第47話  五章 七月八日 金曜日

 リハーサルの持ち時間は既に半ばを割り込んでいた。


「朔耶っち来たよ!?」


 予定時間はとっくに過ぎているのに、どこに行っていたのか、バカがやっと来た。制服姿の朔耶は息を乱してステージに上がり込む。


「ごめん、待った?」

「遅いぞサクヤ!」

「うっさいわねカナミ! ちょっと遅刻しただけじゃない!」

「黙れサクヤ。言い訳は後で聞く。チューニングは私でやっておいたから、早く確認しろ」

「ぐぬぬ……いちいちムカツクけど、あ、アリガト」


 アイツの物凄い怒声が背後から響いてくるが、気にしてどうする。俺はリハーサルの責任者である実行委員の一人と話していた。


「渡月、あんなので本番は大丈夫なのか?」

「ああ、口喧嘩? 大丈夫大丈夫。いつもあんな感じだから。実行委員には迷惑かけませんって」

「実行委員長が散々こぼしてたぞ? あの天河は毎日邪魔しに来るし、その上、学園側から謎の圧力があったって」


 あーうー、ごめん、とんでもない勘違い。アイツらの暴走を止めることができていなかったリーダーの俺こそ、実行委員に迷惑かけていたのかも。


「おい、渡月! お前は何話し込んでるんだ! 持ち時間をに食い込んでいるんだろ!?」

「うお、やっば。血まみれ番長の奴、スゲエ切れてる。渡月、構わないから早いとこやってくれ」

「ああ、ありがとう」


 ◇ ◇ ◇


「全曲を通す時間はないよ。諸星、どうする?」

「何曲いける?」

「一曲でも足が出る」

「そっか。……おい聞いたよな、サクヤ! 罰ゲームだ、ドラムボーカルで『夜空を君と』。私とオリヒメがコーラスで入るから、お前一人でやってみろ」

「何よそれ! 酷くない!?」


 朔耶が何か言っていたが、構わずアイツはギターを奏で始める。


「この程度のステージで、しかもリハーサルでビビってどうするんだよ! やるのかならないのか!?」


 アイツのあからさまな挑発だった。朔耶の顔が見る見る赤くなる。でも、朔耶がバカで良かった。簡単に引っかかってくれたんだ。


「やる、やるに決まってるでしょ!? あたしをあんまり舐めないことね!」



 俺はある意味驚いた。朔耶の奴、荒れていたはずなのにそんな様子を微塵も感じさせない。それどころか、むしろ落ち着いていないか?


「おい委員長。お前の彼女、なかなかどうして良い仕上がりじゃないか。褒めてやれよ」


 アイツが耳元に囁いてくる。なんだか上手く言えないが、嫌な感じだった。


「なんだよ委員長。メンバーが精一杯やったんだ。労えよ」


 重ねて言われた言葉に、渋々頷く。朔耶に振り返ると、今にも爆発しそうな顔がある。朔耶はその眼光も鋭く、アイツを睨んでいた。


「朔耶、今のステージ、緊張なんて全くしていなかったじゃないか。明日もそれで頼むよ」

「え? うん。もちろん! もちろんだよ! 頑張るに決まってるし? あたしは去年のあたしじゃない。当然だよ!」



 俺はまたしても実行委員の一人に呼び止められ、細かな打ち合わせをするからと連行されていた。舞台袖に置いたままだったベースを取りに戻ったのは、かなり後のことだった。リハーサルを終えた俺達は、その場で解散にしたはずだ。なのに聞き覚えのある声が聞こえてきたのは計算外だった。


「カナミ、話があるんだ。帰る前に聞いて欲しいの」


 朔耶のどこか緊張した声と、その言葉の含む意味に俺は足を止めた。アイツらに見つかってはならない。そんな気がして、俺は物陰に身を隠した。息を殺して身を潜める。


「なんだよ。真面目な話なのか?」

「明日の本番の前に、言っておきたいことがあるの」

「わかったよ。聞いてやるから早く言えよ」

「あたし、あたしね?」

「だからなんなんだよ」

「言うよ?」

「わかったから言えよ。変な奴だな」

「いうよ!? 言っちゃうよ!?」

「早く言えって!」


 アイツの機嫌が急降下しているのが良くわかる。既に危険域に突入しているはずだ。相手が朔耶だからこそ我慢しているのかも知れない。


「じゃぁ……あ、あたし、充彦くんのこと諦めきれないんだ。カナミは彼のこと、本当はどう思っているの? あたしが彼にちょっかい出しても、そんなに怒らないし……あたし、あなたの本心が判らないよ」

「……サク、ヤ……」

「毎日胸が苦しいの。充彦くんのこと、好きで好きでたまらなくなってるの! このままじゃあたし、おかしくなる!」

「……っ! 勝手にしたら良いだろ!?」

「どうしてそういうことを言うのよ!」

「だってさ。結局、委員長が、アイツが決めることだろ? あのバカ、私たち二人の間を行ったり来たり……。ああ、思い出すとイライラしてきた。でも、そんなはのいつものことじゃないか」


 見つかったらきっとアイツに殺される。違いないと思えた。


「カナミはそれで良いの?」

「今のアイツがそれを望んでいるんだろ? そうさせてやれば良いじゃないか。……むかつくけど」

「あたし、彼に決断迫るように言っても良い?」

「好きにしろよ」


 とても悲しい響きに聞こえる。でも、朔耶のそれも必死だった。


「その結果、どうなっても知らないよ? あたしを止めるなら、あなたが彼を自分の元に引き留めておくなら、今なんだからね!?」

「だから、お前の好きにしろよ。お前やアイツがどうなろうと、私が見出した以上は私と同じステージに引き上げる。アイツも同じステージに引き上げる。どちらも、大切な友達との約束なんだから」

「カナミ……」

「言ったよな? 私さ、ガキみたいなことはもう辞めたんだ。だから、約束は守るよ。大切なお前達との約束なんだ。何があっても守る。私がお前の話を聞いて思うのはそれだけだ。ま、頑張れよ。私もお前とアイツのこと、応援しておくよ」

「そんな事言っちゃうんだ?」


 アイツが俺を突き放す? それが本心なのか? 俺には判らない。どちらもアイツの本心のように思えるのだ。


「昔の女を気にしてどうするんだよ。バカかよ。お前。自分に自信あるんだろ? だっただアイツに自分の気持ちをぶつけてくれば良いじゃないか。後はあのバカが自分で決めるって」

「あたし、本当の本当にやっちゃうからね!? 後悔しても遅いよ!?」

「はいはい。だから好きにしろって言ってるじゃないか」

「わかった。あたしの好きにするから。後で泣きついてきても知らないんだからね」


 足音がした。それが聞こえなくなったとき、アイツの声が聞こえたよ。先ほどのものとは同一人物のものとは思えない、弱々しい声が。


「私……バカかよ。どうしてアイツが私のものだって……言えないんだよ……私のものを取るなって、言いたかったのに……私、本当にバカだ……」


 一体俺は、どうして直ぐに立ち去らなかったのだろうか。こんなの、聞きたくなかった。

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