
広めのフロアだが、窮屈そうに押し込められている飲食店の数々。その中から隅の方にある少し陰ったカフェ、ここが目的地のようだ。掠れた文字で『クレセント』という看板が掛かっている。開く扉の音は耳障りなもので、古臭さを感じる。
躊躇い無く進む逢来の背中に、どうしてこんな所を選んだのかと訴えかける。しかし、だから何かが変わるといった訳も無いので後に続いた。
すると、意外にも整った内装からは素朴さが感じられ、店内の客層を見ても穏やかだ。ここら一帯の景観を切り取る、壁一面に広がった窓ガラスから差し込む光は店内を明るく照らしていた。目立って背の高いビルがないここら一体の中じゃ、七階という高さは伊達ではなかったようだ。
「おじさん、こんにちは。奥の席借りても良い?」
「おじさんじゃねぇって……まったく、好きに使え」
「ありがと」
慣れ親しんだ様子で逢来は、店長と思わしき人物に声を掛けた。おじさん、と呼ばれたその人を見ると、まだ二十代後半といった所だ。確かに、そう呼ばれてむっとなるのも頷ける。
「さ、行こっか」
「あ、うん」
会話にあった通り、店内の奥の方へ行く。奥といっても窓際の席で、見晴らしは十分に良かった。カウンターの机に横並びで座る、拳一つ分しかない程の距離だった。
「へぇ、こういう店に来るのは初めてだ。なんか新鮮な気分だよ」
「そう? 私はずっと昔から来てるから慣れちゃった……あ、何頼もっか? 私はアイスコーヒーにするけど」
「じゃあ、僕も同じ物を」
こういった店の物が口に合うか分からなかったが、それ程詳しくないコーヒーならば何を飲んでも大して変わらないだろう。
逢来が店長を呼び注文を済ませると、姿勢を改めて逢来がこちらを向く。顔の近さに少しドキリとする。
「今更なんだけど、良かったの?」
ここで言う「良かったの」とは、きっと私と一緒に居て周りの目とかは大丈夫なの? とかそんな所だろう。
「この前も言ったけれど、第三者に見られなければ大丈夫。気にしないよ」
「そっか、なら良かった。じゃあ本題ね。感想、聞かせてよ」
素直な感想を伝えようと思い、頭の中で何から話していくのかを順序だてていった。
「そうだね……まず今回のはメッセージ性がいつもより強かったかな。それでいて普段以上のクオリティ。思わず徹夜してまで延々と曲を再生したって言えば、僕の評価がどれだけ高いのかは伝わるかな?」
おぉー……と、感嘆の声を漏らす逢来は、身体の前で小さく拍手をする。
「いいねぇ鞍嶋君、良く聞いてるって感じが伝わるよ。みーんなここのメロディーが良いとかあのリズムが良いとかばっかりで、歌詞に触れてくれる人ってあんまり身近に居なかったんだよね。貴重な感想だよ」
「そういう逢来さんの感想は?」
私? と言って自らを指差す。右頬を掻きながら考える素振りを見せる。
「そうだなぁ……私ってほら、虐められてるでしょう?」
「……そうだけど、突然どうしたの……?」
「君が言う通りメッセージ性って強いと思うんだ。しかも私達子供とかに響いてきそうな感じに。なんだか、全部私の身に起きてる事に置き換えられるような気がしちゃってさ。励みになると言うか、なんというか……」
細くなっていく語尾と共に落ちていく視線は、自らの左太腿だった。
やはり火傷を負ったのだろうか。男ならまだしも、女で火傷を軽く見れるやつはそういないだろう。
「……えっと、その……なんて声を掛けたら良いのか……」
初めてまともに会話をしている女子と、何でこんな雰囲気にならなきゃいけないんだとも思いつつ、少しの同情心が湧いてくる。なんだかこちらまで憂鬱になってきそうだった。つられて、僕の頭も段々と下がっていく。すると、そんな僕の頭の上から「ふふっ」という笑い声が聞こえた。
「冗談だってば。私がこれ位で落ち込むような女に見える? 前回も引っ掛かってるのに学習しないね。あ、でも火傷は冗談じゃないよ?」
見てみたい? と煽るような目の逢来は、完全に僕の事をからかうものだった。それもそうか、心配した僕が間抜けだった。普段の彼女を見ていれば全く意に介していない事など丸分かりだというのに。
「はは、鞍嶋君は面白いなぁ。さて、冗談はさておき……さっきの感想、前半は本当だよ。私達の年代の子が聞いたら、きっと皆共感してくれるし、誰もが強くあろうって思いたくなる。そんな歌詞だよって、自信たっぷりに言えるかな」
そうやって語る逢来の意見には大変に共感できた。やはり
「……ほらよ、お待ちどうさん」
「お、きたきた。ありがとう、おじさん」
「お兄さんだ」
短い会話だけして去っていく店長。常連という枠を超えた仲の良さが見えて、その関係性に少し興味が湧いた。しかし、別段どうしても聞きたいという訳では無いから、またの機会しようと思う。
それからは、運ばれてきたアイスコーヒーをちびちびと飲みながら感想の言い合いが始まった。ここの歌詞が良いだとか、この言い回しが癖になるとか、あの場所は特に感情が込もっていたとか、そんな他愛も無い話を暫くの間続けた。
正面のガラス窓から見える遠くの空。オレンジ色が
「……あ、もうこんな時間か。いやぁ、結構話しちゃったね」
「もう夕方か、早いね。やっぱり好きな事で話している間は時間が経つのが早い」
「今日話していて分かったけど、きっと私と君の音楽の趣味は同じだね。またこうやって話さない?」
「勿論、構わないよ」
こういう隠れ家のような場所で話す分には問題ないだろう。流石にクラスのやつらがこんな場所まで足を運ぶなど考えにくい。それに、音楽の趣味が合う、というのも間違いじゃない。話していて楽しかったのは本当だ。佐武や高津とは仲良くしているが、音楽の話を出来ないのが少し物足りていなかった。
逢来、良い話し相手を見つけたのかもしれない。
「それじゃ、また今度話す約束もした訳だし、今日はこの辺で解散にしましょうか」
そう言って逢来は席を立つ。奢るよと言われたが、たかだか数百円の貸しを作るのは憚れたので断った。
店を後にし、ビルの外に出た。
「それじゃまた明日学校で……って言っても、別に話しかけたりしなくていいからね? 面倒ごとに巻き込まれるのは嫌でしょう?」
そうやって言葉に出されると、まるで自分が悪者になったかのように聞こえてくる。きっと苦虫を噛み潰したような顔をしてしまったのだろう、逢来は言葉足らずだったと言わんばかりに、こう付け足した。
「あ、別にあなたを悪者にしようとして言ってるんじゃないよ? あんなくだらない事柄に時間を奪われるのは私だけでいい。被害者は少ない方がいいじゃない。それに、あれ位の虐めで折れてやる程、私って柔じゃないの」
左の太腿を軽く叩きながら逢来はそう言い放った。その行動はきっと「大した事じゃない」という意思表示のつもりなのだろう。
「……君が虐められているって、たまに冗談じゃないかって思う時があるよ」
「褒め言葉……でいいんだよね? ありがとう」
今度こそ、またね。そう言って手を振った彼女はくるりと踵を返して、僕の向かう先とは別の道を歩いて行った。棒立ちだった僕は、只々その動きを目で追うばかりだった。
こんな場所で遭遇したんだ、僕の家と彼女の家はそう遠くないのだろう。遠くなっていく彼女の背中を見ながら、僕も帰路へと着いた。
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