第7話 妙案

 清流たちは魍魎もうりょう住処すみかに戻る途中で牡丹と別れた。

 そのまま山道を歩いていると、

 「あの小鹿め、俺の髪を二回も噛みやがって」

 あの後、近くにあった小川で髪を洗ったのだが、咀嚼そしゃくされた彼の髪はところどころが千切れバサバサになり、すっかり艶も失ってしまっている。

 「そんなにお前の髪が美味かったのかな?」

 「知るか! 今度会ったら鹿鍋にして食ってやる」

 「そん時は俺も呼んでくれよ?」

 息巻いている壬湧みわく水羽すいはが冗談めかしてそう言った後、思い出したように声を上げて清流を見た。

 「そういえば、清流。お前さっき牡丹さまにさ」

 「え? 牡丹さまがどうかしたか?」

 「おい、しらばっくれんな」

 「そうそう。俺も思ったぞ。あんなこと言うなんて、急にどうしたんだよ?」

 「あんなこと……」


 ――髪、きれいですね?――


 「ああ。あれは、つまり」

 「つまり?」

 水羽と壬湧がぐっと顔を近づけてくる。

 「つまり……」

 自分でも何故あんなことを口にしたのか分からない。

 どう返答しようか迷っている清流に、水羽と壬湧はさらに顔を近づける。鼻先が触れそうなくらいに距離が近い。

 「お前ら、そんなに顔を近付けなくたっていいだろ? あれは、思ったことがそのまま口に出たんだ。ただ、それだけだ」

 勢いまかせでそう言ったが、彼らはもちろん納得していない。いぶかしそうな視線をこちらに向けている。

 その視線に耐えられなくなり、清流は彼らに背を向けるとさっさと山を登って行ってしまった。

  

※※※


 皆が寝静まる中、清流は人里を見下ろしながら物思いにふけっていた。

 人里の一部はまだ灯りが灯っている。真夜中のはずなのに、まだ人間たちは起きているようだ。

 あの灯りの灯っている場所に行けば、くしが手に入るのだろうか?

 人里に下りたとして、どうやって手に入れればいいのか、清流には分からない。

 まさか、盗んで来る訳にもいかない。

 どうしたものか、と頭を悩ませていると、ふいに頭上から声が降ってきた。

 「清流殿、今日は人間の女子おなごの元へは行かないのかい?」

 彼が顔を上げると、声の主が木の枝に片膝を抱えるようにして座ってこちらを見下ろしている。

 「おぼろ

 背中に生えた黒く大きな羽を数回上下に動かしてから、こちらにゆっくりと降りて来た。中性的な顔立ちに真っ黒な瞳と髪を持つ烏天狗。

 「ああ。今日はよそうかと……」

 「どうしてさ? あの女子が幽閉されている蔵へ行った時、毎日通ってやると意気込んでいたのに」

 清流は図星を付かれて、思わず顔を背ける。少しの間黙っていたが躊躇ためらいながら、

 「紅蓮に渡したい物があるんだが、どこでそれを手に入れたらいいのか分からない」

 「ほう。それで、その渡したい物とは?」

 「櫛だ。女が髪を梳かすために使う」

 「なるほど。それで、人里を眺めていた訳か。清流殿、櫛を手に入れるためにはが必要だよ」

 「金?」

 「これさ」

 そう言うと、朧は懐から金を取り出して見せた。その手の平には、灰色の丸くて平べったい物が乗っている。真ん中には四角の穴が開いていて、その穴の周りには何か字が刻まれていた。

 「あたしが持っているのはこの一枚だけだ。金には種類があって、それぞれ価値が違う」

 「この一枚だけでは櫛は買えないのか?」

 「これだけじゃあ、いくら何でも無理だよ。それに、櫛というのは少し値が張る」

 「値……」

 清流が愕然としていると、朧は見かねたように言った。

 「どうしても櫛が欲しいと言うなら、金を稼ぐしかないだろうね。清流殿が稼ぐんだ」

 「俺が金を?」

 朧が頷く。

 「しかし、どうやって?」

 人間でない自分が金の稼ぎ方など知るはずがない。人間に化けて、人間の元で働けと言うのか?

 「人間の中には自分の特技を利用して金を稼ぐ者もいたよ。お前様は魍魎だ、水を操るだろう? なら、それを利用すればいい。人間の中にも『水芸』と呼ばれる、水の芸事を披露していた者もいたからね」

 清流の目が丸く見開かれる。朧はそんな彼を楽しそうに眺めながら、

 「後は、お前様次第だよ」

 「ああ、そうだな」

 清流は礼を言った後、朧に背を向けた。

 「おや、どこへ行くんだい?」

 「てんの所だ」

 「あの妖狐は子どもだよ。とっくに寝てるんじゃないかい?」

 「行ってみるだけだ。寝ていたら、日が昇ってからまた行くさ。妙案をありがとな、朧」

 「妙案だなんて。あたしは大したことはしていないよ。それじゃあ、また」

 別れを告げると、朧は羽を広げて夜空へ飛び立って行った。

 清流は空を見上げるのを止めると、歩き出した。

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