第10話 前途多望

「させぬっ!」


その瞬間、凛とした声が上方から聴こえた。

二階堂葉月――人間と魔族のハーフである、美しい狩人が中空で拳銃を身構えていた。

大戦鬼に向けた銃口が、白銀の閃光を放つ。

そこから一直線に、太い光の帯が撃ち出された。


「がああっ!」


大戦鬼が首を巡らし、葉月の放った光弾に向けて青黒い『気』を吐き出した。

両者の攻撃は空中で交錯し――。


「二階堂さん!」


大戦鬼の『気』をまともに受けた葉月の身体は、そのまま広場外れにある倉庫まで一気に吹き飛ばされていった。

一方の大鬼も、


「ぬあああああああっ!」


葉月の光弾に撃ち抜かれていた。

倒れこそしなかったものの、その場に膝を突き、苦悶の叫びを上げる。

光弾は貫通し、岩肌のような胸板に大きな穴が開いていた。

その隙を突き、美帆が『鬼遣』を手に疾風のように駆ける。

彼女の双眸が、凄まじい殺気を孕んでいることに和馬は気がついた。


「殺しちゃダメだ、美帆さん!」


条例ではテロリストとの交戦時における殺傷は許可されている。

だが、たとえ相手が危険なテロリストであろうとも、殺してはいけない――それが和馬の信条だ。

咄嗟の叫びに、美帆の口元がほんの一瞬だけ、微笑を浮かべる。

それだけで、和馬は彼女を信じることができた。


「はっ!」


裂帛の気合と共に踏み込み、美帆の『鬼遣』が大戦鬼の身体を横から薙ぐ。

しなやかな肢体に秘めた高い身体能力、積み重ねてきた厳しい修行、幾多の実戦経験――それら全てが結実した、速く、美しく、鮮やかな一撃だった。


「な……なん……だと……」


刀身は驚愕の声を漏らす大戦鬼の肉体半ばまで、深々と切り裂いていた。

そのまま両断することも、美帆には可能であっただろう。

だが、彼女は刃を止めると、


「他ならぬ和馬さんのお願いですから致し方ありません……うふふ、和馬さんにだけは、嫌われたくないですからねえ」


一気に刀を引き抜くと、大戦鬼の身体に掌を当てると、


「お眠りなさい。ご安心くださいね、目覚める頃には警察の特殊留置場ですよ~」


すっかり普段の口調に戻って言い放った。

特殊留置場には、彼のような犯罪者のための特大の牢が用意されている。一度だけ和馬も見学に行ったことがあった。

美帆の掌が光り、刀傷がみるみるうちに癒えていく。

同時に、大戦鬼の身体も空気が抜けたように萎み始めた。

浮き出た血管が元に戻り、鬼気迫る顔も――まるで眠りにつくが如く穏やかになっていく。

首がガクッと落ちると、そのまま轟音と共に膝から前のめりに倒れ伏した。


「和馬さんは本当にお優しい人ですねえ。甘いと言う方もいるでしょうし、実際私もそう思うこともないわけではありませんが……でも、そんなところが私は大好きですよ」


こちらを向いてニッコリと微笑む美帆に、和馬は頬を赤らめてしまった。

時々この人は、こういうことをさらりと言ってのける。

うぶな和馬には強すぎる刺激だ。


「ちょ、ミポリン、和馬はメルのダーリンなんだよ! 和馬もなに照れてんのよ!」


興奮したメルがポカポカと和馬の胸を叩いてくるが、今はそれに構っている余裕はない。

一刻も早く、やらなければならないことがあった。


「二階堂さん!」


崩れかけた倉庫へ、和馬は脇目も振らず全力疾走していた。

慌ててメルも追いかける。

大きな和馬の背中へかけられた、


「頑張って~。あ、翼手さんたちはお任せくださ~い」


という美帆ののんきな声も、今の彼の耳には届いていなかった。


この広場は、災害時には近隣住民の緊急避難先となっている。

葉月が吹き飛ばされたのは、その際に活用される頑丈なコンクリート造りの防災倉庫だった。

屋根も壁も今は無事だが、和馬の眼にはそれらがいかにも頼りなげに映った。

老朽化しているのかもしれない――背筋を寒気が走る。

葉月は魔族とのハーフだ。

尋常ならざる能力の中には、驚異的な回復力も当然含まれているだろう。

あの指輪の『医師』にかかれば、すぐにでも立ち直れるはずだ。

だがそれも、彼女に意識があれば、の話である。

何より、無事であればとうに姿を見せていることだろう。

プライドが高く、魔族を憎んでいる彼女が戦いの場に戻らなかった――これはもう、緊急事態だと考えざるを得ない。


和馬は走った。

激戦の直後だが、息は乱れていない。

高校の友人たちが見たら、全速力で走る彼の姿にきっと驚愕するはずだ。

肉体を躍動させ、和馬は倉庫まで一気に駆けつけた。


「二階堂さん!」


両開きの扉が大きく歪み、倉庫全体が傾いているように見えた。

葉月の身体は、屋根に近い所のブロックを破壊して中に飛び込んだようだ。

中は薄暗く、庫内の様子は外から窺い知ることができない。

声をかけても返事は無かった。やはり、気を失っているのだろう。

そこかしこに錆びの浮いた扉に手をかけ、ぐぐっと力を入れた。

低く唸り、両脚をしっかりと踏ん張る。扉がミシミシと音を立てて軋んだ。


「……和馬、無茶しすぎ!」


遅れて追いかけてきたメルが、息を切らせて抗議する。

彼女の言い分も理解できるが、今の和馬は葉月を救うことで精一杯だった。

そのために自分ができることなら、何でもする――こういう時の和馬は誰よりも頑固だ。


「ふんっ!」


歪んだ扉を強引に開け放ち、中に足を踏み入れた。

月明りが、庫内の様子を照らす。中はポンプや消火器、非常食といった保管品とガレキが散乱していた。

大きく歪んだ反対側の壁が、衝撃の凄まじさを物語る。

そして――血の匂い。


「二階堂さん!」


葉月が、倉庫の奥に仰向けになって倒れていた。

慌てて駆け寄る。

胸が上下し、呼吸をしていることはすぐに確認できた。

しかし、やはり意識はない。和馬の呼びかけにも応じなかった。

大量の血が床に広がっていた。頭か、背中か、傷口は分からない。

いずれにしても、危険な状態であることは確かだった。


(あの『医師』が出てきてくれたら……)


傷を治療するための術を、和馬も一応学んではいた。

しかし、先程までの戦いと閉門作業で力をかなり使ってしまっている上に、専門ではない。


「う……結城、か……」


葉月のまぶたがかすかに開き、苦しそうな呟きが漏れた。


「しっかりして!」


「私に……触るな……『医師』を……くっ……魔力が……」


彼女もまた、戦闘で魔力を使い果たしているようだ。

おそらくはあの光弾に、全てを賭けたのだろう。

和馬たちを助けるためでは無かったかもしれないが、結果的に二人は助かった。


「メルちゃん、魔力を二階堂さんに!」


「はいはい、任せて!」


メルが葉月の傍らに膝を突くと、彼女の右手を握って自分の胸に押し当てた。

目を閉じた彼女の全身が、ほのかに蒼白いオーラを帯びる。


「よ、余計な、ことを……ま、魔族の助力など……」


葉月が悔しそうに歯噛みするが、メルの手を振り払うとはしなかった。

少し経ったところで、彼女が左薬指の指輪にボソボソと呟く。


「おお、お嬢様。これはまた、なんとおいたわしや……」


指輪から現れた『医師』が、すぐさま治療に取りかかった。


「メルちゃん、ありがとう」


頭に手を置き、美しい金髪をそっと撫でる。まるで小さな子どものような扱いだが、何か手助けをした際にはこれをするようにとの、メルとの約束であった。


「ふへへ、どうしたしまして~。あは、もっと撫でて、撫でて~」


仔猫が甘えるように、ゴロゴロと身体を寄せてくる。その姿は実に愛らしいが、今はそれどころではない。


(とりあえず二階堂さんが動けるようになったら外に出て、美帆さんは……たぶん、大丈夫、かな。あ、そろそろ警察の人たちも来るはずだけど……)


考えなければならないこと、やらなければいけないことは山ほどあった。

その中には途中まで進めていた学校の宿題も、もちろん含まれている。学業は学生の本分だ。

ともあれ、一つずつ丁寧に片づけていくしかない――一つ息をついたところで、和馬は頭上の異変を察知した。


「和馬! 天井が……」


天井から、無数の細かい破片がサラサラと滝のように落下してきている。

想定外の衝撃で歪んでいた倉庫全体が、頼りなげにグラグラと揺れているのだ。

すぐに葉月を運び出さなければ――そう思って腕を伸ばそうとした刹那――。


「和馬、危ない!」


メルの悲鳴と同時に、和馬は即座に立ち上がった。

葉月の真上に落ちてきた瓦礫を、突き出した両手でしっかりと受け止める。

掌に鋭い痛みが走り、頭にも石塊が当たったが、


「メルちゃん、早く! 二階堂さんを外へ!」


「でも……」


「早く!」


有無を言わさず、大音声で指示を出した。

崩壊を始めた天井から、瓦礫が次々と降り落ちてくる。

迷っている時間は無かった。

メルが葉月を抱き寄せると、入り口に向かって走り出した。

葉月は『医師』の治療を受けたまま、まだ動くこともできない。

掲げ持った瓦礫の重みが、加速度的に増してきた。腰に力を入れて踏ん張る。


(メルちゃんと……葉月さんが……脱出できるまでは……)


何があろうと耐え抜かなければならない。

埃が舞い散り、視界を遮る。

口をきっと結び、奥歯を軋むほど噛み締めた。

さらに腰を落とし、全身を奮い立たせる。


「和馬、俺たちはな、身体が人一倍デカくて丈夫なんだ。だからな、何かあったら皆をしっかりと守らなくちゃいけない。強くて優しい――俺は和馬に、そういう人間になって欲しいな」


「和馬、お母さんの一族はずっと『門』を封じるために働いてきたのよ。人間界を魔界から守るためにね。でも平和な今の時代、『門』は人間界と魔界を繋ぐための架け橋なの。『門』が正しい方法で使われるように見守る――それが封門師の――あなたの役目なのよ」

 

父と母の言葉は、和馬を根底から支える強い柱だった。

誰かのために働く、それもより多くの人のために――そのために、心も身体も日頃から鍛えてきたのだ。


「和馬、出たよ! 早く!」


メルの声が耳に届いた瞬間、和馬は瓦礫を担いだまま、咆哮とともに前に跳んだ。

着地とほぼ同時に、背後で倉庫が完全に崩れ落ちる。

荒い呼吸を繰り返しながら、和馬は瓦礫をそっと地面に降ろした。


「和馬!」「結城……」


目に涙を浮かべて抱きつくメルに、地面に横たわったまま愕然とした表情を浮かべる葉月。

二人の無事な姿を確認した和馬は、安堵の笑みをこぼし――そこで初めて疲労感を覚え、その場にゆっくりと腰を落とした。


「いやあ~、お見事ですねえ、和馬さん……はむ、はむ」


「見事なのは美帆さんですよ……」


翼手二人を特製の縄で捕縛して悠々と引きずる美帆の姿は、まさに狩人そのものだった。

あれだけ苦戦した相手を、結局は一人で倒してしまったのだから恐れ入る。


「いえいえ、葉月さんがかなりダミッジを与えてくれていたからですよお……あむ、あむ」


「いやミポリン、どーでもいいけど、魑魅団子食べすぎだから! お腹壊すよ!」


会話の合間にも、いまだにそこら辺をうろついている魑魅を捕らえては丸め、口の中にひょいひょいと放り込んでいる。

慣れない人が見たら、気分が悪くなる光景だろう。もっとも、常人には魑魅の姿を視認することは不可能であるが。

そうこうしている内に、パトカーのサイレンが坂の下のほうから聴こえてきた。

ようやく理子の派遣した警官隊――生活安全課の対魔族部隊が到着のようだ。

テロリスト集団『テンペスト』の幹部を捕らえたということで、代理人の大崎も来ているかもしれない。


「あらあら、随分と遅い御到着ですねえ~。遅刻はいけませんよお~」


「いやいや、ミポリンも結構普通に遅れてたよね?」


「……結城」


美帆とメルのやり取りを苦笑しながら見守っている内に、葉月がだいぶ回復したようだ。

足元が若干おぼつかないが、傷はすっかり塞がったように見える。


「あ……大丈夫、二階堂さん?」


「ああ、私は人間とは違うからな。だが、もしあのまま気絶していたら、この程度では済まなかったことだろう。そ、その……」


途中までは相変わらず淡々とした口調だったが、急に雰囲気が変わった。

彼女らしくもなく、口元を尖らせて気まずそうに目線をあちこちへと走らせている。

白い頬がやや紅潮しているようにも見えた。


「感謝、する……」


ボソリと、呟いた。

これまでの、和馬たちに対して冷淡な態度を示していた彼女からは想定できない意外な一言だった。

思わず和馬も照れ笑いを浮かべてしまう。


「え? あ……いや、そんな、僕は大したことしてないよ。メルちゃんのお陰だから」


「さ、サキュバス。お前にも、感謝する」


「ぶー、私の名前はメルだよ、ハズハズ。ちゃんと名前で呼んでくれなかったら、返事しないからね~!」


「……そ、そういうお前も、ふざけた呼び方をしているじゃないか!」


「いいじゃん、友達同士なんだし。メルチン、とか呼んでもいいよ♪」


「だ、誰が呼ぶかっ!」


どこまで本気でどこからが冗談なのか分からないメルに、生真面目を絵にかいたような葉月のやり取りを、和馬は後頭部をポリポリと掻きながら見ていたが、


「うふふ……まあ、これから仲良くやっていけそうですねえ」


美帆の言葉に、深々と頷いた。

昼間、初めて挨拶した時の険悪な空気に比べれば、嘘のような光景だ。


(これからもこの四人で、頑張っていけるといいなあ……)


行く手にいくつもの困難が待ち構えているのは百も承知の上で、和馬はそう願った。

上弦の月が、遥か彼方から和馬たちを優しく照らしていた。


(一章『結城和馬の多忙な日常』完)

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