第3話 怪説・本能寺の変-閻鴉
「光秀様ぁぁぁ~」
悲痛な叫びは、雨音と共に闇夜の山あいに吹き消されていった。
天正10年6月1日、本能寺の変、前日のことだった。
堺商人の一部は、不穏な動きを肌で感じ、闇深く動き始めていた。
茶会は信長と縁のある堺商人の強い勧めもあり、信長の宿泊先である本能寺で開かれた。そもそも堺の鉄砲技術は、鉄砲に興味を持った信長の援助もあり、独自のものとして作り上げられた物だった。その鉄砲を売る際も信長の力添えは絶大だった。諸大名への武器販売は好調を期し、巨万の富を築いていた。その闇では、財力を背景に金を貸し、弱みも握り諸大名を牛耳るまでになっていた。権力は人を変貌させる。堺商人の一部は誰言うことなく、死の商人、闇の商人と囁かれてた。その権力は、信長にとって、鼻持ちならないまでに育っていた。信長は力を持ち始めた者が現れれば、その権力を奪う。それがいま正に、堺商人たちに襲い掛かろうとしていたのだ。
信長は、茶会に乗り気ではなかった。そこで堺商人たちは、信長を釣り上げる餌を撒いた。三大茶器の内、二つを持つ信長にとって、喉から手が出るほど欲しい、残りの一つを、金と闇の繋がりを駆使して用意したのだ。その茶器は博多の茶人、鳥井宗室が保有する物だった。
京都の公家や高僧たち、40名程を集め、茶会は開かれた。信長は茶会を利用し、家康毒殺を企てていたのだ。家康は、信長に茶会に呼ばれたことを誇りに思っていた。用心深い家康を見越したように信長は、言った。
「のう、家康。この世で私に逆らう者などおると思うか。いるはずもない。誰もいなければ警護など無用の長物よ、そう思わぬか。どうだ、ここは互いに気軽に楽しもうではないか、この茶会をな」
信長様がこの私を信じて下されている。家康は、子供のように喜び、無防備な状態で京都に宿泊していた。そんな家康を言葉巧みに、あたかも信長の承諾を得ているかのような趣旨を吹き込み、大坂・堺への遊覧に連れ出したのは、闇の力を得た一部の堺商人たちだった。彼らは、闇の情報網から得た家康暗殺の企みを事前に察知し、家康を信長から引き離したのだ。
茶会は、何事もなく、平穏に終わった…かのように思えた。
信長は、主催者でもある堺商人から、「家康は体調不良で出席できない」と聞かされていた。その知らせを鵜呑みにする信長ではなかった。独自の情報網から家康の堺入りを知り、密かに家康暗殺隊を送り込んでいた。
静かな本能寺の裏で情報線が行われている頃、明智軍は、備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援しようと進軍し、京都・桂川を越えていた。
信長は、深夜まで、囲碁の名人、本因坊算砂と囲碁を嗜んだ。
夜10時頃、明智光秀は、明智秀光・光忠、藤田行政、斎藤利三、溝尾茂朝ら五人の重臣のみに、信長を討つ決意表明をしていた。
「光秀様、謀反など…お考え直しを」
「利三、もう、決めたことだ」
「上手く行くはず御座いませぬ」
「上手くいく、いや、必ずいかせてみせる」
「では…では、仮に信長を討てたとして、秀吉らが黙っておりますまい。追手に討たれるのが関の山で御座いまする」
「それでも、やる、やらねばならぬのよ」
「なぜに…」
「このまま暴君信長を許さば、この国の明日はない。私に続くが良い」
明智軍13.000人、馬首が信長のいる本能寺を睨み、東向きに立ち並ぶ。
「皆の者、聞けぇーぃ。敵は、本能寺にあり。いざ、出陣じゃー」
「今日より、天下様に御成りなされ候」光秀の号令に続き、溝尾茂朝が言った。
明智軍は、光秀のもと一枚岩の結束だった。光秀が決意した以上、それに逆らう者はいなかった。天正10年6月2日の明け方4時頃、前列に鉄砲隊を配備し、信長の眠る本能寺の包囲を終えた。信長は、周囲の騒動しさ、馬の嘶きに目を覚ました。
「何事ぞ、蘭丸、蘭丸はおらぬか」
「ここにここにおりまする」
「これは、謀反か?攻めては誰じゃ」
「敵旗に桔梗の紋が…明智が者と見え候」
信長は、女人に逃げるよう指示をした。蘭丸は、信長にも退去を勧めたが、兵力、光秀の能力を考え、それは適わないことだと悟っていた。
光秀は主君を討つ、因果な役回りを嘆きながら、意を強く持ち、深く息を吸った。
「撃てー」
時の声が上がり、四方から怒涛の一斉射撃が放たれた。射撃後、光秀軍が一斉に本能寺に流れ込んできた。信長は、弓で応戦するも、弓が折れ、薙刀で対抗した。
パーン。明智軍が放った鉄砲の玉のひとつが、信長の左肩を撃ち抜いた。
信長は、障子を締め、蘭丸に火を放たせ、自刀すべく座り、刃を腹に当てた。その瞬間、信長と明智軍の狭間に炎が立ち上がった。本能寺は、紅蓮の炎に包まれた。
ただ火を放った炎とは思えない程の勢いで一気に広がっていった。
逃げ出してくる、女人たちにまみれて、信長が出てくるのではと、明智軍は、注視しながら、見送っていた。炎が収まったのは、午前6時頃のことだった。
明智軍は、信長の遺体を探した。が、発見に至らなかった。それらしき、遺体すら見つけられないでいた。
「信長、光秀の謀反に合う」の情報は、早急に、備中高松城にいた羽柴秀吉、大坂・堺にいた徳川家康に伝わった。
備中高松城の戦いにあった羽柴秀吉は、信長横死を隠し、中国地方を治めていた毛利方と講和を取り付けた。その後、急ぎ、光秀討ちの為、全軍、京都へ向かわせた。
備中高松城から京都・山城山崎までの、約220kmを約10日間で踏破した。
世に言う、中国大返し、備中大返し、と呼ばれる軍団大移動だった。
一方、徳川家康は、戦々恐々な思いで、狼狽えていた。
大坂・堺を遊覧中のことで、脆弱な小姓衆の供のみの無防備状態だった。家康はある信頼のおける人物から茶会の真相を聞かされていた。信長の刺客が迫ってくる、狼狽のあまり、自害すら考えていた。それを、本多忠勝に説得され翻意した。
家康の信頼のおける人物とは服部半蔵だった。服部半蔵の進言で、伊賀国の険しい山道を超え、加太超えを経て、海路を使い、三河国に辛うじて、辿りついた。神君伊賀越えである。
大坂・堺商人は、薩摩・種子島などを経由して、オランダと交易していたお陰で、鉄砲伝来をいち早く知ることができた。その製法技術を堺に持ち帰った。高い技術を持っていた堺職人は、丁寧に分解し、細部に渡って、仕組みを理解すると、見よう見まねで、鉄砲を完成させた。さらに商売へと繋げるため、部品の規格を定め、組み立てることにより、大量生産にも成功した。金は力なり。独占的に鉄砲を扱う堺商人たちは、鉄砲の取引を盾に、諸大名を手玉に取り始めていた。諸大名の弱みも握った堺商人たちは、信長の後ろ盾を誇張し、諸大名を押さえ込んでいた。藩政にも口出しするようになり、藩の特産物の独占販売権や、交易商品の押し売りなどが、日常茶飯事となっていた。逆らう者は、闇から闇に葬ることも、珍しくはなく、その中心的謎の組織を、諸大名たちは、「闇将軍」として、皮肉を交えて呼んでいた。その組織は「閻魔会」と呼ばれ恐れられていた。組織の長は、越後忠兵衛と言う男だった。
忠兵衛は、窮地に立たされていた。密偵の報告で、織田信長が、鉄砲製造の権利を狙っているという情報を得たからだ。信長が本気になれば、権力と武力で、一機に奪い取られることは、陽を見るより明らかだった。忠兵衛は、闇の会を緊急召集した。
そこは、白い西洋風の館だった。舶来品で彩られた部屋に、黒檀のテーブル。その上にテーブルクロスが敷かれ、赤ワインが注がれたグラスが、七つ並んでいた。
「本日、集まってもらったのは他でもない。あの信長のことだ」
「聞いております、鉄砲の取得利益を狙っている件ですな」
「そうだ」
「私の密偵からも、それは濃厚なことかと」
「わてもそう、報告を受けてますわ。それも、そう遠くないとね」
「やはりな、それぞれの密偵が、色んな見立てから得たものだ間違はなかろう」
「あのお方は金では動きゃらへんから、ほんま厄介ですなぁ」
「脅しの材料を調べたんどすが、あきまへん、使えまへんわ」
「人質でも取るかと調べて見たが、我が身大事の人や、効果あらしまへんわ」
「一層のことあの世にでも逝ってもらいまひょか、その方が楽でっせ」
一同は一瞬氷ついたが、冗談として、薄笑いが起きた。
「忠兵衛殿、何か策でも。で、なければ本日の会は、何事で御座います?」
「察しの通り、策は…ありますぞ」
「策でっか…どんなもんだす」
「そう焦りなさんな。その策には、色んなものが絡んでおりましてな、ちょいと根回しに手古摺っておりますわ」
「根回しでっか、何か手伝いまひょか」
「私の策はかなり込み入っておりましてな、綱渡りの危なっかしさも伴いますよって結果がでましたら報告さしてもらいますわ。出来たら、もっと簡単にちょちょちょいと片付けとうおますわ。簡単な方法があったら教えて欲しいもんですわ、あの暴君信長を黙らせる手立てをね」
一同は無言で、忠兵衛の方を凝視していた。その沈黙が、険しさを物語っていた。
越後忠兵衛は、重い口を開いた。
「気まぐれな信長様にも、困ったものです。私たちを、困らせるなんて。許せませんねぇー。そんな悪戯っ子には、ちゃんとお灸を据えないとねぇー」
「まさか、暗殺でっか…」
一同は、忠兵衛の発言だけに凍りついた。
「本気でっか。そんなことをしてみなはれ、仇討とやらで、厄介な輩に命を狙われまっせ、おー怖」
「その顔は本気でんなぁ。それで、どうなさると…」
「茶人の今井崇久と千利休、それとイエズス会の宣教師を取り組みましてね」
「ほう、それで、どうしやはりまんのだす」
「意外と簡単でしたよ。宗久と利休には利権確保でしょ。宣教師には、キリスト教徒になるのを拒む信長は邪魔でしょうから、日本から消しちゃいましょうかって、囁いただけですけどね。これが、これが思いのほか受け入れらましてね、ちょっと、私も驚いているんですよ、く・く・く・く」
「それで信長はんを、どうしやはるんでっか」
「まぁ、それはまたのお楽しみと言うことでご勘弁を。それにしても、異国の面白い品物をあれやこれや、買い与えて、えらい出費ですわ。幾らかは、皆さんにも負担して貰いますよ。上手くいけばね」
「それは上手くいけば、安い買い物でおますさかい、安生差してもらいます」
「信長はんは、子供みたいな御仁やさかい。おもちゃを与えておけば、宜しおす。く・く・く・く」
「どうなされましたんや…」
「いやね、こないだ、オランダのおなごが身に付けるパンティとガードルやらを手土産に持って言ったんですがね、く・く・く、それが、いたく気に入られたようで、その場で身に付けられましてね。く・く・く、おなごが身に付ける物だと言ったのにですよ。お陰はんで見たくもない変わり者を見せられましたよ。それが、面白うて、面白うて、笑いを堪えるのにひと苦労させられたのを思い出したもんでね」
「ほんに、信長はんは、変わり者で御座いますなー」
一同は、その光景を想い浮かべ、小腹を抱えて笑った。
「それで、よせばいいのに、絵師を呼んで、裾をまくったみっともない格好を描かせて、満足気にその絵を眺めては、はしゃいで踊るは、歌うはで上機嫌でね、異国に行けば、もっともっと、信長様の知らない物や事柄がありますよって、て行かはったら宜しいのにって言ったら、そうかそうか、行ってみたいのうって」
「それで忠兵衛どん、どうなさろうと」
「こんなええ機会を逃したら、商売なんか出来まへんがな。行きなはれ、行きなはれって、散々煽ってやりましたわ」
「それでそれで」
忠兵衛の話を噺家の語り部のように、一同興味津々期待を込めて聞き入っていた。
「そしたら、本人も満更ではないとういご様子、私には、そう見えましたな。ひと段落して信長はんが縁側に出て、空を見上げてため息をつかれたんですよ。ほう溜息ですか、悩み事があるなら聞かせてもらいますよって。そしたら…」
「のう、忠兵衛、わしは正直疲れた。いつも自分を脅かす者の不安に晒される。いつもじゃ。秀吉にせよ、光秀にせよ、家康にせよ。勢力を強める度に、頼もしい家臣というよりは、いつ、わしの首を討ちに来るかという疑いの目で見てしまう。天下取りはすぐそこにある。しかし、その後に何がある。逆らう者があれば、討つ、それだけではないか、つまらん、実に、つまらん。手にするまでは、面白かった。手が届くと分かってからは、つまらんのじゃ、何もかもがな、分かるか、忠兵衛」
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