遺影

すいま

遺影

呪い、というものを皆は信じるだろうか。

僕は喪服の参列者を見つめながら、記録的な暑さをも忘れさせる恐ろしさに、ひとり身を震わせていた。


8月初旬、従兄の訃報が届くと僕はお盆の帰省を前倒して電車に飛び乗った。

実家までの道中、従兄の言葉を思い出していた。


「昌也は、呪いってあると思うか?」


五年前、まだ高校生だった僕に従兄はそう問い質した。僕は愛想笑いでごまかしたが、祖母の葬式でなんてことを言う人だ、と勝手に幻滅したのを覚えている。今思えば、あの人は呪いを信じていたのだ。


「昌也くん」


ぼぅっとしていた意識が引き戻される。そこには喪主の叔父がやつれた顔で立っていた。僕はまだ、こういう時にかける言葉を知らない。


「叔父さん、この度は、その」

「いいよいいよ、昌也くん。気を使わないでくれ。うちの馬鹿が自殺なんてやらかして人様にご迷惑をかけて、何がいけなかったのか」

「自殺、だったんですね」

「五年前くらいから心を病んでいてね。好きだった写真もやめて引きこもるようになって。いや、すまない。こんな話をしたかったんじゃないんだ。昌也くんも写真が好きだったよね?」


従兄は写真が好きだった。そして僕はそんな従兄の撮る写真が好きだった。

自分が住んでいたこの街に、こんな表情があったのか。ただ住んでいるだけでは気づかないものを切り取り、そこに従兄が感じた色を乗せ、見た者を共感させる。

その世界に憧れ、僕は写真を始めた。


「息子の部屋にカメラやらなんやら、私にはわからないものがたくさんあるんだ。良かったら持って行ってくれないか?」

「それは、良いんですか?」

「ああ。質に入れるのも忍びなくてね。昌也くんに使ってもらえるなら、あいつも本望だろう。」


叔父さんは「勝手に持って行って良いから」と言い残し、忙しそうに去って行った。


従兄の部屋は何度か入ったことがある。よく写真について教えてくれたのを思い出す。まだ昼間だというのに心なしか薄暗く、湿った空気が漂っていた。シルバーラックにはカメラや機材が並んでいた。見る人が見れば唸るほどのものだ。

僕は思わず一台のカメラを手に取った。要領は変わらない。電源を入れ、レンズキャップを外し、ファインダーを覗く。


「別世界みたいだろ」


ハッとしてファインダーから顔を上げる。従兄の言葉が聞こえたような気がした。

従兄は優しい笑い方をする人だった。口下手で口数の多い人ではなかったが、それがまた彼の聡明さを引き立たせ、信頼の厚い人だったと思う。


もう一度、ファインダーを覗き、シャッターを押す。乾いた音が部屋に響く。プレビューされた一枚を見て、まだまだだなと嘲笑う。


その時、撮影枚数の表示に気がついた。他にも写真がこのカメラに取り残されている。僕は、従兄の遺作が見られると少しの期待を込めてダイヤルを回した。


その瞬間、五年前の夏がフラッシュバックした。


「昌也は、呪いってあると思うか?」


口元に嘲笑を浮かべながら語る従兄の顔は青ざめていた。


「あるわけないじゃん」


祖母の死にそれなりにショックを受けていたのか、思った以上に冷たい言葉が出たのを覚えている。


「おばあちゃんは、本気でカメラに魂を吸い取られると思っていた人だったよ」

「そんな、明治の人間じゃあるまいし」

「でもさ、ほら。良い笑顔してるだろ?分かってたんじゃないかな。これが自分の遺影になるってさ。人の遺影を撮るのってどういう気分なのかな。」


僕は従兄の言葉に何も返せなかった。遺影を撮ったことなんてなかったし、何より戸惑っていたのだ。

仏間に飾られた祖母の遺影は、一度たりとも笑っていない。もともと愛嬌のある人ではなかったが、この遺影を見て笑っていると思う人は百人にひとりといないだろう。

思えばこの時から従兄は心を病んでいたのかもしれない。

その時はそう思っていた。


だが今、僕の手元にあるカメラでは祖母が笑っていた。ダイヤルを回す。祖母が笑っている。口元を大きく歪ませて、笑っている。それは優しい微笑みなどではなかった。目を見開き、今ここにいる僕の不幸を嘲笑う邪鬼のように笑っている。

僕は思わずカメラを落とした。嫌な音が響き、部屋が静寂に包まれる。


震える体を押さえつけ、僕は階下へと降りた。

そして僕は喪服の参列者を見つめながら、記録的な暑さをも忘れさせる恐ろしさに、ひとり身を震わせていた。


「昌也くん、どうだったかな。使えそうなものはあったかい?昌也くんが写真をやっていてくれて良かったよ。おかげで、息子の写真も少なからず残っていた。アイツは自分が撮るのは好きなくせに、撮られるのは本当に嫌がる奴だったからね。遺影に使えそうな写真もなかったんだ。本当に昌也くんが撮っていてくれてよかったよ。写真に興味を持ってくれてアイツも嬉しかったんだろうな。」


叔父さんは従兄の遺影を見上げて話を続ける。僕はその従兄の顔をじっと見つめた。


「本当に、良い笑顔ですね。」

「笑顔?」

「本当に、良い笑顔だ。すごく幸せそうだ。」

「昌也くん、すまない。もう休んでいてくれて構わないから。今日はすまなかったね。」


叔父は足早に去っていく。僕は従兄の遺影から目を離せなかった。ずっとずっと、その顔を見つめていた。


「本当に、良い笑顔だ。」

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遺影 すいま @SuimA7

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