狩人・二階堂葉月の秘密

第11話 安穏無事

葉月の『初仕事』から三日後――。


午後の体育の授業は和馬たち男子がサッカー、女子が陸上で走り高跳びだった。

隣のクラスと合同の授業で、今日は四チームに分かれての試合形式だ。

和馬はチームの友人たちと共にグラウンドの端の階段に腰かけ、試合を観戦していたが――。


「ああ、いいよな、葉月さん……すっげえ可愛いし、スタイルもいいし……」


「モデルみたいだよな、足長くて。胸はちょっと小さい気もするけど」


「分かってないな~、あれぐらいがちょうど良いんだよ!」


などと、友人たちはすっかり女子の方に夢中の様子だった。

葉月の初めての体育の授業、制服以外の姿を披露するのもこれが初めてということもあって、転校以来気にかけていた男子の視線が彼女一人に集められている。


「やべえ……葉月さん、やべえよ……制服もいいけど、スパッツも……いい!」


「くっ……俺らの時代にブルマがあればっ!……うう、無念だ……なあ、そう思うよな、和馬?」


「い、いやあ……」


困ったような顔で曖昧に答える。

この手の話題にはノリが悪い、とは中学生の頃からよく言われている。

男子として、正直気にならないわけではない。

だが、たとえ気心の知れた友人たちの前であっても、そういう思いをあからさまにするのは恥ずかしかった。


「でも全然笑ったりしないよな。何か感情がないみたいでちょっと怖くね?」


「本当にお前は何も分かってねえな、安田。そのクールなところがグッとくるんだろうが。あんな風にツンツンしてる娘がさ、時々ふっと見せる照れたところが可愛いんだよ! つーかむしろ、あの冷たい目で見下されてみたいだろ!?」


「いや水野、お前それ変態だって! 早く病院行けよっ!」


「看護士さんが葉月さんだったら……いや、女医さんでも可! 今すぐにでも入院するぜっ!」


そんな不毛な言い争いをよそに、葉月の番が回ってきた。

和馬もやはり気になって、彼女の方を見てしまう。

葉月はリズミカルな歩調でバーに近づくと、


「おおっ!」


女子も男子も思わず歓声をあげてしまうような美しいフォームの背面飛びで、バーを軽々と飛び越えた。

マットに落ちると、何事もなかったかのように無表情で戻っていく。


(綺麗だなあ……)


彼女の身体能力をもってすれば、別段驚くようなことではない。

だが、一切の無駄を排した一連の動きに、和馬は素直に感心した。


「あ、山本が話しかけてるぜ。陸上部に誘おうってんだな。あ、水泳部の北川が割り込んできた。うん、いいね! 陸上部のユニフォームもいいけど、やっぱり水着だよな!」


「何やってんだよ、新体操部も勧誘するべきだろ! レオタード最高! あ、でもバスケ部も捨てがたいなっ! 上から下までガン見したいぜ!」


いややっぱり水に濡れた姿がいいんだとか、わきの下がチラリと見えるのが至高だとか、おへそは常に露出しておくべきとか、どうでもいい激論バトルが始まってしまった。

もちろん和馬は参加せず、意見を求められても適当にお茶を濁すだけだ。


(葉月さんの表情、かあ……)


学校では相変わらず顔色一つ変えないが、先日の戦いでは彼女の色々な側面を垣間見ることができた。

ただ、笑顔だけは見えていないのが残念ではある。


(きっと、笑えば良い笑顔だと思うけれどなあ……)


「和馬~! 見て見てっ!」


「おい和馬、彼女の番だぜ。応援してやれよ!」


聞き慣れた声に、思考が遮られた。

次はメルが跳ぶらしい。長い金髪を赤いリボンで結んでいる。

ただでさえ目立つ上に、一部の生徒には絶大な人気を誇る彼女ということもあって、


「メルちゃん! 今日も宇宙一可愛いよおっ!」


「お、ロリコン勢、張り切ってんな~。でも残念、メルちゃんは和馬の嫁さんだもんな?」


「いや……だから幼馴染で……」


ぼそぼそと言い訳するが、誰も聞く耳を持たない。元気いっぱいに手を振っていたメルが、全力疾走でバーに駆け寄ると、


「おおおおっ!」


男子が一斉にどよめいた。

小柄な身体からは想像もつかないような跳躍力を見せ、バーを飛び越えたのだ。


(あ、ずるい)


和馬は思わず漏らしかけた溜め息をぐっと飲み込んだ。

メルは跳躍の瞬間、魔族としての力をほんの少しだけ行使したのだ。

その気になれば空を自由に飛び回れる夢魔だから、たとえ何メートルの高さのバーであろうと問題にならない。

だが、緊急時以外に魔族の力を使うのは違反行為だ。

彼女のことだから、葉月への一種の対抗心からなりふり構わず術の力を借りたのかもしれない。もちろん、そんな事は言い訳にはならないのだが。


「見て~、和馬ぁ! 跳んだよ~」


上機嫌で手をブンブンと振りまくるメルに、困った顔で軽く手を振り返しつつ葉月の方を見るが、当然気づいたであろう彼女は無関心そうな表情をしている。

少なくとも、この場でメルを咎める気はなさそうだ。


(まあ、ほんのちょっとだし、悪いことをしたってほどでもないし……)


この程度ならば、杓子定規な葉月も許してくれるのかもしれない。


「おおおおおお、ついに俺の本命! 大正義・佐竹美帆様の御登場だあっ!」


「ううむ、葉月さん派の俺としても佐竹さんのあの素晴らしい巨乳だけはどうあっても認めざるを得んな……いやっ! むしろ録画して何度も視聴したいっ! ええいっ、撮影班はまだか!」


続いて佐竹美帆の出番だ。もはや授業中ということを完全に忘れた男子一同が、熱い視線を浴びせる。よく見れば、現在試合中の生徒の中にも足を止めて見入っている者がいた。

学年一のスタイルの良さと、あの飄々とした性格ですっかり有名人になってしまっている。


(本当の美帆さんの姿を知ったら……どう思うんだろうなあ……)


もちろんそれは、葉月とメル、それに和馬の場合も同様だ。

自分たちとは違う、特殊な者であるという事実を知ってなお、彼らは今まで通りに接してくれるのだろうか?

信じたいという気持ちと、心配な気持ちが半々だった。

特別な力を持つがゆえに避けられてきた葉月の話を思うと、胸にチクリと痛みが走る。

だが、


「おおうっ! 揺れる! 佐竹さんの聖なる谷間が揺れておる~」


「これはもう、目に焼きつけるしかねえ!」


和馬の不安を消し飛ばす、男子の声。

豊満な胸をゆさゆさと揺らしながら、美帆がバーに迫る。

顔は当然のように満面の笑みで、緊張感はかけらもない。

ポニーテールが靡いた。

バーのギリギリのところを、葉月やメルとは違いベリーロールで飛び越えていく。


「ああっ! 俺はバーになりたいっ! バーになりたい人生だった!」


意味不明の叫びが上がる。

美帆は笑顔のまま、両手でこちらに向けてピースサインを出してきた。

やはり、この人のことはよく分からない。戦いでは間違いなく頼りになる人なのだが。


「……ああ、いいよなあ、佐竹さん。ちょっと変わってるけど」


それは大いに同意したいところだった。果たして『ちょっと』で済むレベルなのかどうかは甚だ疑問であるが。


帰りのHRが終わり、和馬がゆっくりと立ち上がろうとした所に、葉月がやってきた。


「二階堂さん?」


定期報告と打ち合わせは、昼休みの間に済ませている。

仕事に関すること以外で、彼女から和馬に近づいてくることなど、これまで皆無だった。


「あ、あの……これ」


「え?」


「なになに!? まさか和馬へのラブレターじゃないよね! そんなの絶対許さないから!」


凄い勢いでメルが横から割り込んできたが、葉月が差し出したのは綺麗に包装された、弁当箱ぐらいのサイズの箱であった。

包装紙を見てみると、


「あー! ここのお菓子、大好きっ!」


有名な洋菓子店の詰め合わせセットだった。両親がお歳暮などで頂いたものを、和馬も何度か口にしたことがある。詳しくは知らないが、結構な値段だったはずだ。


「これは、その……あの、ま……いや、母がだな、先日の件でお礼をするように、ということで……買ってきたのだ。べ、別に、私は必要ないと言ったのだが……そ、そういうことだ。受け取れ。何も言わず速やかに受け取れ」


何度か咳払いを間に挟みながら、ぶっきらぼうな感じで突き出してくる。


「ありがとう!」


「あはっ、ありがとねっ、ハズハズ!」


和馬とメルが礼を言うと、葉月は耳まで真っ赤になりながら、


「だ、だから……これは、えっと……その、母が、渡せと言ったから持ってきただけだ! 私には関係ない、礼などするな! 黙って受け取れと言っただろうが!」


「え~、じゃあハズハズのお家に遊びに行く~。行ってママンに御礼言わないと」


「なっ……それは絶対に駄目だっ! だいたい、お前たちとは仕事上の付き合いだけで、別に友人というわけではない。ともかく、渡したからな!」


葉月は一方的に会話を打ち切ると、肩を怒らせてさっさと教室を出てしまった。


「うう~ん、これは美味しいですねえ~。私、西洋のお菓子はあまり頂かないのですが、これはまさに絶品、太牢滋味、手放しで称賛せずにはいられません~」


メルがどうしてもすぐに食べたいというので包装を解いたところに、美帆が例の調子でやってきた。

クッキーを一口食べた彼女の感想がこれである。

この店の菓子が美味しいのは和馬も認めるが、美帆の賛辞はあまりに大げさすぎて逆に誤解を招きそうにも思えてしまう。


「パパとママ、おじーちゃんとおばーちゃんの分も残しとかないとね。あー、あともし会えたら理子ッチにも。えーと、あとはピロか。しょーがない、あのエロ魔族にも分けてあげるかー」


メルが箱の蓋を閉めながら、和馬にもたれかかるようにして楽しそうに笑う。

和馬の家に長らくホームステイしている彼女は、もう家族同然だった。

彼女の方もすっかり人間界での生活に馴染んでいる。

尻尾がうっかり出てしまっていることもあるが、魔界と人間界の交流としては、ほぼ理想的な形だ。

他の留学生について和馬は多くを知らないが、彼女のようなケースが増えていけばいずれは、


(魔界のこと、魔族のことも公表できるようになれば……いいなあ)


和馬の考える未来も、決して不可能ではないだろう。

少なくとも和馬はそれを強く願っていたし、実現可能だと信じていた。


(でも……葉月さんは……)


交流が本格化すれば、彼女のようなケースも増えていくだろう。

メルは和馬と結婚したいとどこまで本気か分からないことを常々言っているが、それはとりあえず置いておくとして。


(葉月さんは、やっぱり魔族のことが嫌いなのかな)


彼女の言動を追う限りでは、それは間違いないことだった。

自分の出生を『呪われた血統』とまで言っていたほどだ。

彼女と同様の出自の者が増えることで、魔族を忌み嫌うという空気が世の中に広まっていったらば――和馬の望む平和な世界は夢となってしまうかもしれない。


(僕は、どうしたらいいんだろう?)


「ほら、和馬。なにボーっとしてるの。今日はこれからデートでしょ?」


「え? いや、仕事だよ、メルちゃん」


朗らかに笑うメルに苦笑を返しながら、和馬は立ち上がった。

まずは自分ができる範囲で、できることをしっかりやろう――と。


(続く)

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