第3話     -3-

 店から出た僕は帰路へと着いた。興奮で足の動きが早まり、あっという間に家の近くまでやってきた。

 コンビニが目に留まったので、曲を聴くつまみに何か菓子でも買っていく事にした。本来、買い食いは校則で禁止されているが、こんな場所にまで監視の目がある訳が無い。ばれなければ良いだろうという気持ちで店内に入ると、またしても見知った顔がそこにはあった。

 ただし、今度は隠れる必要は無い。


「お、和久かずひさじゃないか。今帰りか? 買い食いなんて駄目だぞ?」

「先に店に入っていた壱哉いちやに言われたくは無いよ」


 僕の事を下の名前で呼ぶのは、兄である結崎壱哉ゆうざきいちやだった。名字が違うのは、血の繋がった兄弟では無いからだ。

 学業も運動も一切手を抜かず、壱哉は常にトップを走り続けている。中学生にしては高い身長と、ほんのりと焼けた肌が健康さを引き立て、目立ちの整った顔が爽やかさを添える。まさに文武両道、眉目秀麗というやつだ。


「ははは、それを言われると痛い。ジュース一つで口止め料にはならないか?」


 おまけに気も利く。生徒会長すらもなんなく務める兄は、ルールに縛られすぎない、程良い遊び心もあった。


「いや、それだけじゃ勿論足りないね。今は何か甘い物も食べたい気分なんだ」


 誰にだって自慢できる理想的な兄。それが結崎壱哉という人間である。

 それと同時に、彼は僕のコンプレックスの原因となる。

 優秀で非の打ち所の無い兄と、何をやらせても中途半端な出来損ないの弟。当然比較される。クラスメイト、教師、近隣に住む人達。一番それが多いのは義親の二人だ。事ある毎に壱哉と僕は比べられて、全てにおいて劣る僕は一度だって壱哉に勝った試しがない。いつしか義親の口癖は「壱哉は自慢の息子だ」という、僕を傷つけるただそれだけの言葉になっていた。

 しかし、だからと言って壱哉の事を嫌いにはなれなかった。繰り返しになるが理想の兄である。憧れない訳が無い。たった一つ歳が違うだけで何故こんなにも差が出てしまうのかと嫌になる事もあるが、明確な目標がすぐ傍にあるのは有り難い事である。

 壱哉は誰にだって優しい。それに甘え続けている自分がいる事に気が付いた時、僕は空気になる事を選んだのだ。勿論人間関係が面倒だからというのが大きいのだが、何より、壱哉が気の毒だと思ったからだ。

 僕が出来損ないであるばかりに、壱哉の評判を下げてしまうのはどうしたって嫌なのだ。壱哉にはずっと、理想の兄でいて貰いたい……そうでないと困る。


「仕方が無いな、それじゃ一緒にアイスでも買って帰ろうか。勿論こっちも奢りだ、安心しろよ」

「アイス? この時期には少し寒くない?」

「それがいいんじゃないか」


 店内で壱哉と共にアイスを選び、ジュースも甘い炭酸の物を選んだ。そうやって買ってもらった物を味わいながら帰る道は、とても穏やかなものだった。


「和久、いい加減髪を切ったらどうだ? 俺ぐらい短くしていると色々楽だぞ」

「いや、いいんだこのままで。この長さが性に合ってる」


 短く切られた髪が明るい印象を与える壱哉と、伸び呆けた前髪で顔の半分を隠しきっている陰鬱な僕。外面的に見て兄弟だと気が付く者はそう多くない。体格だって、既に引退しているもののバスケットボールの練習によって引き締まった頑丈そうな身体と、帰宅部でこれといった運動もしないひ弱で青虫のような身体。地面に伸びる影の高さには十センチメートル以上の差があるだろう。どこまでも対照的だとは思うが、僕達が義理の兄弟である事実は変わらない。

 校内でよく目立つ壱哉は、その存在を知らない者は殆どいない。だからこそ、放課後のこの短い時間だけが落ち着いて壱哉と話が出来る貴重な時間なのだ。学校の中と両親の前では、極力話さないようにしている。


「そういえば、今日は普段より帰りが早いんだね。いつも忙しそうにしてるのに」

「あぁ、部活にはミーティングだけの参加だったし、生徒会の方も後輩への引き継ぎ位しか残っていないんだ。俺もそろそろ、受験勉強に専念しろという事なのかもしれないな」


 そんな雑談をしている内に家に着いてしまった。住宅街の中、一際背の高い家。二階建て住宅を見下ろす程の大きさがあり、豪邸と呼ばれてもなんら恥ずかしくない程の物が我が家である。

 父親は脳神経外科医として働き、今では院長の座まで昇り詰めた。多忙を極める身もあって、家の中にいる時間は少ない。母親はつい最近までアパレル系雑誌の編集長を務めていたが、今では専業主婦として家の中に篭りっぱなしである。

 金だけ持っていた両親は、見栄なのか知らないがこんな大きな家を新築で買い大満足している様子だ。そんなに見せびらかすような事をして、何が楽しいのかを教えて欲しい所である。

 重厚な門扉を開き、無駄に立派な玄関ドアを開ける。初めて訪れた者ならきっと迷子になってしまいそうな広い間取りの中、壱哉と共にリビングへと向かう。


「ただいま」


 二人声を揃え、扉を開けると同時に声を上げる。


「あら、おかえりなさい。今日は早かったのね」


 常に綺麗に保たれた大きなL型キッチン、その向こうに母親の姿はあった。


「夕御飯まだ先になりそうだから、先にお風呂に入ってしまいなさい」

「わかった」

「それじゃあ僕は壱哉の後に入るよ」


 手元を見ると、色鮮やかな食材と様々な形の食器類。きっとこの後、手間暇かけて何時間も調理をしては、高級レストランで振る舞われるような料理を作り始めるのだろう。そんな母の事を、暇なのだろうかと僕はいつも思っている。

 とりあえず自室へと向かい、壱哉の風呂が終わるのを待つ事に。

 階段を二つ上り、三階にある僕の部屋に付く頃には少し疲れが表れてくる。スクールバッグを床に放り投げ、身を投げるように回転椅子へ座り肘置きに体重を乗せる。


「はぁ……結局はここが、一番落ち着くんだな……」


 放送部の部室に行った時でも、行きつけのCDショップに行った時でも、兄と一緒に帰っている時でも、どんな時よりも結局は自分の部屋が一番落ち着く。学校は窮屈で、CDショップには同じ学校の生徒が現れ、理想の兄の前では自分がいかに劣っているのかを突きつけられ、家の中では……自分を見失いそうになる。

 買ったばかりのCDをさっそく開け、パソコンに取り込み終えると同時に再生ボタンを押した。一通り曲を聴く時間はあるだろう、そう思いながら僕は音楽の世界に落ちていくのだった。

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