第6話 千客万来

調印式に向けた和馬の気持ちに応えるかのように、


(いや、いくら何でも昨日の今日で、また門が作られるなんて……はぁ)


帰宅し、ちょうど夕飯を済ませたところで、理子からの緊急連絡が入った。


(あまり遅くならない方がいいなあ……宿題もトレーニングも一応終わってるからいいけど……)


鷲羽山頂上のる広場に未許可の『門』が作られたのですぐに対応するように、との連絡だ。

幸い、和馬の家は鷲羽町にあるので、自転車を全力で漕げば十分程で駆けつけることができる。

和馬は通学用の自転車に乗り、メルと共に現場に向かっていた。

毎日続けているトレーニングのため、少し身体に疲れはあるが問題はないだろう。

 

門は、いつでもどこにでも作ることができる、というわけではない。

また、人間では封門師にのみ『封じる』能力があるように、全ての魔族が門を作ることができるわけではなかった。

例えばメルなどは、


「あたし? できないよー。まあ、和馬の心に愛の凱旋門を作ることはできるけどね」


とのことであった。後半は意味がさっぱり分からないが、あえてつつく愚は犯さない。

ともあれ、門はある程度条件が整った場所にしか出現しない、ということだ。

その条件は当の魔族にすら解明できていないため、今もって研究段階である。

幸いなことに現時点では南極や砂漠、海の真ん中などにできたという前例はないらしいので、封門師がそんなとんでもない場所に派遣される可能性は極めて薄い。

過去の事例から「門が作られやすい場所」をいくつかピックアップし、その周辺に監視システムを配備することで密入国者およびテロリストの侵入に備えている。

これは国連の主導によって世界各地で実施されていて、当然ながら和馬の住む茅原市でも稼働していた。

その一つが、今さっき門の存在を感知した、というわけだ。

今回の現場には和馬だけではなく、ハンターの美帆も葉月とともに向かっているという。


(二階堂さんの、こっちでの初仕事かぁ……)


一体どれほどの実力なのか。興味をそそられたが、


(いやいや、二人が仕事をする前になんとかするのが、僕の仕事だから!)


できる限り穏便に事を済まし、門を封じる――それが和馬に与えられた役割だ。


鷲羽山へ向かう坂道は、地元でも急斜面なことで知られていた。

車線で区切られていない上に、うねうねとくねって視界が悪く、さらに左右から樹木の枝が伸びていて、昼間でも薄暗い道だ。

もう夜なので街灯は点いているが、人気もなく薄気味悪い。

その心臓破りの坂を、和馬はメルを後ろに乗せたまま全力で漕ぎ上がっていった。


「凄い! さっすが和馬、カッコいいよ!」


頂上まで一気に登り、さすがに和馬も呼吸が激しく乱れていた。

メルの賛辞にも答える余裕がない。だが、一息入れる余裕などなかった。

自転車を広場の入り口に止める。

市民が自由に使えるここの広場は、夕方六時になると門に鍵がかけられてしまう。といっても、常駐の職員などいないので、


「よっ……と!」


その気になれば、誰でも乗り越えて中に入ることは可能だった。

日頃は規則を重んじる和馬も、今回は緊急事態なので躊躇うことなく中に侵入した。

理子からも、仕事の際には多少法律や条例を破っても構わない、と言われている。


「あ……」


門はすぐに見つけることができた。

入口から歩いてすぐの場所にある、公衆トイレの壁だ。色とりどりのスプレーで、あちこちに意味不明の落書きがされている。ゴミも周辺に散乱していた。

緊急連絡から全速で駆けつけたのだが、すでに手遅れだった。

門はすでに『完成』していた。

例によって、魑魅がそこらじゅうを楽しげに跳ね回っている。

しかも、


(誰か、もうこちら側に来ている……)


辺りに、メルや魑魅とは別の魔族の気配が漂っていた。

それも、一人ではない。

相手は密入国者だ。昼間の大崎の話が頭をよぎる。危険な相手かもしれない。


「大丈夫、あたしに任せて!」


背筋に走る悪寒を、満面の笑みを浮かべたメルの明るい声が和らげてくれた。

不安が完全に払拭されるわけではないが、勇気が身内から沸々と湧いてくる。

和馬は力強く頷くと、封門のために精神を集中させた。

同時にメルも呪文の詠唱を始める。

彼女が最も得意とするのは『結界』――すなわち周囲に不可侵の壁を巡らせることだ。

サキュバスの一族は、異性の精気を奪う際に必ずこの術を使うのだという。


「だってさ、和馬とあたしの愛の営みを誰にも邪魔して欲しくないもんね♪」


やはり意味はいまいち分からないが、何度も助けてもらっているのは事実だった。


メルの詠唱が終わると、一瞬で辺りを白い霧が覆い尽くした。

これが彼女の結界だ。

彼女の助力に感謝しつつ、精神をさらに研ぎ澄ませる。

門にもそれぞれ強弱というものがあり、封じるためにかかる労力もそれに比例する。

今回は、昨日のものよりもずっと手強い。

だが、それでも何とかするのが和馬の仕事だ。

意識を集中させ、静かに息を吐く。

グローブのように大きな右手が白い鮮烈な光を帯びた。

それをぐいと前に突き出したところで――。


「ふふ、ようやく我が悲願を果たす時が来たようだな。先日は思わぬ邪魔が入ってしまったが……」


「……あれ、アグさん?」


「……って、なああああっ!? お、お前は、ゆ、ゆ、結城和馬!?」


門の中心から、昨夜魔界へ追い払ったばかりの魔族・アグ何とかが顔を突き出していた。

まさか昨日の今日で、密入国を狙うとは。

しかも同じ茅原市内である。

大崎が言っていたように、式典の妨害を目論むテロリストという可能性も考えられなくはないが、


「どうしてまた来ちゃったんですか!」


「ふ、決まっておろう! 女子高生の太ももだっ!」


即答する様子を見る限り、その疑いは非常に薄いと言えるだろう。

見た目こそ容貌魁偉そのものだが、恐ろしさは微塵も感じられない。

もっとも、油断すれば人間一人ぐらい、簡単に葬れるだけの腕力と魔力を有しているはずなのだが。


「……アグさん。どうしても人間界に遊びに来たかったら、ちゃんと手続きをしてくださいよ」


「ぬう……それはできぬ相談だな」


「え?」


「簡単に手続きというがな、これがとにかく色々と面倒なのだ。提出しなければならぬ書類も多いし、一つでも項目の漏れや記入ミスがあると書き直ししなければならぬ。あと試験が難しすぎる! 落ちるとまた三か月後だぞ!?」


そんなことを愚痴られても和馬にはどうしようもない。

しかしどうやら、役所の手続きの煩雑さと融通の利かないところは、人間界も魔界も大差がないようだ。


「ええ、でも……規則は守らないと」


「むむ、相変わらず生真面目な男だな、結城和馬よ」


相変わらずも何も、つい昨日出会ったばかりである。

確かに普段から周囲には「真面目すぎる」と言われてはいるが、魔族基準でも同様らしい。


「とにかく許可はできません。おとなしく戻ってください」


「そうはいかぬぞ。先だっては不覚を取ったが、今度こそ……」


「今度こそ何ですか? 力づくでもこっちの世界に来るつもりですか?」


「う……」


強い語調で問い直すと、アグがたじろいだ。

見た目は恐ろしげだが、やはりどこか憎めないというか、根はそこまで粗暴ではないのかもしれない。

しかし、相手の性格がどうであれ不法行為を見逃せる和馬ではなかった。

大きく溜め息をつき、白光を帯びた右腕を突き出そうとしたが――。


「和馬!」


メルの悲鳴に近い声に、すぐさま振り返った。

彼女の張った結界の外に、いつの間にか二つの影が現れている。

いずれも長身で細身の、黒いスーツを身にまとった男たちだ。

口元に微笑を張りつかせ、ゆらゆらとした足取りで近づいてくる。

瞬時に和馬は、彼らが人間ではないことを察知した。


(続く)

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