第48話 人魚の灰

 「人魚の灰?」

 聞き慣れない言葉に紅蓮はより一層格子に顔を近付けて尋ねた。

 「ええ。アタシの知り合いが持っているのよぅ。それを口に入れれば不老不死になれるらしいの」

 「不老不死?」

 「そう。老いることも死ぬこともないから、これならずっと清流さまと一緒にいられるわよぅ。何て言ったかしら、尼になった女性が永遠の命を授かった話もあるとか」

 「永遠の命を……」

 紅蓮は近重このえの持ち出して来た根拠のない話を信じられずにいる。今の話に興味がないわけではないが、信憑性が全くない。

 「どうかしら、一度使ってみる価値はあると思うわよ? それとも、一生この蔵の中で生きていきたいのかしら?」

 紅蓮は口を引き結んだまま黙っていた。

 ここにいれば今後も清流は自分の元へ来てくれるだろう。また、色々な話を聞かせてくれると思う。

 魍魎に寿命があるのかは知らないが、確実に人間である自分の方が彼よりも先に老いてゆく。

 この先、十年後も二十年後もここに閉じ込められて生涯を終えるのか。

 脳裏に清流が持って来てくれた梅や桃の花が蘇る。自分の名を呼ぶ時の優しい声と笑みを浮かべる彼の姿。

 「清流はいつかここから私を出してくれると言ってくれたけれど」

 突然口を開いた紅蓮を驚いた表情で近重が見た。

 「今度は私が清流の元へ行きたい。自分の足で彼の元へ行きたいの」

 そう言うと、彼女は格子を両手で掴んで懇願した。

 「近重、お願い。あなたの知り合いに人魚の灰を譲ってくれるように話して」

 「分かったわ。でも、その人魚の灰は珍しい品らしいから、タダでは譲ってくれないかもしれないわねぇ?」

 「え?」

 「人間の世界には物々交換という面白い方法があるらしいじゃない?

 そうねぇ、あなたが持っているくしなんてどうかしら。その半月の形をした櫛。桜の花びらの彫刻も素敵ねぇ」

 近重はそう言いながら、うっとりとした表情で櫛に視線を送る。紅蓮は慌てて手に持っていた櫛に視線を落とした。

 それを着物の袖で隠した後、顔を上げて、

 「これは渡せないわ」

 「ふふ。冗談よぅ? そろそろおいとましようかしら。今度来る時にでもその灰を持って来るわね」

 近重は去り際に彼女の足を盗み見た。真っ白な彼女の足首は随分と細い。

 (こんなに細い足で山を登るのかしら?)

 そんなことを思いながら、紅蓮の蔵と屋敷を後にした。

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