第15話 速戦即決

「葉月お嬢様、この辺りで気配が消えています」


田村が車を静かに路肩に停め、太く低い声で呟いた。

施設から北にだいぶ離れた、鷲羽山に近い場所だ。

辺りはやはり工場しか見受けられず、夜のこの時間は人通りも皆無だった。


メルからは、ここまで何も連絡が無かった。

試しに彼女の携帯にかけてみたが、やはり通じない。

電源が切られているのか、あるいは――和馬の背筋を、悪寒が走った。

最悪の事態が起きてしまったのだ。

震える拳を、白くなるほど強く握り締める。


(メルちゃん!)


拳を胸に当て、荒ぶる呼吸を鎮めることに努める。

逸ってはいけない。

父、母、大崎、理子――信頼する大人たちの言葉を思い出し、何度も胸の内で繰り返す。

鼓動が、元に戻った。

五感も思考も、常よりも鋭くなっているように感じられる。

態度こそ物静かだが、和馬は燃えていた。


「行こう」


和馬の言葉に、葉月が力強く頷くとドアを開けた。


「なりません、お嬢様。警察に連絡を入れました。後は任せましょう」


「待てない。手遅れになってからでは意味がない、違うか?」


田村の返答を待たずに葉月は車外に出た。和馬も、落ち着いた物腰で続く。

周囲の気配を探った――見渡したが、やはり誰もいない。

だが、


「こっちだ……」


葉月は何か気配を感じ取ったようだ。

人間とは違う、魔族特有の感覚かもしれない。

彼女に従って百メートルほど進むと、大きな工場に突き当たった。

和馬がパッと見た限りでは、何の工場かまでは分からない。

どうやらこちらは裏門のようだ。

横にスライドさせて開くタイプの門だが、鎖と南京錠が掛けられている。鎖に付けられた札を見ると、この工場はすでに閉鎖中のようだった。


「この中に?」


「ああ、恐らくな。結城、もう一度訊く。本当に、行くのか?」


和馬は躊躇せず、大きく頷いた。

葉月を守り、メルと葉月の祖母の二人を救出する――今やるべきことはそれだけだ。


「すでに向こうも私たちに気付いているだろう。戦闘になるぞ」


「大丈夫」


「……分かった。行こう」


二人が門を乗り越えようと手をかけたところで、背後から急接近する車輪の音に気付いた。

和馬と葉月がすかさず身構えて振り返ると――。


「お待たせしました~」


心強い味方が、例によって屋台のリヤカーを引いて登場した。


「美帆さん……どうやってここが分かったんですか?」


理子から連絡は当然入っていただろうが、それにしても早い到着だ。

しかも一人で来ているところからすると、警察や代理人とは別行動を取りつつ、単独でこの場所を探し当てたことになる。

普段から謎めいた人だが、さすがにここは経緯を説明して欲しいところだ。


「ええ、まあ。直接聞き出したんですよ、え~っと、白何ちゃら社の方から」


「え?」


「大崎さんに電話で相談してみたんですよ。そうしたら、その組織の構成員かもしれないという方の自宅を今さっき特定できた、と聞きまして。で、後は殴りこ……家庭訪問を行って、教えていただいたというわけです~」


間延びした口調で、思わず耳を疑うようなことを悪びれもせずに口にした。

絶対に敵に回したくタイプの人間だ。その構成員がどのような目に遭わされたのかは、和馬も想像しないことにした。

それにしても、誘拐されたと聞いてすぐに藤堂蔵馬一味の犯行だと断定してしまうとは、いささか強引すぎる話でもある。

もっとも今回の場合は、それが功を奏したわけだが。


「まあそれからも、ここまで来るには艱難辛苦に右往左往、実に色々とあったのですが~。まあ、今はそれを語っている時ではありませんよね~」


美帆の言う通り、詳細は全てが解決してから、理子にステーキを奢ってもらいながら話してもらうべきだろう。

弛緩した空気を再度引き締め、三人が門を乗り越えた瞬間――。

敷地内の、消えていた灯が一斉に点いた。葉月の言葉通り、敵もこちらの動きは掴んでいたようだ。

だが、無論それでおめおめと引き下がるような三人ではない。

三人は横並びになると、堂々とした足取りで工場へ向かっていった。

いつの間にか、分厚い雲の切れ間から満月が顔を覗かせていた。


「あらあ、早速のお出迎えでございますねえ~」


スーツ姿の長身の壮年男性に、小柄だがずんぐりとした体格の作業服を着た男。

さらに、お世辞にも上品とは言い難い風体の若者が三人、物陰からぞろぞろと姿を現した。

腕組みをして後方に控えるスーツ男性が、リーダー格のようだ。

作業服の男の手には鉄パイプが、若者たちは大型ナイフを手にしている。


「いきなり喧嘩腰ですか。いやな会社ですね~。あ、秘密結社でしたか~」


「結城、下がっていろ。あいつら、ただの人間じゃない。恐らく、魔薬で力を得ている」


魔薬――大崎の情報にもあった、藤堂蔵馬の常套手段だ。

その魅力で配下を増やし、さらに彼らを強力な兵隊に仕立て上げる。

だが、その強すぎる副作用は麻薬などの比ではないとも言われていた。

そんなことは織り込み済みで、藤堂は魔薬を広めているのだろう。

他人を捨て駒にし、自らの野望の贄とする――許しがたい悪行だった。


「大丈夫、僕も戦えるよ」


和馬の答えに、葉月はただ一言「分かった」と呟いた。

同時に、彼女の中指の指輪から『鍛冶屋』が現れて、主に細身の剣を捧げた。

美帆が『鬼遣』を抜き放つ。対魔族用に鍛えられた神刀であるが、邪な者を成敗するために行使することを彼女は決して躊躇わない。


三人が歩みを止めることなく間合いを詰めていくと、ニタニタと不愉快な笑みを浮かべていた若者たちが、奇声をあげて飛び上がった。

いずれも、尋常ならざる跳躍力だ。

三人の後方十メートルほどの位置に、若者たちが着地する。

スーツの男が腕組みを解くと、その右手に白い光を放つ塊が浮き上がった。

作業服の男が、不気味な唸り声をあげると、体躯がみるみるうちに巨大化していく。

もはや彼らは、人であることを棄ててしまっているようだ。

それが彼ら自身の意思によるのか、藤堂に言葉巧みに唆された結果なのかは知らないし、この場で考えるべき事でもない。戦うべき敵、ただそれだけだ。


「リーダーは私が相手する」


葉月が静かに言い、『鍛冶屋』に銘じて左手に円形の盾を召喚した。


「では、私は後ろのチンピラさんたちを片付けますね~」


美帆が鼻唄交じりに、『鬼遣』を下段に構える。

いずれも的確な判断だ。

スーツ姿の男は、魔術を操る敵であるから攻守共に優れ、様々な武具で対応できる葉月が相手取るのが適任だろう。

美帆の戦闘力は対個人においても尋常ではないが、複数人が入り乱れる乱戦においては特に無類の強さを発揮する。むしろ周囲に味方がいない方が、彼女も思う存分戦えるはずだ。

そして、二人よりも戦い慣れていない和馬であっても、一対一で真っ向から戦える作業服の男ならば十分に戦えるだろう。


「行くぞ!」


葉月の号令と共に、全員が一斉に動いた。


(続く)

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