第21話 共に同じ月を ①

 この屋敷に何かが入り込んでくる気配を感じて、寿ひさは目を覚ました。

 慣れないお勤めをようやく終えて、心身ともにくたくたの状態で床についた。布団に入って間もなく睡魔に襲われ熟睡していたはずなのに、真夜中に目を覚ますなんて思ってもみなかった。

 こちらに来た時には感じなかった気配を、今はひしひしと感じている。

 (何なんだろう、この感覚……)

 最初どこから感じるのか分からなかった。けれど、段々それがはっきりとしてきた。

 気配は外から感じる。

 人や動物とは違う、別の何か。

 寿は寝返りを打って、同じ部屋で就寝する女中たちに顔を向ける。

 皆、熟睡していて誰一人起きる気配がない。この奇妙な感覚に捉われているのは恐らく自分だけ。

 無視してもう一度眠ってしまおうとも思ったけれど、どうやら無理そうだ。

 寿は迷った末、掛けていた布団をいだ。

 寝ている女中たちを起こさないように細心の注意を払い、縁側と寝室を隔てている引き戸に近付いて行く。

 音を立てないように気を付けながら、そっと引き戸を引いた。

 縁側の向こうには立派な庭が見える。当然、人や動物の姿はあるはずがなく、丁寧に手入れされた花々が夜風に揺られているだけで、特に変わった様子は見られない。

 (どの辺からだろう?)

 寿は背後の寝ている女中たちを気にしながら、注意深く観察した。左側から右側へ、じっくりと庭園に目を凝らしていく。

 (え? あそこから?)

 目に留まったのは、橋を越えた先にある木々で覆われた箇所。その奥に自分の主人である紅蓮が住まわされている蔵がある。

 思わず声に出そうになって、慌てて両手で口を塞いだ。すぐに背後を確認したが、女中たちは相変わらず寝入っている。

 ほっと息を吐いた後、もう一度その箇所を見つめた。

 「やっぱりあそこからだ」

 小さく呟いた後、少し考えてから更に引き戸を開けた。音を出さないように細心の注意を払って寝室を出ようとした時、

 「寿?」

 背後で呼び止められ、思わず心臓が止まるのではないかと思った。寿はぎこちない動作で自分を呼んだ女中を振り返る。

 「あんた、何してるのよ? こんな刻限に」

 眠そうな声で先輩の女中に尋ねられ、寿は作り笑いを浮かべて答えた。

 「ええと、か、かわやへ……」

 「ああ、そう」

 寿は笑みを張り付けたまま頷く。

 「はい。場所はさきほど教えていただきましたので。それでは、一旦失礼致しますね」

 断りを入れて縁側に出る。引き戸を閉めた後、再度気配の感じる箇所に視線を向ける。それと同時に、今しがた閉めたはずの引き戸がいきなり開いた。

 「ちょいとお待ち。あたしも一緒に行くから」

 (えぇっ!?)

 寿は驚いたがすぐに笑顔を作り、「そうですか」と返す。

 これでは気配の正体を確かめるのは無理だ。

 「寿、何してるんだい? に何かあるのかい?」

 女中は指を庭園に向け、顔は寿に向けたまま尋ねる。

 あっちとは、橋を渡った先にある木々で覆われている箇所のことである。

 「いえ、何でもありません。ただ、月明かりに照らされた庭園がとても美しかったので」

 その言葉に女中の視線が寿から庭園に移る。見事な月明かりが広大な庭を照らす。池に浮かぶいびつな月が静かに揺れているのが見えた。

 「ああ、たしかにね」

 次に彼女は夜空を見上げた。寿も同じ様に顔を上げる。

 雲一つない夜の空には、大きな半月が見えた。

 女中は夜空を見上げたまま言った。

 「寿の言う通りだねぇ、満月ならもっと良かったのに。あっ、ほら。早く厠へ行くよ?」

 我に返って足早に縁側を進んで行く女中に返事を返して、寿は彼女の後に続いた。

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