第6話 怪説・本能寺の変-転機

 信長は、船のデッキにいた。そこに現れたのは、イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスだった。

 「傷は大丈夫ですか」

 「かすり傷だ」

 「それは、良かった。ここからは、私たちがご案内いたします」

 「かたじけない、世話になる」

 「この後、陸路を経て海へ。そこから境港に参ります。堺港には、印度へ渡る船を待機させております。信長様には、その船に乗ってもらいます。あなたが望んだ異国の地に行くのです」

 「印度か」

 「印度と言って大陸は、繋がっています。お好きな異国を探し、お楽しみくださればいい。通訳としても役立つでしょうから、彌助も、同行させれば、宜しかろう」

 「かたじけない」

 信長と弥助は、感慨深げに、本能寺の方角を見つめていた。

 「今頃、光秀は、私の亡骸を探しておろう。闇に隠れたこの信長の姿をな」


 その日の昼には、宣教師の案内人と、信長と彌助、蘭丸は、早籠と船を使い大坂・堺港へと向かった。

 越後忠兵衛は、密偵から、信長を乗せた船が堺港を出港した知らせを受けた後、閻魔会を召集した。忠兵衛は、晴れ晴れとした面立ちだった。

 「皆さんに報告があります。無事、信長を彼方異国に葬り去ることとなりました。この、めでたき日に皆さんと乾杯をしたく、お集まり頂きました。お手元のグラスをお手に。この日の為に取り寄せた珍しいワインで御座います。これで、我らの利権を邪魔する者はいなくなりました。めでたい、めでたい、それでは、かんぱーい」

 閻魔会の七人衆は、安堵を喜び、乾杯した。

(小次郎)「忠兵衛どん、信長はどうなりまっしゃろ」

 「さぁ、険しい航海で朽ち果てるか、野垂れ死にしようが知ったことではありませぬは。権力を失った男に私は、興味が湧くことなどありませぬでな」

 そういって、忠兵衛は、く・く・くと笑ってみせた。

(小次郎)「ほんに、忠兵衛どんは恐ろしき人よ」

 「何をおしゃる、我らを蔑ろにする者が、愚かに御座いますよ。戦いしか知らぬ者はもう、この世には不要の者で御座います。これからは、商人が、この国を動かして行くのですよ」

(佐助)「そうで御座いますな。金は力なり。権力は、金の前に屈する、ですな」

 「皆さん、これからが大変で御座いますよ。次に天下人になるのは秀吉でしょう。信長以上に厄介な御仁です。次なるは、我らの手で秀吉の対抗馬を育てなければなりません。今回の大芝居は、すべてそのためにありますから」

(蔵之介)「天下人は、信長を討った明智ではなく、秀吉ですか」

 「光秀は天下人の器ではない。秀吉の返り討ちに遭うは必定。秀吉には、軍配士・黒田勘兵衛がいます。それに対抗するのは光秀、ただ一人と私は考えます。秀吉を倒すには、策士としての光秀が必要だと考え、この芝居を思いついたのです」

(蔵之介)「確かに光秀では、頭になるには、毒がなさ過ぎますな」

(長七郎)「情に脆い者は、情に溺れ、自らを滅ぼす。その典型が光秀よな」

(蔵之介)「そうで御座いますな。毒気のない奴は、面白味もないですからな」

 「さて、皆さんにお頼みしていた件は、順調に遂行されておりますでしょうか」

(新右衛門)「そうそう、秀吉が、信長討たれるを隠蔽したまま、毛利方と講和を結び、とんでもない速さで、京都へ目指しておりまする。この分で行けば、予定が早まると心しておかなけばなりませぬ」

 「承知しました。そうじゃったまず礼を。重信はん、ご苦労様でした。信長の件はお見事でした。今後は私の任をお手伝いくだされ」

(重信)「かしこまりました」

 「さて、小次郎はん、光秀はその後、如何しております」

(小次郎)「秀吉の主君仇討に対抗すべく、旧知の細川藤孝と娘・珠の腰入先の細川忠興に援軍を頼んでいる様子で御座います」

 「それで、援軍を出すのですか」

(小次郎)「援軍の件を、お聞きしようと思っておりましたが、先ほどの忠兵衛どんの話を聞いて方向が見え申したゆえ、藤孝・忠興には、お灸を据えておきまする。そこで、忠兵衛どんにお頼みしたい件が御座います。秀吉に細川家断絶回避の特約を取り付けて頂けませぬか」

 「あい、分かった、ちょっと厄介ではあるが、なんとかなるでしょ」

(小次郎)「お願い致します」


 6月13日、秀吉軍4万人、光秀軍1万6千人。光秀軍が圧倒的に不利に思えた。

 世に言う、京都・山崎の戦いである。

 「隊に疲れが見え始めておる」

 「何をおっしゃる我等、光秀公の為ならば死ねまするぞ」

 斎藤利三らを筆頭に強い結束で、一進一退の攻防戦を展開していた。しかし、劣勢な状況からは抜け出せないと考えた光秀は、決断を下すこととなる。

 「撤退じゃ、撤退。隊を立て直そうぞ」

 これ以上の深入りは、見す見す敗戦を余儀なくする。光秀は、坂本城から安土城へ向かった。篭城戦に持ち込み、長期戦になれば、叩き上げの羽柴秀吉と家柄のよい柴田勝家の犬猿関係が勃発し、秀吉は自滅するはず。その時に、上杉家や毛利方の援軍が得られれば、勝機があると考え、再起を願った撤退だった。

 陣幕の裏に控えさせた馬に、光秀が乗ろうとした時、溝尾茂朝ら数人の武士に囲まれ、頭陀袋に入れられ、光秀は、拉致された。それは、一瞬の出来事だった。

 軍勢が敗戦の途につく時には、立派な鎧を纏った影武者の光秀が馬に跨っていた。そのまま、何事もなく、坂本城への隊列は進んでいた。

 光秀が、頭陀袋から解放された処は、真っ暗な部屋だった。

 「ここはどこだ、誰の仕業だ」

 「落ち着きなはれ、光秀殿。返答次第では、取って喰おうなどとは思っておりまへん。寧ろ、光秀殿のためを思ってのこととお考えくだされ」

 「このような仕打ちをされ、信じろと申すか」

 「お許しくだされ、こうでもせな、光秀殿とお話出来ませんゆえ」

 「何者じゃ、顔を見せい」 

 「それは、ご勘弁を。お怒りはお察ししますが、時間がありまへん。早速、本題に入らせてもらいます。光秀殿、これから、どうなされるつもりでっか」

 「そのようなこと、そなたに、答える筋合いはない」

 「そうでっか、ほな、こっちで勝手に、やらせてもらいますわ」

 「勝手にせい」

 「ほな、進めまっせ、光秀殿。まさか、安土城に篭城したら、勝機があるとでも考えてはるんちゃいますやろな。そらーあきまへん、あきまへんわ。悪いことは言いまへん、勝ち目のない戦いなんか止めときなはれ」

 「何を申す、無礼者が」

 「さぁさぁ、怒りなはんな。策士、光秀が泣きまっせ。ほな、聞きますが、どないして、秀吉、勝家、家康はんらに、勝てますんや。どう転んでも、主君の仇討の一気枷になっている相手に、勝てまへんわ」

 「我が軍を甘く見るな」

 「甘くなんて、見てまへん。現実を見てますんや」

 「勝ち目のない、戦などせぬは」

 「そうです、それが一番だす。勝ち目のない戦は、無駄でございますからな」

 「そなたの言うこと、いちいち、腹立たしいは」

 「すいまへんな、おちょくってるわけやおまへんねぇ、こう言う言い方しかでけへん阿呆やとでも思うてください」

 「そなた、商人か」

 「するどおますな、その鋭い観察眼で聞いてくれやす」

 「…」

 「この度の秀吉はんとの戦いで、上杉謙信はんに援軍を頼まはったけど、あきまへんかったなぁ。それに、旧知の細川藤孝はんも同じでしゃろ。娘の珠さんの嫁ぎ先の細川忠興に至っては、自分の髪を切って秀吉に送ったらしいでっせ。武士の資格がないから出家するとか、書簡まで貰うてしもて、難儀なことですな」

 「なぜ、なぜ、そんなことを…知っておる」

 「私らを甘く見てもろたら困りますなぁ。現に、光秀殿はここにいてはります。秀

吉が欲しがってる首が、いま、私らの手の中にあるということです。ええかげん、分かってもらえまへんか」

 「…そなたらが大口を叩けるのも、今しばらくのことよ。私がいなくなり、忠義に厚い家臣たちが血眼に探しておるはずだ」

 「その点は、お気遣いなく」

 「なんだと」

 「そのことでしたら、心配いりまへんわ。何事もないように、軍勢は坂本城を目指しておりますから」

 「なに」

 「武将には、影武者は付き物でしゃろ。ちゃんと用意さしてもらってます」

 「影武者など立てても、誤魔化されぬわ」

 「そうでしゃろか。協力者がいたら、案外、上手く行くもんでっせ」

 ガタガタという音と共に引き戸が開き、暗室に明かりが差し込んできた。

 そこには、土下座をした鎧を着た武士が控えていた。

 「茂朝はん、説明してあげてくれやす」

 光秀は、その男を見て、茂朝、溝尾茂朝かと、一瞬、我が目を疑った。

 「お許しくだされ、光秀様」

 「なぜ、そなたが、そなたがそこにおる」

 「秀吉との戦いに苦戦し、光秀様のお命危なし、となった時、何としてもお守り致したかった。援軍の道も危うくなったことを知り、藁をにも縋る思いで、こやつらの企てを飲んだ所存で御座います」

 「いつから、こやつらと繋がっておった」

 「信長様を討った後で御座います」

 「なんと…」

 「光秀様と同じように、拉致され、光秀様の現状を知らされました。それにも増して、この企てに加担したのは…」

 「何を吹き込まれた、何を」

 「それが…それが」

 「何じゃ、何を言われた」

 「それは…それは…信長が、信長が」

 そう言うと、溝尾茂朝は大粒の涙を流し、泣き崩れた。

 「宜しおます。私からお話致します。溝尾様は、隊列に戻り、光秀殿の影武者を光秀様と思い、お守りくだされ」

 扉は静かに締まり、部屋は、また闇に覆われた。

 「あなたが討った信長の遺体は発見されましたか。されておりますまい」

 「…」

 「それはそのはず、信長は死んではおりませんからな」

 「なんと、信長が生きていると…」

 「そうでおます」  

 「そんなはずはない」

 「では、なぜ、遺体がありまへんのや」

 「いや、確かに遺体がでて、極秘裡に信長ゆかりの寺に埋葬されたはず」

 「面白おますな、それこそ、誰の遺体を埋葬されたのか。あの焼け跡で本人確認など難しいでしょう」

 「それは…」

 「あの大火の中、助け出したのも私たちですから」

 「それでは、信長はどこにいるというのだ」

 「さぁ、どこやらの海の上で御座いましょうよ」

 「海の上」

 「あなたの謀反も事前に告げてありましてな。信長の命を狙っていたのは、あなただけはなかったものでね」

 「誰だ、誰だと申す」

 「ご存知ないか。それならそれで、いいではありませんか、今となっては」

 「…」

 「そうそう、家康様も私たちが逃がしておきましたから、ご安心を」

 「なんと、家康殿も」

 「そうですよ」

 「そなたら、堺商人か」

 「ほぉー怖。流石、私が見込んだお人ですわ。嬉しく思いまっせ。まぁ、犯人探しのような真似は、無意味で御座いますゆえ、緞帳を下ろして貰いまひょか」

 「貴様」

 「家康はん救出。あれは大変でした。もう少し、手配が遅れたら、危のうおましたは。万が一を考え、服部半蔵はんに護衛を頼みしてましたが、多勢に無勢。ああ、密偵の報告を見てきたように話しますが、そこは、ご勘弁を。そうそう、追手を半蔵さんが相手をしてる僅かな隙を狙われて、家康はんの乗った籠に槍がブスリ。あぁぁ、万事休す、かと思ったら、あの方、運がいいというか、腰を抜かした状態で、籠から這い出してきやはった。怯えた猫が逃げるように情けない格好で、寺の縁の下に潜り込まはった。それが良かった。追手の方がそこに入ろうとした所を、半蔵はんが、繋ぎをとってくれていた援軍が来て、その追手を一網打尽に。何とか難を逃れました。家康はんを引っ張り出したら、く・く・く、いや、失礼。あの方、小便を漏らしていて、く・く・く・く。兎に角、籠へ放り込んで行ける所まで行って、あとは徒歩で。

半蔵はんと伊賀の者の手引きで、伊賀国の険しい山道を抜け、加太超えを経て、伊勢国から海路で、三河国に辛うじてご帰還願った次第で。信長を討った明智軍に命を狙われていると知った家康はんは、自暴自棄になって後追いをしよとしましてな。それを、本多忠勝様が説得されて、何とか事を得ました。本間、これは予想外でしたわ。

家康の人成は調べておりましたが、ここまで腰抜けとは…。まぁ、本多様には、後でお礼でもしときますよって。これで、当初の予定通り、伊賀者は、家康に恩を売れたさかい、今後、色々、安条いきましゃろ、色々とね」

 「私は家康殿に追手など出しておらん」

 「はい承知してます。送ったのは信長ですさかい」

 「光秀はんも知ってはったんでしゃろ、茶会の意味を」

 「そなたら、一体、何者なんだ」

 「その内、分かりますよって、お楽しみに」

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