最終章:群れの強度

 ベリアルはむくりと起き上がり、目をしぱしぱさせる。

 あくびを一つ噛み殺し、

『ベレト、魔界にシン・イヴリースが現れた』

 子供と遊び疲れ、座り込んでいる腹心ベレトに声をかけた。

『……そいつは、好機と言うべきか? 大将ならそっこー戻ってぶん殴ってこれるだろ。ケリをつけるチャンスじゃねーか?』

『そうだな。それも良いが……誘われている気もする』

『大将を誘って何のメリットがあるんだよ?』

『今、権能のオリジンはシン・イヴリースが持っている。俺はその残滓を使ってここにいる、が、それとていずれは擦り切れ果てるもの。その残滓まで搾り取られたなら、俺たちには足がなくなる。超重では燃費が悪過ぎる』

『だから、あえて動かないってか?』

『どちらにせよ、魔界は本筋ではない。何の意図があるのかは知らないが、容易い選択肢をとって本筋の状況を悪化させるのは避けたい。このことは誰にも伝えるな。イヴァン、ヴントゥ辺りが帰りたがる。あのふた柱は貴重な戦力だ』

『……竜族のあれを勘定に入れんのは、あんまり好みじゃねえよ。あいつらが消えれば、竜族は終わりだ。つかよ、そう深読みさせんのが狙いかもしれねえぜ?』

『それならそれで、残った連中が何とかするだろう』

『今のガキどもには色んな意味で荷が勝ち過ぎると思うがねぇ』

『それで滅ぶなら、そこまでのこと。我々は戦うために生み出された生き物だ。それ以外で人に負けることはあっても、そこだけは劣ってはならない』

 ベリアルは遠き天頂の先、鈍く瞬く紅き星を眺める。

『魔族なら戦って勝ち取れ。生存競争こそが、魔族の原理だ』

 戦え、とその眼はただ一つを語る。


     ○


 第一世代は強い。だが、第二世代、第三世代、その全てがまるで歯が立たなかった、というわけではないのだ。実際に宝石王ガープをはじめ、数多くの魔族が魔界のトップである六大魔王に喧嘩を売って、敗れ去ってきた。

 勝てなかったから未だ六大魔王は変わらないままなのだが、そこに挑む胆力を、実力を持つ者はいたのだ。いや、厳密には未だいる。

 全てが死んだわけではない。敗れ、砕け、されど生き延びた者たち。挑戦する気概こそ失ったが、それでも自らの領域に手を出されたなら、当然牙を剥く。

 そこまで腐り果てていない。野心折れども、牙は折れず。

『かつて焦がれた背中が、このザマとは見るに堪えねえ』

 彼らは魔族なのだ。

『ほれほれ、戦えん連中は逃げた逃げた。やりたい奴だけ残れよー』

 堕ちても、

『哀れ也』

 朽ちても、

『せめてド派手に葬らせてもらいます、偉大なる先達よ』

 枯れても、

『厭だ厭だ厭だ厭だァ! もう二度と負けたくないィィィイイ! え? 操られてんの? 前よりは弱い? じゃあやる。殺す』

 腐っても、

『丁度腹減ってたんだよなぁ。腐ってねえよなぁ。食えるかなぁ、あいつら』

 彼らは魔族で、戦闘種族なのだ。六大魔王だけではない。第一世代だけでもない。敗れ、死ねず、生き延びていた強者などいくらでもいる。

 忘れてはならない。

 彼らは悠久の時を生きる生物。忘れ去られてなお、彼らはそこにいる。

『甘く見るなよ、魔族をォ!』

 メギドの炎で焼かれながら、フルゴラの槍を加納恭爾に突き立てるバァルが吼える。魔界全土で戦いの火が昇る。これら全てが蹂躙だと、簒奪だと思うならば、それは人の驕りだと、バァルは信ずる。闘争、ただその一点の積み重ねだけは――

『殺せェ!』

『ヘヨカ・カーガ』

 父ごと、容赦なくその雷は加納恭爾を貫く。

『ごぶ、分身体を見切る貴様でも、本体が囮と成れば多少意味もあるだろう』

「この程度の傷、すぐに治るが?」

『いいや、私の息子を、侮り過ぎたね』

 バァルは血を吐きながらにこりと微笑む。その瞬間、あまりにも無策で突っ込んでくるバァルの息子、ベルゼ。当然、加納は応戦しようとするも――

「な、に?」

『判断速度は、所詮人間だな!』

 身体が思うように動かず、意思とは正反対の方向へ迎撃をしてしまう。ベルゼの攻撃を防ごうにも、これまた意思とは真逆の行動を取ってしまい、防御が成立せずにベルゼの攻撃が全て当たる。雷も、刃も、矢も、意思が反して受けられない。

「これは、さっきの雷か」

『そういうことだ、人間』

 ヘヨカ・カーガは第三世代のベルゼがベレトとの戦いで敗戦してから考え出した異色の雷である。力の差を埋めるための工夫、相手の神経系に直接作用し、電気信号を狂わせるよう仕向けるものであった。別名、さかさまの雷。

「君は、少し人間味があるようだね」

『はは、反吐が出るね』

 先ほどまで敵とも認識していなかった第三世代の魔族に圧倒される加納。魔界の厚みをその身で味わうこととなった。父であるバァルもまたその雷を受けているがゆえ、彼もまたまともに戦うことも出来ないのはありがたいが。

『このまま僕が勝てば、多少は人間どもも敬意を表するようになるかな?』

「ふふ、それは、ない。そんな気持ちの良い人間など、いないのだよ」

 ベルゼに蹂躙されながらも、余裕を崩さない加納。その余裕が気に喰わぬベルゼはさらに攻め立てる。それでもやはり、この男は揺らがない。

「人間は、必ず君たち魔族を絶滅に追いやるだろう。そうせずにはいられない生き物だ。私たちは皆、自らを霊長と信じて疑わない。心の底からそう思っている。これからもっと傾くだろう。君たちの欠陥を見出し、牙を突き立てられぬほどに戦力を、生存圏を奪われたあげく、愛玩されるようになる」

『黙れよ、劣等!』

「最後には保護してもらえるかもしれないな。自らの手で居場所を奪って、他を圧倒し、取り返しのつかぬ段階で、彼らは想う。嗚呼、可哀そうな種族だこと、と。その感情を彼らはビジネスに結び付けるだろう。保護は、金になる。彼らの哀れさを声高に叫び、社会秩序を貪る様は、ふふ、私には美しく見えるよ」

『何言ってんのか、わかんねえなァ!』

「君たちの果ては絶滅か、愛玩のための箱庭か、どちらかでしかないという話だ。人は強いよ。とても強い生き物だ。後先を考えない。今が良ければ全て良い。だから、何でも出来る。壊すことに、消費することに、躊躇いがない。彼らに思慮を期待してはいけない。彼らはすぐに裏切るよ。君たちが牙を覗かせた瞬間、ね」

 加納恭爾はぐにゃりと微笑む。

「ありがとう、人間のために戦ってくれて。私を殺せば、人間を止める者は誰もいなくなる。嗚呼、魔族は遠からずどちらかの道を辿るよ。断言してもいい」

 わずかに、ベルゼの攻撃が、緩む。

『ベルゼ! 惑わされるな! その男の言葉を、聞くなァ!』

 父親の言葉で引き締まるも、時すでに遅し。

 シン・イヴリースの演算がヘヨカ・カーガを学習してしまった。加納は苦笑いを浮かべながら、ベルゼの首を掴みもう片方の腕で彼の腹を、打つ。

『がはっ!?』

 騙したな、ベルゼの目がそう語るも――

「いいや、私は何一つ嘘は言っていない。そして、君たち親子は生かそう。気が変わった。君たちはきっと、対立する。これは予言だ。人への価値観が、魔族への価値観が、歪みを生む。君は人を憎むだろう。そして同時に――」

 言いかけて、加納は言葉を飲み込んだ。

 この先は味消しだとでも思ったのだろうか。

『……魔界は、落ちんぞ』

「ああ、素晴らしい厚みだ。さすがは闘争の種族、思っていたよりもまだまだ強い。だがね、私は君たちの貌が歪むさまを見たいだけなんだ。今、息子との決別を予感した君の貌は良いものだった。兄を差し向けられ、苛立つシャイターンの貌も中々味がある。あれで彼は、ふふ、随分と兄弟想いなようだ」

 最後の最後まで、この男の意図を解することが出来なかった。

 次元を砕き、別の場所へと向かおうとする加納はベルゼへ振り返り、

「人間は醜く、愛おしい。これはきっと、私の対極である者たちも同じ想いなのだろう。愛であれ、憎であれ、浮かべた瞬間、君の道は定まる」

『ベルゼ、耳を貸すな』

 魔界を襲った敵であり、己が嫌いな人間である男。だが、何故かベルゼの眼にはこの男の去り際、浮かべている貌が強く残った。

「人間の引力に絡め取られたくなくば、何も思わぬことだ。何も思わねば、愛することも、絶望することもない。苦しみも、軽くなる」

 そう言い残し、男は消える。

 後にベルゼはこの時のことを思い返し、苦い苦い笑みを浮かべることとなる。そうは出来ぬと知りながらも、彼は間違いなく善意で語ってくれたのだ。

 それを知るのは、遥か遠くの明日、だが。


     ○


 その空間では様々なことが試される。

 心技体、全てが。

 心。きっちり身体を直されてしまうため、痛みが麻痺することはない。ゆえに死への恐怖が拭えることもない。心は当然摩耗し続ける。常に揺らぐよう、試練を与える者は立ち回るし、それで揺らがぬ者は人間ではない。

 人間である限り、心は揺れ、試され続ける。

 技。痛み、死、それらから逃れるために嫌でも工夫が求められる。総量で圧倒的に劣る以上、コントロールで差を埋めるしかない。必要は発明の母、この空間では常にそれらが必要とされ続ける。ゆえに平時よりも飛躍的に伸びる。

 人間とは必要に迫られ初めて底に至るのだ。

 体。常にかかる負荷。体を強くする方法は一つ、壊し、治し、そのサイクルを回すこと。破壊、再生、破壊、再生、その螺旋によって器はより強く、より大きく、膨らみ、力を得る。それはもちろん、魔力炉も同じこと。

 人間は社会の縮図、いや、社会構造が人間と同じ、というべきか。

 パラスはようやくこの試練の意図を察した。

「随分と、人数が減ったな」

「悠長な、感想ですね。離脱者のことなど、気にしている、場合ですか。私は、怖い。死ぬのが、痛みが、ウィンザーの名が無くば、とうに、折れて――」

 誰もが思慮を張り巡らせる余裕などない。

 実際にパラスとて気づいたのはつい先ほど。それまでは彼女と同じように名の支えによって立っていたようなもの。

「ふん、何を持って離脱したのかって話だろうに」

 パラスはいつの間にか減っていた人を見つめ、嗤う。そろそろ試練も終わりだろう。あと幾人か、振り落とされたなら、残った者は――

『ぐがが、この試練で笑うかよ、シャーロット・テーラー!』

「ふはは! 笑うともよ。窮地でこそ、スタァは輝かねばならない。もう二度と、彼に堕ちぬと誓ったのだ! 涙は、あの日で最後と決めている!」

 どれだけ傷ついても――

『あらあら、精度が上がってもこの程度? 惰弱ねえ!』

「もっと鋭く、もっと、もっと、もっともっともっともっとォ!」

『……あら、私の拳をきっちり跳ね返すなんて、生意気よ』

「悪いけど私、弱音は昨日に置いてきたの!」

『ふふ、私、好きよ。そういうの』

 どれだけ砕かれても――

『いってぇ! でも、負けねえよォ!』

『無限に戦えるなんて贅沢過ぎて、ハハ、涙が出らァ!』

 折れぬ者は折れない。

「守るのだ。世界を、愛する者を。かつて、俺もまた、我が友同様に妻子を奪われた。残った子を親類に預け、修行の果て、腐り果てた。希望を口ずさみながら、希望など信じていなかった! だが、今は違う。違うのだ!」

 この試練は人の心を、露にさせてしまう。平時であれば取り繕えようとも、この空間でまで仮面を被り続けるのは不可能。

「そうだろう、アルフォンスよ!」

「…………」

 本当に揺らがぬ心を持てるのは――

「……そうか、いや、仕方あるまい。俺もまた、守る者を思い出さねば、折れていた。それだけの、たったそれだけの、薄皮の違いなのだろうな」

 ごく一握りの超越者か、揺らがぬ理由を持つ者のみ。

 大概は後者、それを持つ者とて、やはりひと握りしかいないのだが。

『これが、人か』

 何とかしがみ付くドラクルは人の強さに驚きを隠せなかった。魔族である己でさえ、幾度折れかけたことか。闘争を宿命づけられた種族でも、残ったアバドン、スラッシュ以外の者たちは気づけば消えている。

 あれだけ王の血を守ろうと息巻いていたエルの民も、残っているのはかすれ果てながらも使命を果たさんとする戦士長セノイと、エルを背負う覚悟を見出しつつあるライラのみ。それ以外はもう、残っていない。

 元々の数が多かったこともあるが、それでも残っている人の多さは、他の種族とは明らかに異なる結果であった。

『よそ見する余裕あるのか、ジャリトカゲ!』

『ぐ、ぬ!』

『お、対応するかよ、今のを。研ぎ澄まされてきたねえ!』

『まだ、まだァ!』

 残った者は徐々に気付き始めた。この試練の意図を。

 そして、終わりを。


     ○


「大獄の先で駒を手に入れたか、本当に攻略されたようだね、イヴは」

 シュバルツバルトは哀しげに首を振る。

「ぐがが、そうさな。あのバカ女の意思が残っていれば、絶対に大獄へは近づけん。あれは誰よりも『レコーズ』を憎みながら、誰よりも恐れていたからな。まあ、よく持った方であろうよ。それほどに、あの男は強い」

 シュバルツバルトの言葉に反応するのは、目を瞑って座禅を組んでいるレウニールであった。長時間微動だにしていないが、額にはうっすらと汗をかいている。

「何が違うのだろうね? 普通の人と」

「何も違わん。ただ真逆に生まれ、取り繕い続けたが故に歪んだ、哀れなるニンゲンよ。だからこそ、強いのだ。群れの強度は、強き者で決まるわけではない。弱き者、大多数の者の強度によって決まる」

「……やり直しを図ったアポロンが正しかったのかな?」

「ぐがが、それを決めるのは、先の話であろうが。今より遥か遠き明日の、そのまた明日。そこでようやくわかるのだ。答えが」

「遠いね」

「なに、さほど、遠くもない」

 レウニールは片目を開け、苦い笑みを浮かべる。

「それに体感している我は、もう答えを教わったようなものだ。我らに至る前の、遠き昨日を味わいて、な。ぐが、泣けてくる」

 涙が一筋、零れ落ちる。

「強いかい、彼女たちは」

「……強い」

「そっか」

 遠き日の過ち。その産物である彼らは複雑な想いを浮かべる。正しき道の先に自分たちがいないことを思い至り、納得できる者はそう多くないだろう。

 存在自体が過ちなどと、思いたくはない。

「もう終わりそう?」

「あと数名、振り切れば、もう揺れぬ」

「素晴らしいね。想定よりも遥かに多い」

 それでも、そう考えた者がいたからこそ、今がある。

 その可能性に賭けた者がいたからこそ――

「さあ、あと少しだ。頑張れ、みんな」

 意識なく倒れ伏す者たちを見て、シュバルツバルトは微笑んでいた。

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