第18話 礼 ①

 火照った顔を冷まそうと川に向かって山を下りていた時だった。ちょうど川の流れる音に混じって行水するような音が聞こえてきた。

 清流がそちらに顔を向けると、川の中には一羽の烏が水浴びをしている。

 烏も彼に気付いて顔を上げた。

 「おや、清流殿か。お前様も水浴びかい?」

 「おぼろ。いや、俺は顔を洗いに」

 「ふうん、なるほど。顔が赤いね。何かあったのかい?」

 朧は水浴びするのを止めて川から出た。

 清流はそのまま川の方まで向かいながら、

 「まあ、少しな」

 それだけ言った後、屈んで顔を洗い始める。

 その間、ずっと朧の視線を感じていたが、別段気にすることなく顔を洗っていると、

 「お前様、何故嘘を言ったんだ?」

 突然朧が口を開いた。

 清流は顔を上げると、そのまま朧を振り返る。

 「何のことだ? お前に嘘を言ったことなんてないだろう?」

 困惑して聞き返すと、静かな口調で朧は続けた。

 「あたしじゃないよ。あの人間の女子おなごにさ。櫛を渡した時、金は最初から持っていたと嘘を言ったろう」

 「見ていたのか……」

 誰にも見られていないと思っていたのに。そもそも朧の気配を感じなかった。

 いつからあの場所にいたのだろうか。

 「あの女子が住む屋敷にお前様が入って行くのが見えたから、気になってね。

 苦労して手に入れた金なんだから、本当のことを言っても良かったんじゃないか?」

 「確かにお前の言うことは一理ある。けど……」

 彼女のことだ。

 人間に化けて人里へ行き、芸人の真似事をして金を稼いだことを知ったら、さぞや驚くだろう。いや、それ以前に。

 「紅蓮に気を使わせたくない。本当のことを話したら、それこそ気にして櫛を使ってくれないかもしれない」

 しばしの沈黙が流れた。朧は黙ったままだったが、やがて笑みを浮かべて、

 「そうかい。確かにあの女子は気にしそうだね。野暮なことを聞いてすまなかった。それじゃあ、ゆっくり顔を洗ってくれ」

 「ああ」

 朧は元の姿に戻ることなく、そのまま飛び去って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る