第2章:バァル・ゼブル

(そんな、馬鹿な!?)

 全員が共通する思い。

「私の名はバァル・ゼブル。ああ、君たちの自己紹介は必要ない」

 この中立地帯で王クラスに遭遇すること自体は珍しいことではない。群れではなく個として活動する王クラスにとってこの都市は居心地がいいのだ。

「全員知っているから」

 実際に王クラスの魔族自体は何柱か目にしている。

 だが――

(何故、このプルートニオンに、六大魔王がいる!?)

 シュウは高速で思考を回していた。正しい解答を導かねば、誤った対応一つでこの場全員が死ぬのだ。最強クラスの王、生き残る方が難儀。

「おや、警戒されているね」

「そりゃあそうでしょう、偉大なる王の御前なれば」

「でも、今の私になら君、勝てるんじゃない?」

「え?」

『シュウちゃんよぉ。こいつらは個であり群れでもある。群体なんだよ。こいつはバァル・ゼブルを構成するうちの一つ、だ』

「さすがの知識だ。偽造神眼の言う通り、私は完全な状態ではない。まあ、これ以上数を増やせばプルートゥも黙っていてはくれないだろうし、目立つから」

 いたずらっぽく笑う男に王の威厳は見受けられない。

 ゼンは冷や汗を流しながら思う。本当にこの男はあの怪物、寝起きに世界を破壊しそうな魔族と同格の存在なのか、と。

「ちなみに今、このプルートニオンは君たちが思う以上に混沌としていてね、少し場所を移したい。魔族は基本的に考えなしなんだが――」

 バァル・ゼブルが困ったように笑うと――

『おっ、あのオークだ! 巣作りさぼって遊びに来た甲斐があったぜ!』

『ッ!? おいおい相棒、連中、ベリアルのとこの』

『ああ、スラッシュとアバドンだ』

 少し前でおつかい中、戦闘した魔族が笑顔で迫ってくる。

 あの笑顔は喧嘩相手を見つけたそれ、一度の邂逅で彼らを理解していた。

『あれはベリアルの軍勢の、アバドンか!?』

『ぐっ、我らも後れを取るな!』

 それに追従するような形で他の魔族も動き出す。

「……こんなにいるのか!?」

「どういう、ことだい?」

「やばいっす。めっちゃ囲まれてるっす!」

 周囲に溶け込んでいた魔族。てんでバラバラな動きであるが、明らかにその足はゼンたちに向かっていた。目的はわからない。

「頭まで考えなしかというと、そうでもなかったりするのさ」

 バァル・ゼブルが指を弾くと――

『ぬおッ!?』

『消えた!?』

『ゼェン、どこだァ! 俺と遊ぼうぜおい!』

『その前に俺にリベンジさせろアバドン。じゃんけん俺が勝ったの忘れんなよ!』

 彼ら全員の姿が忽然と消えていた。

 まるで初めからそこに何もなかったかのように――

『……いかずち、か』

 されど、残り香を察する者もまたゼロではなかった。

『おいおい、ルシファーのとこの』

『ああ、ドラクルだ。側近中の側近だぞ』

 重苦しい気配をまとう男は天を眺めながら首を振る。

『君が邪魔をしなければ殺せたんだけどねぇ。シャイターン様に叱られちゃうじゃないか、まったく。第三世代の分際で粋がるなよ、竜族』

『シン・イヴリースか、貴様らか、どちらかの手に渡るようなら止めるか殺せ、それが我が主の命だ。何なら今、ここでかつての続きをやってもいいぞ、成らず者』

『……ほんと、粋がるねえ』

 美しい翼をもつ男、いや、女、どちらとも取れる者は顔を歪ませながらドラクルと呼ばれた男と睨み合う。どちらも王クラス、それも近くにいるアバドンが仕掛けられないほど高位の王である。

 だが――

『ガキどもがァ。誰の縄張りで喧嘩してやがる』

 大気が震えるような声。

『おっと、さすがに第一世代と事を構える気はないね』

『申し訳ない。我が主にも荒らす意図はない。疾く去ろう』

 姿はなくとも圧でわかる。本当に、この世界には上には上がいるのだ。

『魔族らしからぬ腹の探り合い、気に食わん。ルシファー、シャイターン、ベリアル、は勝手にガキが来ただけか。ああ、あと、母上の配下も紛れてんなァ。いる分には手ェ出す気はねェが、あんまり場ァ乱すなら消すぞ、ガキども』

 声だけで殺されそうなほどの圧力が都市全体にのしかかる。

 これぞ冥王プルートゥ。世界の中心で居を構え、誰に与することなくこの都市を守り続ける、魔界でも数少ない六大魔王に比肩する怪物のひと柱。

 魔族ならだれでも知っている。怒らせてはならぬ存在である。

『とんでもねえな、アバドン』

『ああ、ベレトさんもそうだが、第一世代は化け物ばかりだ』

『化け物しか残ってねえ、だろ? 神族と殴り合いして生き残った連中だぜ』

 ただの一喝で混沌としかけた都市に沈黙が下りる。

 まあ、どちらにせよ彼らのターゲットは――

『バァルに持っていかれたか』

『まあ、変態だが、話は分かる手合いだ。悪くない落としどころだろう』

『イヴリースの狙いが知りたかったんだが』

『ふん、あれが末端に重大な事実を教えているとも思えんがね』

 いかずちが掻っ攫っていったので、もはや争う意味もなくなっていた。


     〇


「な、なんすかここは!?」

 びっくり仰天するみずきにバァルは嬉しそうに微笑む。

「ふふ、人族に驚いてもらえるとは光栄だ。この城は私が設計してね、何百年もかけて作った。構想も含めたら千年はかかったかなあ」

「せ、千年!?」

「私たちにとっては瞬く間だよ。千年ひと昔、なんて昔はよく言ったものさ。神族との戦争なんて何千年も続くのが当たり前だったし。まだ当時私は若輩者だったが、時なんてあっという間だよ。君たちの十年の方がよほど濃密だ」

 人当たりの良いバァルの振舞いに、徐々に警戒を解いていく一行。

「何故、人界の言葉を使えるのですか?」

「あ」

『気づけよ相棒。バイリンガルが泣くぜ』

 シュウの問いかけに今更気づいたゼン。それにあきれるギゾー。

「そちらの方が互いにとって都合がいいだろう? 別に難しい技術じゃない」

「俺たちも魔族の言葉が使える可能性がある、と?」

「君ならそうだろうね。魔術、少しは勉強しているんだろう?」

「…………」

 シュウだけはこの男に対して警戒を緩めていなかった。

 知っているのはアストライアーでも一部の者だけ。シュウが魔術を勉強し、それなりに使えることを知っているのはオーケンフィールド、大星、ドクター、コードレスくらい。彼らが口を割るとは考えにくいため、必然浮かぶは――

(こいつ、さっきもそうだがタイミングにしろ察しにしろ、いくら何でも良過ぎる。盗み聞きされているのか、それとも何か別の――)

 そうこう考えている内に――

 城の最上、雲海を一望できるバルコニーに彼らは案内された。

「地上は粉塵が多くていけない。空はいいよ、空は。魔界でも比較的空気がうまいからね。その分薄いけど、どちらを取るか、という話だ」

 まだ体は分裂したままなのだろう。それほど強い圧を感じない。

「使い手である貴方はともかく、俺たちまで雲の上に、瞬く間で運んだ術理、興味がありますね。あまりにも人界の理を超越している」

「君は賢いけれど間違っているよ。私たちは力ずくでそうしているだけ、技術的には人族の方がよほど進んでいるし真理に近い。ただ強さを与えられただけの獣が私たちだ。私は君たちが羨ましいよ、皮肉でもなんでもなくて、ね」

 バチッ、何かが爆ぜた音と共にバァルの体がバルコニーの外に出る。

 刹那、誰も目視できない速さ。

「さて、本題に入ろうか。君たちの目的はロキの奪還、果てはイヴリースの打倒、で相違ないかな? 相違があったら大問題だけど」

「俺が代表で話す。いいな、みんな」

「もちろんだよ。ナンバーシックス」

「お願いしまっす!」

「最初から任せてる」

『さすが相棒。虚無ってるねえ』

 シュウが一歩前に進み出る。

「その認識で間違いありません、バァル王」

「ならば結構。まず前提条件として、私はロキの奪還、あまり快く思っていない。いや、快く思う魔族はいない、と思った方がいい」

「それは、ロキの魔界侵攻が理由ですか?」

「そうなるね。彼は魔族の血を引いているだけあって内蔵魔力、オドの総量はなかなかどうして馬鹿には出来ない。その上で、人の貪欲さによって得た魔術がある。彼の魔光術は見事なものだよ。毒が残留する、というのが興味深い」

「……俺も仕組みは一通り学びました」

「出来るかい?」

「いいえ、凄まじい魔術の腕があっての術です。俺にはとても」

「……私が視た会話だと、そうは言っていなかったがね」

 ゾク、とシュウは突如奔った怖気に笑みを浮かべる。

「この世界では、と付け加えます」

「原子爆弾、原子力、毒は確か――」

 何故聞かれていた、とシュウは内心急いていた。オーケンフィールドたちと話した内容、秘密裏に行われた会話を盗聴されていた事実に冷や汗が止まらない。

 これは、他の面々にも伝わってはならぬことなのだ。

 何よりも現地の民にきっかけすら与えてはならない知識の一つ。

「と、色々と盗み聞きはしていた。が、我々には理解できない言葉が多すぎてね、正直掴み切れていない。だから、取引がしたいと思った。ロキはともかく、イヴリースに関しては君たちと魔族のスタンスにズレはない。あれは滅ぶべきものだ」

 ぶぅん、とバァルの身に何かが集まってくる。

 いや、バァルそのものが、凄まじい勢いで集合し、そして圧を増していく。

「君たちの推論と引き換えにロキの奪還を手伝おう。大獄の情報も提供する。だから、君たちの世界を私に教えてくれ。いや、自分でもダメなのはわかっているんだが、どうしても、その、好奇心には勝てなくて、ね」

 完全体となったバァルを見てシャーロットとみずきは腰を抜かす。ゼンも以前、ベリアルを目の当たりにしていなかったら心が折れていたかもしれない。シュウのように歯を食いしばりながらでも立てていた自信はなかった。

「どうだろう?」

 問いかけであるが、これは明らかに――

 雷鳴が轟く、雲海の色が漆黒に染まっていた。黒き雷が雲海を奔り、天に上る。

 バァルの欲、この怪物は好奇心の獣であった。

 魔族でありながら城を築き上げ、それを浮かせて空を自らの領土とした変態魔王。賢く、弁えているくせに、好奇心がくすぐられると平気で格上にも喧嘩を売る。この男もまた理不尽の体現者。ゆえに王。

 王の中では話が分かる相手ではある。この怪物でなければそもそも取引の材料すらなかった。間違いなくこの出会いは好機である。逃す手などない。

 今だけを考えるならば――

「教えられることだけ、だ! 教えられないことは、ある!」

 洗いざらいを話した方がいい。『今』だけを考えるならば、この場で抗弁をするべきではない。どうやっても勝てない相手が目の前にいるのだ。

 これは明らかに悪手であろう。

 それでもシュウはわかっていながら、指した。

「もちろんだとも! 素晴らしい答えだ、人の子よ。全部教えられたら、それはそれでつまらない。私は過程も愛でる性質でね。嗚呼、最高の気分だ。君みたいな聡い子が、取捨選択をした情報を得る。それを組み合わせて視る『未来』は、さぞ素敵だろうなァ」

「ッ!?」

 青ざめるシュウ。笑うバァル。

 慄きながら置き去りにされるゼンたちは嵐が去ったことを感じ、安堵の息を吐く。王から圧が消え、雲海が徐々に白色に色を変えていったから。

「奥で話そう、人の子。シュウ、だったか?」

「……わかりました」

 バァルがにこやかに手招く奥にシュウは一人歩いていく。

 残されたゼンたちは立っていることすら出来なかった。

 皆、一様に膝をつき、下を向く。

「ハハ、なんだい、あれは。冗談が、きつ過ぎる」

「死んだかと、思ったっす。おしっこ、漏れちゃった、っす」

 シャーロットとみずきは初めて対面した王クラス、それも六大魔王という隔絶した存在に震えていた。彼女たちなりの予想は、推測はあっただろう。普段戦っている魔族を見て、様々な先輩たちからの情報を聞いて、これぐらいかな、と想像はしていた。それなりの覚悟もあっただろう。

 だが、全然足りていなかった。

「あれが王クラス、その最上位だ」

『あれで全力じゃねえぞ。おそらく、この城に散っていた自分を集めただけだ。シュウちゃんの反応から見ても、各地に群体を放って、情報収集させてるんだろ。なら、本当の本気はこんなもんじゃねえ。たぶんな』

 さらに先がある。その情報に震えが増す。

 改めて彼女たちは知った。

 この世界における当たり前、を。

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