第4章:やりたいこと

 加納恭爾にとって葛城善というのは、今までの人生で一度も見たことがない珍種であった。人間というのはどんな綺麗ごとを吐いても、最終的には根っこのところで変わらない生き物だった。死の瞬間、裁判の時、皆想像に違わぬ貌を見せた。

 最初の印象、多くの貌を見てきた加納恭爾はそれで全てが見えるようになった。随分老いてからではあったが、コツを見出してからその目算を外したことは皆無。

 しかも、転生させた元人間に関しては召喚の際、記憶を覗きバックボーンを知ることすら可能。そこまでわかっていれば予想を外す方が難しい。

 彼は間違いなく凡庸な、どこにでもいる男であった。多少非凡な面はあっても、それは誰にでも言えること。人間誰しも適性というのはあるもの。大事なのは適性な環境を掴み取れるか、それを見出す嗅覚、運があるかどうか。

 そういう意味でも彼は凡庸極まりなかった。あのままあちらの世界にいても、絶対に適性環境を得る道はなかっただろうし、彼自身がそれを見出すこともなかったはず。誰よりも彼自身が自らが凡庸で、つまらない人間だと定義していた。

 それでは見つかるものも見つからない。

 自己評価の低い人間というのは、その時点で劣るのだ。そんな者に機会は訪れない。機会を与える者もいない。彼らのような自らを凡人、劣等と定義する者たちは勘違いしている。能力など経験値が育むもので、経験を得る機会を逸していることこそが最大の過ち。そこに気づけぬからこそ、劣る者なのだが。

 加納恭爾の知る範囲で、成功者、到達者、優秀な人材とは皆、自己評価の高い者たちであった。謙虚に見せることはしても、その実自信には満ち溢れている。貪欲に機会を求め、経験してきたからこその能力があった。

 葛城善にはそれがない。未だ自己評価が低いままで己に挑んできたのだ。ありえない話であろう。第一の男、第二、第三、彼らは皆、自分の能力に絶対の自信を持っていた。それに見合う経験を積み、自他共に優秀であると認めている。

 だから、世界は彼らを選んだのだ。それは加納恭爾とて同じ。やりたいことの傍ら、効率的に積み上げ最高裁判所の裁判官にまで到達している。誰もが彼を優秀な人物だと認識していたし、自らもまたそう思っていた。

 普通は、それが当たり前。到達するまでに嫌でも自己評価は高くなる。それも相当初期段階で、そうなるのが当たり前であるのだ。

 しかし、葛城善はそれが低いまま、機会だけを貪り力を付けた。英雄たちのような成功者、到達者に並び立つまで、いや、超えるところまで来たのだ。この世界に限定すれば、オーケンフィールド以上の成功体験をしているはず。

 それでも彼は低いまま、積み上げた。

 異常、である。そしてその異常を創り上げたのは――

(わたし、か)

 加納恭爾自身であった。劣等を集め、玩んだ。その結果、突然変異でこんな怪物を生み出してしまった。ここまで至ってもなお、満足せぬ求道者を。

 彼が葛城善を劣等であるとバトルオークという形で定義してしまったから。

 だから彼は止まらない。自分で出来ないなら仕方がない、という割り切りも、天井も設けない。何故ならば自己評価が低いから。今まではそれが悪い方にも出ていた。優秀な皆なら何とかしてくれる、という姿勢に。

 だが、それを失った今、天井知らずの止まらぬ馬鹿が生まれてしまった。ただの珍種は今、加納恭爾にとって未知の怪物へと生まれ変わってしまった。

「ぐ、ォォォォオオオオオ!?」

 自らの過ちを悔いる中、無数の剣が押し寄せる。

 それらは一つ一つ、弱くとも自らを傷つけるために生み出された刃。ただのかすり傷が、容易く回復してくれない。学習しようにも一つ一つが異なるアプローチで効果を発揮してくるため、さしものイヴリースも対策不可能。

『イヴリィィィスッ!』

 剣の嵐だけではなく、獣の力そのままに襲い来る剣の王がいるのだ。先ほどまでとは戦い方そのものが違う。内包する七つ牙も含め、工夫に満ちた攻めを見せる。それどころかここに来て何かが噛み合ったのか、学習したまま埃をかぶっていた格闘術なども発揮し始める。出来損ないの発勁、下手くそな空手。

 一つ一つは見るに堪えぬクオリティだが、織り交ぜられると独特の緩急となり加納恭爾の処理能力を超えてくる。

『ここが正念場だぞ! 相棒!』

 不器用にも積み重ねてきた。

 ただの高校生が、いじめられっ子が、世界に選ばれた人材に比肩するまでに。加納恭爾は貌を歪める。これを、この怪物が生まれる原因は、自らの悪意にあることを理解してしまったから。人は変わる。只人が君臨する可能性も――

「それは、ありえない!」

 後退しながら、メギドの大炎を連射する加納恭爾。その貌には強烈な苛立ちがあった。変えられぬから、変わらぬからそのように生きた。

『加納恭爾、俺がテメエを必ず挙げて見せる!』

 在りし日の記憶。そう信ずるからこそ、封じた想いもある。

『人は、変わらぬのだァ!』

 再度魔獣化し、威力と連射速度を上げる魔王。

『ウォォォォォォォォオオオオオアアアアア!』

 それに伴い、剣の王もまた刃金をこの世界に偽造していく。

『貴様だけ変わるなど、私は認めない!』

 包囲する剣を消し去るために、魔王は全方位に向けて虚無を打ち出した。虫食いだらけになる包囲、その穴から剣の王が飛び込んでくる。

『ッ!?』

 極大の虚無で応戦するも、盾の剣としか表現できぬそれで剣の王が打ち返す。虚無が、自らの力が、加納恭爾をごっそりと削った。

『あ、がぁ。こ、小癪、な』

 その隙を突いて、無数の剣が魔王に降り注ぐ。

 さながら、豪雨の如く。

 地平を埋め尽くす剣の墓標。壮観なる景色の果て、傷だらけの魔王は怒りに打ち震えていた。痛みなどさほど問題ではない。痛覚のほとんどはシャットアウトしている。それでも破壊の規模、性質によってはそれなりに痛むのだが。

 それは問題ではないのだ。問題なのはあの男の存在自体。人は変われるという存在証明こそが、加納恭爾を苛立たせ、揺らす。

 葛城善が見下ろし、加納恭爾が見上げる世界などあってはならない。

『ウ、ガ』

 剣の王、その腕が自壊する。おそらくは末端から、四肢から壊死していくのだろう。普段の加納恭爾であれば、アルスマグナをこちらに呼び寄せてでも持久戦を仕掛けただろう。それが彼にとっては最もやってほしくないことだから。

 だが、今日は何故か、とてもそんな気になれなかった。

『時間切れで死ねると思うな。必ず、その心根、へし折ってやる!』

 さらに魔獣化を深める、加納恭爾。自我を失う危険を冒してまで、あれを砕く力を求めた。必ず、自らの手で破壊する。

 悪意の王は、あの存在を否定する。

『クタ、バレ!』

 多少の傷など、意に介さない。痛みなど今の彼にとってはブレーキにもならない。弱く生まれついた者は、弱く在り続けよ。強く生まれた己にひれ伏せ。

 対極に生まれついた己に、在り得たかもしれない未来を、見せるな。

『滅ベ! 滅ォベ! ホルォォベェェェェェエエエ!』

 有無を言わせぬ力押し。意識失う寸前まで、スペックアップに注いだ。悪意の王は生まれて初めて、愉悦以外での殺意をそこに見出した。

 男は矛盾に気付かない。自分が今抱いている想いもまた、変化なのだと。

『相棒!? クソ、これでも、まだ届かねえのかよ!』

 剣を砕き、刃金をへし折り、剣の王を叩きつけ、打ち倒し、魔王の進撃は止まらない。切っても、貫いても、無理やり詰めてくる。

 ここに来て、理屈もクソもない力押し。

『ヒレ伏セ。世界ハ コウ在ルベキダ』

 剣による手足砕け、残っていた生身の足もまた魔王が引き千切る。

 それで血が噴き出るなら、まだ救いはあったが――

『……まずい』

 ギゾーの言葉通り、もぎ取った足はそのまま砕け散り、もぎ取られた部分もまたじわじわとヒビが侵食し始める。

 魔王は剣の王の頭部を踏みつけ、地に押し付ける。そう在れ、と刻み込むように。もう二度と立ち上がるな、と命ずるかのように。

 魔王は天に手を掲げ、ふわりと浮かび上がる。

 掌の先にはあの時の、絶望が在った。少しずつ肥大化するメギドの大炎。あのオーケンフィールドですら皆の力を束ねた奇跡でなければ破壊不可能であったモノ。完全なる決着のため、加納恭爾はそれを用意する。

 凄絶に歪む魔王の貌。誰もが死の間際、本当の貌が出る。

 ここまで取り繕ったのは見事。

 だが、この先は取り繕うことなど不可能な生と死の狭間。ようやくこの苛立ちを解消することが出来る、と加納恭爾は嗤う。

 終末の刹那、彼の本性が暴かれる。


     ○


 誰もが見つめていた。祈りながら、願いながら、あれだけ捧げてもなお勝てぬ絶望を前に抗い続けたモノを、見つめていた。

 しかし、終わりの時は来る。絶望がまたも上回る。

 奇跡はない。希望はない。

 それに彼は、正義の味方ではないのだ。自らの痛み、苦しみ、絶望によって戦っていた、英雄のような道を歩んだ只人。希望を託すには弱く、英雄とするほどの輝きはない。勝てなくても、届かなくても、仕方がない。

 皆、そう思った。

 彼は正義の味方ではない。自分でそう言っていたのだ。

 ただの八つ当たりなのだと、言い切った。

 その怒りは本物で、それが在れ狂う様を見てスカッとした者もいただろう。自分たちの怒りを、絶望への憤りを晴らしてくれたように思えたから。

 そんな彼だからこそ、弱き者たちの共感を呼び――

 そんな彼がここより見せる姿が、人々を――


     ○


 這いつくばり、体中あらゆるところが砕け散る男は、静かに天を見つめる。そこには絶望が在った。巨大で、抗い難い、大いなる絶望が。

「あ、ああ、あ、ああ」

 男は天に手を伸ばす。しかしてその手は、すでに無い。

『……知ってるよ』

 彼の胸中を知る、ただ一つの存在は心の中でほほ笑んだ。

 彼だけは最初から知っていた。怒りも、苦しみも、悔しさも、全部嘘ではない。でも、それだけではないことを、彼だけは知っていたのだ。

「あ、あす、アスト、レア」

 人を超え、獣を超え、剣に至り、真なる人に達する。

「み、み、んな」

 男は絶望を見つめる。明日、あれが彼らに向けられることを、想像する。

『ああ、そうだな。お前さんが死んだら、あれが向けられるんだ。最初から知ってるよ。お前さんがよぉ、自分のためなんかじゃ頑張れねえダメな子だってな』

 全部さらけ出した。すべて吐き出した。

「まも、る」

『悪くなかったもんなぁ。背負うってのも。頼られるってのも。重荷が、その重さが、救いでもあったもんなぁ。動機はどうあれ、それは確かに在ったのさ』

 そして最後に残ったモノが、彼にとって最も大きな、モノ。

「まも、る、んだ」

 最も大事で、それが葛城善の骨子。

『これで、正真正銘全部だ。吐き出せよ、相棒。俺もいっしょだ』

 己が命よりも大事なモノ。

 子供たちの笑顔、ぬくもり、小さな手、抱いた重さ。

「守るんだァァァァァァアアアアアアアアアアアアッ!」

 最後に残ったそれらを抱き、葛城善は葛城善にたどり着いた。

 伸ばす手はなくとも、剣は在る。

『これが俺と相棒の、最高傑作だ』

 偽造神眼が虹の輝きと共に見開かれる。

 彼の造り手が祈った可能性の彼岸に、至る。

 葛城善のフィフスフィア『ウェポンマスター』と偽造神眼の造り手シン・ヴァルカンのシックスセンス『クリエイト』が絡み合い、新たなる地平に彼らは立つ。

 いざ、前人未到の領域へ。

 天を衝け、虹の剣よ。

 その名は『エクセリオン』。希望を守るための剣が今、顕現する。

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