第2話 ダスク✕ダスト✕ダスク

 黄昏がいつもの通り、此処にはあった。

 彼方の彼方まで染め上げる黄昏色。聳え立つ大小様々な山々も、その前に広がる小高い丘や草原も、何もかも。色あるものは全て、黄昏色にグラデーションされていた。

 穏やかに凪ぐ風は、そんな世界を揺らしていた。草原に、丘に柔らな草花はふわりとなびく。

 変わらぬ景色。終わらぬ地平、水平。

 そこで彼は何時もの如く――。

 

 斬と、放つ――返りは血飛沫と悲鳴。

 

 ――殺していた。

 手慣れた様子で少年は草原を駆ける。

 細腕には荷が重いのが見てわかる、重い両刃の剣を――魔剣を片手に駆ける。

 とても巨大な剣だった。彼の身丈程もあり、厚みは幾重も重ねた鉄板のよう。重さなど見ればわかる。おおよそまともではない。誰が振るえるというのだ、この剣を。

 嗚呼、そうとも人には振るえない。振るえるのは、彼だけ。

 魔剣に選ばれたダスクウォーカーだけ。

 いつか必ず黄昏を踏破し、果てに闇を齎す彼のみが魔剣を扱える。

 彼は夜の尖兵。故に今も黄昏を踏み締め、蹂躙していた。

 

 夜の剣であり下僕であるのが彼であるなら、そう、彼が血と死を齎すのは黄昏の尖兵でなくてはならない。

 

 無貌の人々ノーフェイス立ち止まりデッドエンド迷子スペクター

 彼が知っている人たちは色々と言っていた。けれど、彼はとても簡潔にこう呼んでいる。

 逢魔が時に来たる物――魔物、と。

 昔やっていたコンシューマーゲームの敵キャラには憎らしく。最近の手慰みにするソーシャルゲームの仲間達には親しみを込め。

 彼は呼ぶ/斬る。

 無数に魔物たちは湧き出てくるから、彼は繰り返すのだ。

 魔物の姿は千差万別。共通項は無く、ひたすらに出鱈目。

 逢魔が時に忘れ去られた彼らは、人の忘我より這い出るからこんなカタチなのだろう。

 例えば、今彼が斬り捨てた魔物は幼児のような顔立ちをした二メートルほどの巨漢。敷き詰められた筋肉は内から現出する刃の元に無力であった。

 例えば、その一瞬手前に鎧袖一触とばかりに斬り払ったのは色とりどりの花で着飾った蛆虫塗れの獣。

 例えば、たったこの瞬間に迫る彼の、百七十足らずの身長を大きく、ゆうに二倍は離したテディベア。綻んだ縫い目から何かの視線があるのを彼は感じていた。

 

 しかし、斬る。

 

 魔剣は夜を呼ぶものだ。いずれきたる未来を引き連れるものだ。だから、魔物を斬れぬ筈がない。

 刃先が掠れば致命となり、通り抜ければ絶命とする。

 これはこういうものだ。黄昏の果てに夜があるという絶対摂理を宿した刃は魔物を必ず殺す。

 

 永久より続く今日の黄昏ダスクテイルに幕を引くため。

 

 彼は今日も剣を振る。

 

 

 

 

 +++

 

 

 

 

 ――チャイムが鳴った。

 聞き慣れた、毎日通う高校のチャイム。目を醒ました彼はベッドの中だった。

 柔らかで微かに洗剤の臭いがする掛け布団。消毒液の鼻をつんと刺すような臭い。喧騒から壁をいくつか隔てたように声は遠い。周りには長方形にベッドを囲むベージュのカーテン。

 差し込む日差しは黄に染まり、時を示し、彼の半身を掛け布団越しに照らしていた。

 そんな中で彼は目を醒ました。

 保健室だ。彼はここの常連。

 体は強い方ではなかった。今日も貧血気味になって体育を抜け出したところだった。

 今丁度鳴ったのは、六限目の終わりを示している。今日の授業も全部終わりだ。後は帰るなり、遊ぶなり、部活なりそれぞれの時間に埋没していくことになる。

 ただ、彼はまだ戻る気は無いらしい。換気の為に開けられた窓から吹き込む秋の夕暮の冷たい風から逃れるように、敷布団に包まった。

 きっと今の教室では着替えが行われているだろう。そこに入るのはとても気まずいのを彼は知っていた。どうしても集まる視線に彼は耐えられなかった。

 体育の初っ端から貧血で退場した身。この二年になってから毎度のこと。二学期ともなれば皆々慣れるだろう。

 けれどどうしても、彼には集まってくるように思えてしまっていた。

 だからまだ、戻らない。

 ――――決して、この微睡みが恋しいわけではないのを彼の名誉のために明言しておこう。

 しかし、邪魔は何にも入るものだ。

 がらがらと古めかしい音をたてて、保健室の引き戸が開いた。

 

 「失礼しまーす」

 

 ぱたぱたと上履きが鳴った。声は少女のものだった。

 それを聞いてから、彼は体に巻き込んだ掛け布団を目元まで引っ張り上げた。

 秋風の冷たさが堪えたのだろうか――ああ、無論そんなことはない。

 声を聞きたくなかった。それだけだ。

 その声を聞いてしまうと、見てみたくなる。

 見てしまえばきっと――欲しくなる。

 声だけでもこうなのに。一目でも見れば一瞬でも目が合えばきっと、いいや必ず――――。

 ガラッ!と勢いよくカーテンは開かれた。

 急のことで、思わずそちらに視線を向けてしまう。

 

 「あっ…………」

 

 ――――好きに欲しくなる。

 黄昏が彼女を照らしていた。

 夕風に揺らぐ髪は艷やかなウェーブ。長く、きっと腰の辺りまで伸ばしている。

 学年ごとに色で分かれたリボン、色はディープブルー、縁取りに白のライン。彼と同じ学年であることをそれは示していた。

 薄いベージュのカーディガン、下に白いYシャツ。履いたスカートは太ももの上で揺れていて、ハイソックスとのコントラストが眩しいほど。

 顔一面には驚いたような丸まった茶の瞳とOになった桜色の唇――思いがけぬ者を見てしまったような、驚愕。

 そして、目があった。

 あってしまった。

 

 彼は声にならない声を小さく開いた唇の、中の歯の隙間から零して。

 直ぐに目を逸らすと彼は駆け出していた。

 一目散に逃げ出した。もう居られなかった見ていられなかった――いや、見られるのが苦痛だった。

 この醜い姿を見られるのが、この醜い瞳で彼女を捉えるのが彼には苦痛以外なにものでもなかった。

 がらりと勢いよく引き戸を開け放って、養護教諭を避けて、貧血にふらつく視界に鞭を打つ。

 

 ――嗚呼、やっぱり。

 

 誰も居ない廊下を、慣れぬ全力疾走で痛み始めた脇腹を押さえ、荒い息の中で零してしまった

 何度も何度も唇が衝動のままに言葉を紡ぐ。

 只々、ひたすらに感情のままに。

 辿り着いたのは誰も居ない教室。未だ地平に消えない夕日が差し込む、保健室と同じ色をした、見慣れた色に染まりきった教室。

 よかった。誰も居ない。よかった。

 何度か呟く。何度も呟く。自分の椅子に蹌踉めきながら辿り着いて、へたり込む。

 荒い息が、久方ぶりに感じた体の疲労が外気に触れて溶けていく。

 

 「――好きになってしまった」

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 黄昏に招かれるのはいつも突然で、いつも場所を選ばない。

 唐突に呼ばれ、唐突に開放される。

 だから、彼はあらゆるものを犠牲にせざる得なかった。

 血と黄昏の日々に、彼の全ては捧げられてしまった。

 けれど、彼は理解していた。

 そうせざるをえない、と。

 そうしなければ黄昏は全てを呑み干してしまう。

 夜も朝も昼も、人も世界も宇宙も。

 全部全部塗って、固めて、呑み干して、最期に全てを忘我に貶めていく。

 ――認められなかった。

 彼には耐え難い事実だった。彼が愛しいと感じたあの声も、愛する家族も、知らぬ人も知らぬ間に忘我へと消えてしまう。

 それはとても酷いことだ。

 きっと、そう思うから選ばれた。

 知らせずとも彼がそう思う事を魔剣は分かっていたから。

 悪辣だ――そう言い表さずとして何という。

 だから、夜は彼をこうした。

 彼に剣を授け、彼を尖兵にし、彼を黄昏を殺す者ダスクウォーカーにした。

 代償は、灰色の青春。

 得たのは、護る為の力。

 歪な契約はそう、成された。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 告白しようと思った。

 これが終わったら、彼女に告白しようと思った。

 けれど、何時だろう――憂鬱を湛えた瞳は黄昏を写し込む。

 黄昏と魔剣と魔物。

 来る夜を招くために、醜い自分に出来ることはきっとこれだけだ。

 

 此度の戦場は何処かの街、市街。

 煉瓦の敷き詰められた家々、道、路地。

 日本では無いのが彼にもわかった。けれど、さしたる問題ではないとも思っていた。

 狭苦しい路地。黄昏の隙間を縫うようにあしらわれたそこを魔物たちは我先にと上に下に前に後に、隙あらば横にと押し寄せてくる。


 魔剣に狭さは問題ではない。

 だから、この様な方法を取る魔物は正しく愚物。

 

 語るよりも結果を示すのがいいだろう。

 ――斬殺。刺殺。圧殺。滅殺。撃殺。射殺。轢殺。絞殺。虐殺。

 想像しえる殺害方法を魔剣は指し示す。

 裂帛の叫びなど不要。力など不要。術理など不要。

 ただ、扱えるという認識さえあれば魔剣の扱いには事足りる。

 魔剣の冴えに狂いは無い。この魔剣は彼の想いのままに自在を成す。

 

 だから、此度の黄昏にも容易に夜は訪れる。

 

 しかし、彼を驚愕が彩る。初めて見せる感情の色は大きい。

 魔剣が弾かれた。

 がきりがきりと空で切り結ぶ。巻き添えを食った魔物たちは無残とばかりに散っていく。

 文字通りの空中へと彼は飛び出す。

 路地を蹴りつけ、脇の高い家屋の壁を蹴りつけ、二段三段と何度も蹴って空中で交錯――また幾度と火花が散る。

 こうして舞台が頭上に、家屋の連なる屋上へと。

 かつりと革靴が、ハイヒールが整然と並ぶ瓦を踏み躙り、両者は対面していた。

 かたや、魔剣の、黄昏の蹂躙者ダスクウォーカーたる憂鬱の彼。

 かたや、とんがり帽子をかぶり、大きな谷間を外気に晒す大胆なドレスを身に纏った女――めいたもの。

 形の良い唇があった。一つと三つと五つと顔面を満たしていた。一様に端と端を持ち上げている。意味は笑み。隙間に見える歯はお歯黒を塗りたくったような黒。

 

 彼は知っていた――無論彼女のことだ。

 

 仲間だった。そう仲間だった。

 気さくな人だった。綺麗な声の人だった。黄昏に夜を齎す為に背中を預けたこともあった。

 けれどもうダメだ。

 彼女は黄昏に呑まれた。黄昏に喰われた。

 今あるのは残滓だけ。夜の片鱗を、黄昏に犯された魔剣を振るう名もなき魔物。

 彼女は終わらぬ黄昏に耐えられなかった。無限の元に心が圧殺された。だからこうなった。

 

 なら、そう。終わらせてやるのが慈悲であろう。

 

 憂鬱が濃ゆく彼に降り立つ。

 変わらぬ黄昏の中で彼はいつもと変わらず魔剣を垂らして、眼前に振り下ろされた魔剣を見据えて。

 ――――言った筈だ、魔剣とは結果であると。

 直後、無数の魔剣が魔物を内側から撃ち抜いた。

 成長しきった無数の魔剣は瓦を抜いて、空中に魔物を留める――奇っ怪な標本が如き様。

 藻掻く魔物を憂鬱に彼は見ると、無造作に魔剣を突き立てた。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 ――告白、できそうにないな。

 

 彼はため息混じりに脳髄によぎった言葉を反芻する。

 突き立てたはずの刃は彼の腹を突き通って、刃先を黄昏に濡らしていた。

 駄目だなあ。言葉にならず、代わりに喉奥から空気とコポリと大きな血塊を吐き出した。

 屋根に落ちて、黄昏に彩りを加えていく。

 どうにか、自分の腹を刺し貫いた者の顔を見たくて、首を後ろに――それでは視界に映らないから瞳を寄せて。

 

 「――――ハハ」

 

 出たのは乾いた笑み。

 映ったのは――――笑う彼女。

 彼が恋した。彼女の姿。

 ずるりと背中に、通ってきた道を戻るように剣から彼は解き放たれ――流れのままに彼の視界は体を置き去りにした。

 

 

  

 

 ++++





 「――――あれ?」

 

 伽藍堂の教室。黄昏去りゆく教室。夕凪にそよぐカーテンだけが賑やかし。

 入り口には、息絶えだえの彼女。

 

 「どうしてここにいるんだろう?」

  

 彼の席はもうない。





 ++++

 

 

 故に、黄昏は来たれリ。

 夜は来ない。

 微睡みフラットラインに世界は沈む――――。






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