欠けたあなたに酷薄と追悼を

たんく

第1話  日常 -1-

 彼女には小動物のような愛らしさと、それでいて品性があった。決して気取らず、日々精進を常としていた彼女は成績も良く、まさに完璧と呼ばれるに相応しかった。勿論男子生徒からの人気も高い。

 だからこそ、彼女は虐めの対象になった。

 きっかけはなんともくだらない理由で、女子グループ内で大きい顔をしていたとある生徒の、当時想いを寄せていた男子生徒に好かれていたから、というものだ。最初はささいな喧嘩に過ぎなかったのだが、はっきりと物を言う彼女の言動が頭にきたのか段々とその内容はエスカレートしていった。

 季節が移り行き、冬を感じさせる程寒くなってきた頃には、クラスの雰囲気にはどこか冷めたものが漂っていた。

 中学生ごときの色恋で何をそんなに怒り散らす事があるのかとは思うのだが、そういう年頃なのだから仕方が無い。


「靴、返してよ」

「だったら、それなりの態度ってものがあるでしょう?」


 下校時、外から忍び込んでくる寒風を感じながら生徒玄関へと向かっていた僕は、その現場に遭遇してしまう。「またやってるよ」それが素直な感想だった。

 虐められている彼女一人に対して、五人の群れを成して取り囲む女子。一対一では威張れない、なんとも卑怯な連中である。本人たちは男子の目を気にし隠れて行為に及んでいるつもりなのだが、筒抜けである。

 これはつまり、我がクラスの全員がこの虐めを認知しているという事だ。そして、誰もそれについて触れない。助けようと動いてみれば他の女子から嫌われる、だからと言って虐める側に回るのかと聞かれればそんな度胸があるやつもいない。だから誰もがそれを黙認する、こんな気持ちの悪いクラスになってしまった。

 見つかると面倒だ、どこかで時間を潰そう。そう思って生徒玄関を後にした僕も、その気持ちの悪いやつらの一員である事は間違いない。

 しかし、だからどうしたという話なのだ。下手に動いてあんな底辺にまで落ちぶれたらどうする? 今から人の上に立っていられなくとも、十年後、二十年後になって見返せればそれでいいじゃないか。だからこそ今は、こうして世の流れに従ってひっそりと生きていけばそれでいい。


 一先ず放送部にでも顔を出しに行こう。あそこに行けば少しだが時間は潰せる。

 そう思って三階にあるその部室へと僕は向かっていった。五分程して辿り着き、扉を軽くノックする。間の抜けた声で「はい」と返事があったのを聞き、ドアノブを回した。部屋の奥に座る、まだ遊びを知らない、いかにも真面目そうな男子がこちらの入室に合わせて振り返った。


「はい、どちら様……って、また鞍嶋くらしま君か。そんなにこの部室が好きなら、いい加減入部してみたらどうだい?」

「ごめんよ佐武さたけ君、どうにも部活動っていう括りは性に合わない。帰宅部でいるのが一番落ち着くんだ」


 軽口を交わして、いつも世話になっているパイプ椅子に腰を下ろした。ギシリと僕の重みを訴えると共に、部員でも無い僕の身体をしっかりと馴染んだ形が受け止める。


「部員は僕と高津たかつ君しかいないんだから気にしなくていいのに」


 そんな佐武の言葉を軽くあしらって、鞄にしまってあった音楽プレイヤーを取り出した。拘って選んだノイズキャンセルのしっかりしたイヤホンを両耳に装着する。拘った理由は、周りの雑音を消し去り自分の世界に篭れるから。

 人の部室に図々しくも上がりこんでこれは失礼かとも思うが、これはいつもの事なのだ。佐武もそれを分かっていて、こちらと同様に自分の世界に篭り始めていた。

 カメラが趣味の彼は、そのレンズを覗いては手入れの繰り返しをしていた。そんなに眺めていて何か変わるのだろうかと思うが、人の趣味にとやかく言うつもりはない。

 再生ボタンを押す。そうだな、三曲……いや四曲程聞き終わったら帰ろうかな。それ位の時間を空ければあの連中も消えている筈だろう。

 主にロックを好んで聴くが、ジャンルは幅広く、良い音楽だと感じればなんでも聴く事にしている。偏った音楽ばかり聴いてしまうのはどうにも勿体無いと思うからだ。

 不快な光景を目の当りにしたから、激しめの音に身を任せ記憶を掠れさせていく。目を瞑り頭の中で歌詞を口ずさんでいると、時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 一曲、また一曲とお気に入りに分類してあったメロディーを流し込んでいく。そんな時間が好きで、家に帰っても大体同じような行動ばかりしている。それをこの学校という窮屈な場所で提供してくれている佐武には感謝しなければならないだろう。

 当初予定していた通り四曲分をしっかりと聞き終わった頃、見計らったかのようなタイミングで部室の扉が開かれた。


「お疲れー、戻ったぞ……って、また来てたのか鞍嶋」

「お邪魔してるよ」


 そういって慣れた動きで佐武の横に座ったのは、先程会話に出てきた高津だった。


「それじゃ、マイク入れるから静かにしてろよ鞍嶋」

「わかってるよ、いつもの事じゃないか」


 そうして何度かカチカチとスイッチを押していき、マイクを何度か突き音声の確認を取る。すっと息を吸い込み、淀みない声で読み上げられていく定型文は、スピーカー越しでも聞き取りやすいはっきりとした良い声だった。

 時間にして一分程度、内容は校内の簡単なお知らせ。曲を一つ流すには余りにも短すぎる為、そのアナウンスを最後まで聞き届けた。それを苦だと思った事はないし、苦だと思うのならそもそもこんな場所になど来ない。


「……はい、終わり。これで今日の活動は終わりだし、帰るとするか」


 高津はそう言って立ち上がる。それに合わせて僕と佐武も立ち上がった。

 戸締りだけしっかりと確認し部室の鍵を職員室まで返すと、先程訪れた生徒玄関へと再び向かった。流石にもう終わっている頃だろうと思っていくと、案の定そこには誰も居らず、まるで何事もなかったかのように静寂が包み込んでいた。

 少し小さくなってきたスニーカーに足を通す。履き始めて一年は経つと思うが、未だに目立った汚れは付いていない。


「明日って英語のテストあるんだっけ?」

「いや、数学だったような気が」


 取り留めのない会話をしながら三人で駅へと向かう。それ程距離は無く、歩いて十分もしない距離だ。たったそれだけの距離を歩く為だけに、こうして僕たちは帰りの時間を合わせている。

 僕と佐武は同じクラスであるのだが、教室内で話す事はそれ程多くない。別のクラスの高津だと尚更だ。

 それは何故かと言われると、空気でいる為だ。いてもいなくても変わらない存在……それが僕達だった。鬱陶しい人間関係の中で、互いにご機嫌取りをして自分の地位を守ろうと必死なクラスの連中は、他人を踏み台にしてでものし上がろうとする醜い生き物だ。その結果、虐めというものが起こるのだ。だからこそ、そんな下らないものに巻き込まれない為に僕達は空気になる事を選んだのだ。

 そういう所がきっと、僕達が仲良くなった訳なのだろう。

 今学校に通っていて友達だと言えるのは佐武と高津、この二人だけだ。きっと高校に進学してもこの関係は変わらず、その内「腐れ縁」だなんて名前がつくようになるんだと思う。

 駅に着き、電車に乗る。その中でも、僕達は隅に固まってひっそりと帰る。

 きっと明日になれば一つも覚えていないであろう会話も、先程から途切れる事がない。

 一駅、また一駅と進んでいき、あっという間に目的地に着く。


「あ、もう着いた。それじゃあ俺と佐武はここで。また明日、鞍嶋」

「うん。また明日、二人共」


 軽い挨拶を交わして電車の扉が閉じ、その途端に孤独になる。さして賑やかな二人ではないが、それでも三人から一人になる瞬間はどうしたって寂しさというものが纏わりつく。

 急いで鞄から音楽プレイヤーを取り出し、イヤホンを耳に嵌めた。音楽は孤独を紛らわせてくれる。

 電車の窓から流れる景色を横目に、お気に入りの曲を流す。メロディーを頭の中でリピートさせながら段々と盛り上がりを見せていき、サビに入るや否やという所で思い出す。


 そういえば今日は、好きなアーティストの新譜が出る日だった。帰り際に寄っていかなければならない。そう思って、いつもより一つ早い駅から降りた。

 これで歩く距離は時間にして十分程加算された訳だが、それはいつもの事なのでもう慣れた。駅を出て目と鼻の先にあるCDショップへと向かう。すっかり常連と化したこの店は、もう殆ど感覚だけで歩ける程だ。

 店の入り口を開き、ざわつく店内を目的のコーナーまで歩く。少し足早になっているのは、それだけ期待が大きいという事だ。今回目当てなのは、少しマイナーであり知名度もまだ低いが、この先必ず伸びると確信している音楽グループだ。動画サイトに投稿された曲も、まだ再生回数は少ないもののじわじわと増えつつある。

 何が一番の応援になるのかと言えば、それは勿論CDを買う事だと思っている。昂ぶる気持ちを抑えて店内を回る。


 ――と、そんな時だった。


 中学生の内から月に何枚もCDを買う、もしくはCDに月の小遣いを全額投入できるようなやつがいなかったのか、この店で見知った顔に出くわした試しがない。少なくともこの二年間はずっと。

 目的地、新譜が置かれたコーナーの目の前に立つ、僕と同じ学校の制服を着た女子。その急に現れた後姿に、完全に油断しきっていた僕は焦りで一瞬動きを止められる。

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