思いつき短編録

敲達咖哪

肩の後ろの護り神

 毎年、一月一日になると、多くの人が初詣に行く。人ゴミが押し寄せて、神は姿を隠す。一般論的に言って、神社に住むような神は、清められた所が好きだ。だからこういうときは、人が持ち込む欲望や、垢にまみれたお金を嫌って、神は人気の無い所へ去ってしまう。それがあたしには見える。

 そもそもみんなが神社へ行こうと思うのは、もっと近くに神がいることを忘れているからだ。誰でも肩の後ろに神が憑いている。コイツは離れようとして縁が切れない代わりに、お祈りもお供物もなしで護ってくれる。たとえその存在さえ知らなくてもだ。言わば自分専用の神様なのだ。

 ずっと昔の人たちは、誰でも自分の肩の後ろの神と対話しながら暮らしていたそうだ。いつしか人々は、神というものをもっと高い所に置くことにした。そうして実在の神とは別の、観念の神が想定されるようになった。コイツが言う所によればそういうことだそうだ。

 あたしが自分の肩の後ろにコイツがいることに気付いたのは、たしか十三、四の頃だった。小さい頃は、神なんて、サンタクロースやお化けと同じ、大人のウソだと思っていた。でもコイツは生まれた時からここにいたのだ。もちろんこのことは誰にも話していない。世の中に存在しないことになっているもの、言えば頭がおかしいと思われるだろうこと、その秘密を抱えて生きている。

 もっとも人づきあいが下手なのは、コイツの秘密を知ったせいだとも言えない。それよりも前、小学生の時にも、たとえばこんなことがよくあった。給食が終わって昼休みになると、あたしはいつのまにか教室で独りになっている。みんなはそろって校庭を駆け回っている。みんながいつ、どうやって示しを合わせている? のか、あたしには全く分からなかった。

 でもそれもコイツと無関係なことではなかったのだ。コイツによると、人と人との関係は、互いの肩の後ろに憑いている神と神との話し合いで決まる。コイツもあたしに似て神づきあいが下手な方らしい。

「要するに、人の縁っていうのは、神の縁なのね」

 と、コイツは言う。

「その人とは、脈が無いよ」

 とも何度か言われた。あたしが、誰かを好きになりかけた時だ。

「その人の肩に憑いてる神を見れば分かるんだよ。そりゃアタシだってあんたが『あの女の人カッコイイ』とか『あの男の子カワイイ』とか言う人をいいと思うんだよ。だけどしょうがないんだよねえ」

 だとか。

「縁が有ればいやでもくっつく。縁が無ければいくらくっつきたくても離れる。縁っていうのはそういうものなんだからさあ」

 なのだそうだ。こういう時は肩の後ろに向かってブツクサと苦情を申し立てるのがいつものことになっている。

 こんなふうに鬱陶しいと感じることもあるけど、もちろん護り神だから守ってくれているのだ。もっとありがたいと思うこともある。それは誰かがあたしにウソをついて騙そうとしたり、良さそうなことを言いながら不利なことをさせようとした場合だ。そういう時に、コイツはあたしの肩をつっついて教えてくれる。

 あたしもコイツを全面的に信用してるわけじゃないけど、それで考え直してみれば、大体においてコイツはあたしの利益を護ってくれているのだ。

 毎年、一月一日になっても、あたしは初詣には行かない。その代わりに、ちょっとだけぜいたくなものと甘酒を温めて、あたしとコイツの日常に乾杯をするのだ。

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