第5話 怪説・本能寺の変-覚悟

 信長は思っていた。いずれ、イエズス会によって暗殺されるだろう。

 異国の軍需品・薬の前では、成す術がないのは、信長自身が一番、理解していた。

 イエズス会を滅ぼせばいい、そんな単純な問題ではない。イエズス会の影響は光秀しかり諸大名にも及んでいる。飛び道具や薬物の防ぎ方など、思い浮かばなかった。

 信長の選択肢は、越後忠兵衛の用意した舞台で踊ることしかないと、自らに言い聞かせて、覚悟を決めていた。

 「まずは、秀吉様を遠避けて貰いましょうか。四国はまずい、船でも使われたら、直ぐに舞い戻って、主君の仇討として、光秀様を見す見す葬りさらわれるてしまいます。私としては、光秀様の人格・知識は、簡単に葬るのは惜しい。そこで、中国地方で勢力を伸ばす毛利様との講和目的ということで如何でしょう」

 「あい、分かった。ふむ…そなた光秀が欲しいのか…まぁ良い」

 「家康様は、信長様の許可を得たということで、私たちの支配下にでも置いておきましょう。まぁ、堺の遊覧と言うことで、宜しいでしょう」

 「家康をそなたらの支配下に置く目的は」

 「いやね、家康様とは余り接点がありませんが…。まぁ、お人柄を知る、ということで、ご勘弁願えませんか」

 「それは拙いぞ…、もう手遅れになるやも…。そなたには打ち明けるが、家康暗殺隊は別行動で、隠密に動いておる。暗殺、中止の知らせが間に合うか、どうか…」

 「仕方、ありますまい。それはこちらで何とか致しましょう。間に合わなければ、家康様の運もそれまでと言うことでしょう。そのような人物は私も不要ですから」

 「敵に回すと怖いな、そなた…」

 「暴君、信長様にそう言われるのは本望ですよ、く・く・く・く」

 忠兵衛は、強引な商売を通し、修羅場を幾度となく切り抜けていた。

 「イエズス会には彌助を使って、光秀による信長暗殺が、確実に進行中。様子を伺うように。下手に動くと、イエズス会への誹謗中傷、信長様側につく諸大名を敵に回す、とでも流させましょう。奴らとて、代わりに信長暗殺を誰かがやってくれるのなら、それに越したことはないでしょうから」

 「それ程に、わしは、厄介者か」

 「はい」

 「…」

 「この度の茶会は光秀様にとっては、千載一遇の機会でも、イエズス会にとれば、幾多ある機会の取るに足りないものでしょう。何せ、飛び道具を持っているのですから、大砲おおづつとかね。さて、光秀様ですが、秀吉様への援軍とでも大義をつけて、6月1日にでも出陣願いましょうか…刻限を稼ぐために。刻と金は、余裕があるのが何事も上手くいきますからね」

 「うん、待て。出陣の命。もし、光秀が謀反を起こさなければ、どうなるのだ」

 「そうですねぇ、それは困りますねぇ。信長様はどちらにお賭けになりますか」

 「ふざけるではない」

 「く・く・く。どうも、いけませんなぁ、つい、楽しんでしまう、私の悪い癖」

 忠兵衛は時折、可笑しな声を発する。これも、緊張と緩和の成せる態だった。

 「それでわしは、呆然と光秀の謀反に付き合えばよいのか」

 「まさか、信長様にもちょっとは、演じてもらわなければ。少なくとも、奇襲を受けたことを、光秀軍に確認させねばなりませんからな」

 「どうしろと言うのだ」

 「最初、少しは応戦してもらいましょうか、弓とか薙刀とかで」

 「弓と薙刀でか」

 「私が光秀様なら一気に攻めること、自軍に犠牲者を出さないこと、を考えれば、まずは、鉄砲隊を向かわせて次に、鉄砲隊の邪魔にならない程度の先陣を送り込みますな。それに応戦してください。鉄砲の玉には呉呉も気をつけてくださいまし。造り手側から言わせてもらえれば、正確に的を射抜くにはまだまだの品物。乱れ撃って、当れば儲け物程度ですから。怖いのは流れ弾で御座います。大勢を迎え撃つには宜しいが一人を狙うとなれば、かなり近づかねばなりません。裏を返せば、距離をとれば当たりにくいと言うことですよ」

 「その距離とは」

 「それは玉に聞いてくだされ」

 「何を言うか」

 「敢えて言うなら、塀から縁側程限かと」

 「何れにせよ、時の運に縋れと言うのか」

 「さようで御座います。大丈夫ですよ、運はお持ちになっておりますから」

 「他人事のように言い寄って」

 「他人事で御座いますよ、私にとってはね、く・く・く・く」

 「食えぬやつだ、そなたは」

 「食っても上手くありませんよこんな老いぼれを。それより、決して応戦なされないように。信長様の気性からつい頭に血が上り、本気で応戦されるのではと心配で心配で、蕎麦も喉を通りませんわ」

 「そなたが蕎麦だと。蕎麦など食わぬくせに」

 「それはそれとして」

 「無視か」

 「直様、距離を縮めた第二弾の鉄砲隊が迫ってきましょう。その時、襖を目隠しにし、部屋に閉じ篭ってください。その後、急ぎ蘭丸に襖に向けて油を撒かせ、火を放たせてください。それで明智軍は足踏み致しましょう。その間にこちらで用意した床下の堀から逃げていただきます。出口には、護衛も用意しておきます。あとは、護衛の者の指示に従って避難してください。あっ、そうそう、念の為に力持ちの彌助を待機させておきますよ」

 「奇襲された際に、生き延びられなければ、そのまま、謀反成立と言うことか」

 「そうなりますな、そこで、命を落とされば、それまでの人生とお諦めくだされ。

しかし、そうはならないのが、信長様でしょう。私はそれに賭けております」

 「また、賭けか。人の命を勝手に弄びよって…。進むも地獄、戻るも地獄。ならば、進んでやるわな」

 「それでこそ、信長様。ご了承頂けたということで私は、仕上げの手配に取り掛かります、宜しいですな」

 「仕上げとな」

 「やらねばならないことは、刻限なき今も色々ありましてな」

 「うん、分かった。預けてやるはこの命、そなたに」

 (場面は、閻魔会の密会に戻る)

と、まぁ、こんな具合に話をまとめて参りました。

 堺商人の闇の会こと「閻魔会」の参加者は、闇将軍と呼ばれた越後忠兵衛の周到さに舌を巻くと共に恐れを成していた。

 「それで、忠兵衛さん、わしらは何を手伝えばええんかいのう」

 「皆さんには、本能寺に関する動きをできるだけ集め、私の筋書きに沿わない案件を悉く潰して頂きたい。呉呉も悟られないようにな」

 忠兵衛は、忠兵衛を含めた閻魔会七人衆に任務を託した。

 「佐輔どんには、服部半蔵はんに繋ぎを取り、家康を三河まで、逃がす段取りを。伊賀の里の方々にも協力の依頼を。家康に恩を売る機会だと、煽ってもらいたい。

 小次郎はんには、光秀はんの動向を。それと、いざという時に用立てた光秀の影武者はいかが致しております」

 「順調に仕上げておりますさかい心配はいらしまへん」

 「それは良かった。では、念押しとなりますが、溝尾茂朝と繋ぎを取り、影武者が見破られないように注意を払ってくだされ。

 長七郎はんには、あとで、お願いしたいことが、あるゆえ、残っておくれ。

 新右衛門はんには、秀吉はんの動向を。秀吉はんは、斬新な動きを見せるゆえ、人数を多く割いて、対応してくだされ。

 蔵之介はんには、万が一を考え、密偵を落ち武者狩りの村に送り、活きのいい奴を探り出し、噂、情報を流し易いように準備しておいてくだされ。

 重信はんは、本能寺の堀の確保、脱出後の信長はんの護衛とイエズス会に出向き渡航への段取りと誘導の詰をお願いしたい。

 私は、各方面への根回し強化を受け持つ。それでは、早速、取り掛かっておくれ」

 長七郎を除いて、閻魔会七人衆は、それぞれの役割に疾走した。


 閻魔会が囲う忍びこと探偵は、金と武将たちの人脈で得た優秀な人材だった。しかし、その殆どが忍び里の掟を犯した者、雇い主の依頼に失態し職を失った者だった。行くあてを失くした者から才能のある者を見出し、再教育を施した。金銭で裏切られないように高額な報酬を与えた。また閻魔会は、実際には存在が定かでない女の探偵も育て上げていた。彼女たちは、体を張って寝物語宜しく、男を誑かし情報を集めたり、企て通りに誘導することが主な任務だった。

 「閻魔会」への裏切りは、死を意味する厳しい掟の中での従属だった。

 「閻魔会」の考え方は、特殊だった。雇われる者、雇う者の壁を排除し、利益は成果を上げた者には惜しみなく与えた。厳しい規則でなく、雇われる者が自ずと雇い主に忠誠を誓うような組織作りに力を注いでいた。それは、従来の雇用関係で忠兵衛を始め、他の者も裏切りや命を脅かされる危険な目に会っていたからだ。

 「絆」とは縛ることにあらず。敬い、奉仕する気持ちが、自然に生まれてこそ強き「絆」となる。と行き着いた物だった。だからこそ、信頼を裏切る見返りには、容赦のない仕打ちを下していたのだった。


 「長七郎はんに頼みたいことは、秀吉様が光秀様を討ちにくる。その光秀を逃がすこと。その後、光秀を落ち武者狩りにかけまする。光秀他界を確認次第、そこにいた野盗の全てを葬って欲しいのです。複雑な筋書きは、お任せ致します。

 念を押しておきますが、首を撥ね、顔の皮を剥いで、身元が分からない、いや正しくは首実検が出来ないように始末して頂きたい。そう致せば、着衣・鎧などで、身元を確定することになるでしょうから。光秀様には生きていても、死んでいても、何かと遺恨を残すゆえ、闇に葬るが一番なこと。勿論、これは、二人だけの秘密ですよ。

 もし、ばれれば、いの一番に私は、そなたを疑う。その後は分かりますね。それ程、重要な役割をそなたに頼むのです、次期、頭目はそなたに任せたい。それが私の願いです。心して、掛かってくだされ。そなたも密偵も、強者揃いですから適任かと指名したのですから」

 「分かりました。密偵の数も、最悪を考え、揃えましょう」

 「お願いしましたよ」

 「では早速、人選に取り掛かりまする」

 「宜しく、頼みましたよ」

 長七郎が立ち去っと後、越後忠兵衛は、誰もいなくなった地下室の蝋燭の炎をぼんやりと見つめ、薄ら笑いを浮かべて吹き消した。これで、全ての手配は、終わった。

後は、仕上げと参りましょうか。暗室に忠兵衛の高笑いが響き渡った。


 闇の組織「閻魔会」の面々は、表の仕事同様に手際よく、自らに課せられた役割を遂行していた。そして、迎えた6月2日。それぞれの運命を震撼する、陽が昇った。

 織田信長は、羽柴秀吉に、中国地方を治める毛利方との講和を命じた。「閻魔会」の越後忠兵衛は、徳川家康を信長の承認を得ていると、堺遊覧へと導いた。明智軍は、羽柴光秀の援護名目で出陣した。

 茶会は、滞りなく終え、本能寺は、いつもの静寂を取り戻した。夜になり、本因坊との囲碁を楽しんだあと、信長は床についた。いつ襲われるかの緊迫感の中で。

 蘭丸は、大量の油の用意と脱出用の堀の確認に暇がなかった。午前三時半頃、外の喧騒に信長は、気づいた。

 「来たか、一世一代の大舞台、見事に演じきってやるわ」

 「信長様、すべての準備は整っております。脱出口は、床下に御座います」

 「分かっておる、蘭丸、落ち着け、しくじるでないぞ」

 「信長様こそ、ご無事で」

 「馬鹿を言え、わしを誰だと思っておる」

 蘭丸が初めて、信長に親しく声を掛けた瞬間でもあった。

 「では、幕の開くのを待つするか」

 本能寺の変の幕が切って落とされた。信長は段取りよく演じて見せた。

 一撃が信長の肩を打ち抜く番狂わせ。予想はしていたものの動揺は広がった。蘭丸は腰を抜かしてしまった。そこに現れたのが大男の弥助だった。彌助は直様、信長を背負い、狭い脱出口に向かった。蘭丸は必死の思いで、剥がれた床板を戻し、信長と弥助の後を追った。脱出口の半ばで忠兵衛たちが手配した護衛と合流し、その案内で本能寺を見下ろせる山肌に出た。そこには護衛班が十人以上がそれぞれの配置で、信長の逃避を援護した。山肌を一気に降り、琵琶湖に辿り着いた。そこから、イエズス会の用意した船に乗り込んだ。蘭学医は直様、信長の治療にあたった。軽傷だったの幸いだった。

 信長は、デッキに出て、本能寺を見た。炎と黒煙は、まだ上がっていた。

 我が人生は、あの本能寺のように燃え尽きるのか。しかし、後悔の念は想像していたよりも湧きたちことはなかった。

 「弥助、蘭丸は如何した」

 「蘭丸は、やけどを負い、その手当を受けております」

 「蘭丸も無事であったか」

 信長は、安堵すべきことと自分に言い聞かせ、現実と向き合っていた。

 濃紺の空に処々、白きものが混ざり始めていた。

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