第8話 怪説・本能寺の変-維新
光秀が、忠兵衛の言葉に耳を傾け始めたのを感じ、師弟関係を暗示するために敢えて方言と砕けた語りで同意を促し、凛とした語りで悟りと服従の注入を行った。忠兵衛は、緊張と緩和を駆使して、光秀を掌握し始めた。
「信長を葬れば、誰が頭に立つんでしゃろ」
「それは、信長ゆかりの者の中から、選ばれるだろう」
「甘おまっすなぁ。血縁関係を見渡しても誰もおりまへんがな。仮に誰かが頭首となっても、お供え餅でしゃろ。誰かが裏で糸を引く。それを聞いてるんでおます。もう少し、掘り下げて考えなはれ。折角の金脈も逃してしまいまっせ」
「…遅かれ早かれ、秀吉が抜け出てこよう」
「そうでんがな、人格、才覚、人望を考えれば。備中高松城から山崎まで大軍を移動させた備中大返し。これには、私らも驚かされましたわ。このような奇想天外な発想と行動が、頭に立つ者には必要なんだす。好奇心旺盛な信長。交渉上手な秀吉。お~怖、秀吉はんには、銭の臭もぷんぷんしますわ。かと言って、秀吉倒しなど私らには荷が重すぎます。下手に動けばこちらが、潰されますわ。そこで、秀吉の対抗馬として白羽の矢を立てたのが三河国を中心に勢力を拡大している家康はんです」
「秀吉殿と家康殿が戦うと」
「私らは、そう読んでおます。正しくは、秀吉没後のことになりますがね。権力争いとは、そう言うもんでしゃろ。家康はんは疑心暗鬼の塊のような人や。更に、無駄な争いを避けるために不条理を飲み込む我慢強さ、飴と鞭を上手く使い分ける才覚がありますさかい。自分が臆病だけに、人の弱さも分かる。秀吉はんとは、そこが違いますわ。駒としてどっちが動かしやすいか、答えは簡単でしゃろ。家康はんはお金では動きませんわ。なら、金に変えられないものを与えればいい。参謀は金で手に入るかもしれまへん。でも、天下人は孤独なもんでしゃろ。その孤独を補えなえば、懐には入れると言うことです。懐に入るには秘密の暴露が重要です。敢えて、秘密を握らせることにより、裏切られない安堵を与えるんですよ。ならその秘密はとびっきり大きい方がより安心させられると思いませんか。今のあんさん程、この適任者はおりまへでぇ。そのために私たちは、あんさんを追い込んだんですから。
家康さんと天下を取りをしなはれ。悪い話ではありまへんやろ。時間は掛かるでしょうが、その時間こそ、家康はんが勢力を付けるための時間だと思うております。あんさんを使って家康の心中に深く食い込んでやりまっせぇ。死の商人と呼ばれた私たちが今度は、戦のない世を築いてやります。それが、最期の私らの道楽ですわ」
「戦のない世であれば、秀吉が天下人となっても同じことではないのか」
「甘いなぁ。確かに秀吉は武力より算術に重きを置くでしょう。存命中はいい。しかし没後は、権力争いが繰り返されますよ。人斬庖丁では世の中の安泰など望めまへんなぁ。あんさんの出番は、秀吉亡き頃。それ迄、才能を磨くことです」
「秀吉の没後はその血縁者が次ぐのではないか」
「信長の後は、血縁関係者になりますやろうか。一瞬、なるやもしれません。が、馬鹿に従うより自分でやった方が何かと便宜でしゃろ。地盤さへ固まれば、さっさと引きずり落として、天下を自分のものにされますわ。それが秀吉はんだす」
「そなたら、そんな先のことまで考えておるのか」
「先手必勝と言うやおまへんか、仕掛けは早いほうが宜しおます。あんさんには、陰の存在として家康はんに降り懸かる難解な問題を協力して解いて貰いたいのです」
「そなたらの言うことは理解した、として、家康殿の賛同が得られなければ…。幾ら服部半蔵殿が説いた所で、何かと物議を醸すのではないか…」
「その点もご心配なく。下準備は順調に進めております」
「本人が言うのは可笑しいが、私が表に出るのは何かとまずいであろう」
「そうでおますなぁ。せやさかい、陰の、ってついておますのや」
「陰か…最早、明智光秀は、この世におらん、ということだな」
「明智光秀は死して名を残す、ですわ。武士としてのあなたはもう、この世にはいない。武士でないからこそ、安心して家康も組めるのです」
「武士ではない、とはどう言う意味だ」
「それは後ほど。ただ、ご自身を最も活かせる舞台を待てるということですよ」
光秀は、自分の置かれている立場を理解しようと努めていた。
忠兵衛が仲間に的確な支持を出し、その他の者は、自らの任務を着実に遂行し、ことが運んでいるのを目の当たりにした。組織の在り方を垣間見た思いだった。
何と私は愚かだったのか。そう思うと自らの行いを悔いた。無念にも命を落とした者、甘さ、器のなさ、言うは易し行う難し…か。信長の亡骸がなかった時の虚無感。光秀は、自らを心の闇へと追い込んでいった。その時だった。一縷の光が脳裏に射した。私は生まれ変わる。変わる機会がここにある。鬼にでもなる。目的を達成するためには。そう思った時、スーと憑き物が落ちたように肩から力が抜けた。
「分かった、新たに授かったこの命、そなたらの自由にするがいい」
「おおきに。ほな、これからは、私ら、お仲間ですな」
「よしなに」
「取り敢えず、家康はんの説得やあんさんの身の置き場への下準備など、まだまだ時間が掛かります。それまでは、私の別荘をお使いくだされ。監禁など無作法な真似はしまへんが、顔がばれたら、どうなるか考えて行動してくれやす。それが出来なければ、それまでのことと、私らも諦めます」
「心配はいらん。武士であること…あったことにもう未練はない」
「それで宜しおます」
「また、意味ありげなことを言うのか」
光秀は、忠兵衛の納得する発言に何か裏があるのではと考えるようになっていた。
「しばらく、新・信長体制を見守ることに致しましょう。その間、光秀はんは、心の切り替えに努めてくだされ」
「分かった。この一晩で何年も過ごした様な気が致すわ」
「お疲れどしたな。別荘は温泉地だす、ゆっくり過去を洗い流してくれやす」
一方、三河国に戻った家康は、機微を返し、光秀を討つための軍を召集し、安土城に向かった。出発しまもなくして隊列に向かってくる早馬に、一同は色めきだった。
「お待ちくだされー、お待ちくだされー」
大声を張り上げながら、勢いよく近づいてくる武士は、隊列の前で止まり下馬し、膝をつき一礼した。
「いきなり、道中の妨げとなり、申し訳御座いません」
「そなたは」
「家康公と存じますが、相違御座いませんか」
「いかにも」
「拙者、秀吉様の家臣、高橋喜一郎と申し上げます。急ぎ、お伝えした気ことありて、馳せ参じました」
「して、何事ぞ」
「光秀、既に討ち取られて御座りまするー」
「なんと、誰が討った、秀吉様か」
「土民で御座います」
「土民とな」
「秀吉様との戦いに敗れ、安土城を目指すも道半ばにして土民の槍にて致命傷を負い、そのまま自害したとのことで御座います」
「そうか、高橋喜一郎とやら、大義であった。今宵は疲れを労い、戻られたら秀吉様に、家康、御報告に礼を申すと、伝えてくだされ」
「しかと、お伝え致しまする」
家康に同行していた服部半蔵は、やっと、次なる手の好機を迎えたと思った。
「機は熟した。後は、家康を取り込むのみぞ」
その晩、家康は上機嫌で祝宴に酔いしれていた。
半蔵は、家康が酔いつぶれる前に、伊賀越えについて大事な報告があると、耳打ちし、密かに会う機会を得ていた。半蔵とは、伊賀越えの苦楽を共にした仲。それ故、格別な信頼を得ていた。
「報告とはなんじゃ、改まって」
「家康様が、落ち着きなされてから、御報告致そうと」
「して、何かな」
「驚きなさいますな。今よりお話するのは、我らが調べた真実。心して、お聞きくだされ。なぜ、あの時、信長の包囲網を突破できたのかを」
「そなたと伊賀者のお陰であろう、違うのか」
「確かにそうでは御座いますが、あの時、三河までの道中、来るはずの追手の姿がなかったことにお気づきで御座いましょうか」
「そう言われれば…。しかし、危うく命を落としかねなかったではないか」
「あれには、私も驚きました。まぁ、あれ位は臨場感があって、宜しいかと」
「馬鹿を言うな」
「失礼、致しました」
「それより、答えろ。なぜ、伊賀越ができたのか」
「そもそも、あの場で、下準備もなく、山歩きの経験のない家康様に対して、あの伊賀越えを思いつくのは、困難ということです」
「可笑しなことを言うではないか。そなたの言い方では、事前に知っておったように聞こえるぞ」
「御意に御座います」
「何と、襲われることが分かっていたと言うのか」
「はい。ですから、伊賀者が援護に駆けつけておりまする」
「確かに」
「ならば、もっと安易に回避出来なかったのか」
「秘密裏に動きますと、予期せぬことが起こりまする」
「まぁ、良い。詳細を説明せい」
「家康様においては、信じがたい、お話御座います」
「信じがたい話だと、えぇい、勿体ぶらず、早う、言え」
「では、ご要望通りに。家康様、可笑しなことが起きてましょう」
「何がじゃ」
「そもそも、信長様が家康様を三河からお呼びになったのは、お茶会あってのこと。それゆえ、警護も手薄で御座いましたね」
「ああ、逆らう者はいなかったゆえ、警護も手薄で良いということだった」
「それで、なぜ、茶会に出られておりませぬ」
「それは、信長様が折角、三河から来たのだから、堺遊覧でもして来いと」
「ならば、最初から、そう言えばいいではありませぬか。そもそも、呼びつけておいて京ではなく大坂の堺とは、遠すぎませんか」
「…」
「真実はこうです。あの茶会は、ある堺商人によって、設けられたもの。それを信長様が利用して、家康様、毒殺を企てたので御座います」
「な、な、何を申す。信長様が、私を毒殺とな、馬鹿を言うでない、馬鹿を」
「そうで御座いましょうか。私が得た情報では、秀吉の援軍に向かう途中、堺に立ち寄り、家康様を討つ。それを信長様より託されたのが光秀であっと」
「何と、信長様が、光秀に。なぜじゃ、何ゆえにだ」
「それが、信長様ということでしょう」
「どう言うことだ」
「あの襲撃隊は光秀の差金ではなく、信長様の命を受けた者たちです」
「そなた、先程、私の暗殺は、光秀が命じられたと言ったではないか」
「確実に家康様を討つには、失敗など許されないわけです。正義感の強い光秀に邪魔されては厄介。ならば、秀吉の援軍に行けと追い出した」
「そのようなこと…」
「茶会に招かれた者をご覧ください。秀吉様は、遠征で除外するにせよ、光秀は当初から入っておりませんでした。側近を飛び越えて、家康様は呼ばれた」
「ゆえに、私は認められたと、喜んでおったのに」
「それが、信長様の思う壷、だったとしたら」
「何と、そのような…」
「側近だからこそ、信長の本性、気質がよく分かる。それを踏まえて光秀が何故、謀反に至ったかと言うことです」
「私もそこが気になる、そなた知っておるのか」
「いいえ、今となっては本人以外に知る由もなく、でしょうな。しかし、考えられる光秀の思いは、分かる気が致します。それで良ければ」
「おぉ、聞かせてくれぬか、その思いとやらを」
「光秀の家臣、斎藤利三には、旧知の長宗我部元親がおります。元親は、信長様から四国征伐を任されていたのです。その元親でさへいつしか自分の敵になる。確実な支配下に置けるや否か、不安を払拭できなければ、倒してしまえってのが、信長様。元親は戦う気はなく、譲歩案も受け入れると、利三、光秀を通じて訴えていました。しかし、その願いは全く通じなかったのです。まさにあの日、元親の四国討伐が間近に迫っていたのです。更に付け加えなければならないのは、イエズス会の動きです。イエズス会は、信長様に入信を迫っていた。宗教の名を借りた侵略であるとを理解していた信長様は、それを拒否した。これもあの日、本能寺の至近距離にある南蛮寺の展望台に新式火薬を持ち込み、信長爆死を企んでいたのです。隠れキリシタンだった光秀は、信長の付き人である黒人の彌助からそれを聞かされていた。
爆死となれば、世の中が再び戦火の渦に巻き込まれる懸念があります。異国との揉め事にも発展しかねません。それは、避けなければならない。光秀は天下の在り方に不安を感じ、刻限に迫られ、あの謀反を引き起こしたのです」
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