第39話 五章 四月十六日 土曜日

 思い立って行動した一週間後。俺宛に手紙が届いたんだ。俺もずいぶんな冒険者だと自分でも思った。全く、自分を褒めてあげたい。


「どうしてこんな場所に呼び出すんだよ、あの人は」

「知らない。スケジュールの都合じゃない?」

「そうだよ、勝手すぎるよ」

「どの口が言うかな。勝手極まるのはお兄ちゃんで、無理難題をゴリ押ししたのもお兄ちゃんでしょ!? でも、もう良いよ。お兄ちゃんが酷いのは今に始まったことじゃないし? もう慣れたかも」


 ここは成田空港の国際線待合室。俺達は成り行きとは言え、とんでもないところに足を伸ばしていた。


「……ここ、で良いのかよ」

「地図、ここで合ってるよ?」

「でも、あの手紙には『ゆみこプロダクション 日本支部』って。おいおい。俺達、あの人にはめられてるんじゃ?」

「そうかも? でも、例えそうだったとして、今のお兄ちゃんに何が出来るの?」

「ない。一切ない」

「……って、来た……来たよ! お兄ちゃん!!」


 サングラスをかけた、一目でそれとわかる背の高い女の人が近づいてくる。それは圧倒的な存在感を放つ人だった。まるで聖人でも迎え入れるかのように、彼女の歩く先にいた人々が自然と道を譲る。こんなことってあるのだろうか。にわかに信じられなかった。もう、緊張するしかないだろう。

 諸星由美子。彼女は今、俺の目の前にいる。本物だった。伝説が本当にやって来たよ!?


「話は聞いてるわ。貴方たち? ウチのバカ娘のお友達って」


 サングラスを外すと、彼女は俺の会釈に答えてくれた。


「はい。一緒にバンドやってます」


 なんとか言えた! 舌を噛まずに言えたんだ!


「そう。あの子と友達だなんて、良い趣味しているのね。でも、貴方たちの音も良い趣味しているわね。あたしは、好きよ?」


 ゾッとするような甘い響きの言葉がその唇から漏れた。とても心地よい声だった。


「あ、ありがとうございます」

「そ。じゃ、あたしについてきてくれる? 車の中で話しましょうか。ごめんなさい、なにぶん忙しくて時間が取れないの。それに、あの子に会う前に聞いた方が良い話だと思って」


 ◇ ◇ ◇


 青い空と白い雲が背後に消えていく。外国製の白の高級車が高速を流していた。

「で、単刀直入に聞くけど、本気なの? 貴方たち」

「はい」

「そう……。困ったわね。ここだけの話、あの子は一人でも売り出せるのよね……。あの女が十数年ぶりに連絡してきたと思ったら、貴方たちのことじゃない。まさかあの女がウチのバカ娘をストーカーしているとは思わなかったわよ」


 間違いない。俺は今、アイツに嫉妬している。怒りさえ覚えるほどだった。アイツから聞いている母親の話とはまるで違う。アイツの母親が語る自身の娘の姿は、親の愛に溢れていた。アイツはこんなに想われているのに、どうしてヒネた態度を取っているんだよ。俺はそれが悔しい。ミラー越しに見える織姫の顔もなんとも疲れて見える。下唇を噛んで、じっと耐えているように見えなくもない。


 織姫の隣の貴人、由美子さん――そう呼ぶように強く要求された――は、口を閉じる時は世界が終わるときだと言わんばかりに、なにかしら話し続けていた。その内容は、とても俺達が耳にして良いとは思えない濃い話ばかりで、俺の胸を深く抉っている。織姫もきっと同じ思いに違いなかった。


「まったく、しつこいったらありゃしない。昔、ちょっとだけあの女の旦那を世話してやっただけなのにね。全く疑り深いというか、執念深いんだから。でね? あの女と来たら、嫌味たっぷりにあたしの大嫌いな事ばかり言うの。久しぶりの再会だというのに最低だと思わない? あまりのくだらなさに、ついつい話込んで、頼みを聞いてしまったわ。なんと、あたしに紹介したい若いコがいるって話しじゃない? 笑っちゃったわよ。まあ、断ると泣くに決まってるし、心の広いあたしは仕方なくOKしたけど。あたしったら昔から優しすぎるのよね。それで、どんなコが来るのかって思っていたけど……正直、ね」


 由美子さんの言葉のトーンが低くなる。切れ長の目を向けられた織姫が凍り付いている。アイツそっくりだった。やっぱり親子だ。間違いなく親子なのだろう。


「ダメですか?」


 由美子さんは笑い飛ばしてくれた。


「どうしてダメだと思うの? 貴方たちがウチでやりたいというのなら、考えても良いわ。あの女には借りがあるもの。それに、そんな事を抜きにしても、あたしは貴方たちの音が気に入ってるし? でも、あの子と一緒に売り出す意味……わかるかしら。話題性って言うの? 売り出し方? あの子はそれでも構わないと思うけれども、貴方たちは延々日陰になるの。貴方たちにとっていい話にはならないと思うのだけど。損な売り出し方になるわよ?」


 ありがたい話だった。由美子さんは相当俺達を買ってくれてるらしい。でも、それじゃダメなんだ。アイツを巻き込まなきゃ。アイツも一緒でなければダメなんだよ。ちょっと待てよ……。俺が思考を整理していると、織姫が声を掛けてきた。


「お兄ちゃん、あの人どんな話の持って行き方したの?」

「俺が知るわけないだろ、織姫」

「そんな酷い!」


 こら、俺達は押しかけの客だぞ? もっと行儀良くしろよ……って、織姫だからな。無理か。


「あら。貴方たち、兄妹なの?」

「ええ、双子の兄妹です。あれ? 由美子さん、あの人から聞いていないんですか?」

「年は幾つ?」

「諸星……いえ、カナミさんの同級生です」


 由美子さんが小首を捻り、考え始めた。そして呟く。


「……。ねえ、貴方たち、ひょっとして……ねえ、お名前を窺っても良いかしら」

「あ、すみません。申し遅れました。俺、渡月充彦って言います。コイツは妹の織姫」

「渡月……? っ!? ……な、なんですって!?」


 どうして驚くんだ? 俺はワケがわからなかった。


「どうされたんです?」


 だから、由美子さんの怒りも良くわからなかった。


「ちょっと。どういうことなのよ。……そう言えば貴方たちの顔……。どうして今まで気づかなかったのかしら……うかつ過ぎたわ、あたし。……それにしても、あの女。やってくれるじゃないの! っていうか、自分でやってあげれば良いじゃない! なんのよムカツク! どうしてあたしにこんな美味しくて面白い……違う! 面倒な話振るのよ!? これが復讐ってわけ!? ちょっとばっかりあの女が想いを寄せていた男をからかっただけじゃないの! それだって、あたしはあの男になにもせずに帰ってもらったのに! 全く昔から陰険というか陰湿というか、女の腐ったみたいな! この言葉って、正にあの女のためにある言葉よね……後で捕まえて、絶対に文句言ってやるんだから!」


 由美子さんは運転をしているマネージャーさんに、あの人の予定を調べておくようにきつく厳命していたようだ。


 ◇ ◇ ◇


 俺達はきっと名が売れているであろうと思われる、高級レストランで食事までごちそうになった。由美子さんがこうまでしてくれる理由って、なんだろう? 今、俺達の目の前には見たこともないような分厚い肉が湯気を立てているのだ。


「そう。あのベース、君が貰ったんだ。大事にしてくれてる?」

「もちろん。毎日弾いてますよ」


 俺がそう告げると、由美子さんは破顔した。


「そう。それで、君はあの子を毎日弾いてくれてるの? 親の目から見ても、顔も身体も結構良い線行ってると思うんだけど? あなたが毎日可愛がってくれているにしては、あの子ったらいつまでたっても色気づかないみたいよ?」

「え? あ? い!?」


 な、ななな、何を言ってるんだ、この人は!


「キスくらいは、したんでしょ?」

「あ、は、ハイ……」


 身を乗り出して聞いてくる由美子さんの剣幕に、俺はあの日のことを思い出し、白状していた。


「え?! お兄ちゃん、カナミちゃんとキスしてるんだ!」


 織姫、お前はまたそういうことを大声で言うなって!


「え? したの? ……本当に!? ……そう。そっかぁ。あの子も大人になったわねぇ……知らぬは親ばかりか」


 だ、だめだ。由美子さんもやはりというか、さすがというか、どこかズレてるよ……。


「でも、君はドラムのコも好きなのよね? 君の中ではウチのバカ娘とそのコ、正直どちらが君の一番なの?」


 アイタ! 俺は思わず舌を噛んでしまった。俺の苦境にもかかわらず、織姫の奴は肉の塊と格闘することで頭がいっぱいのようだった。


「へー。そう、まだ決めかねてるのね……なら、ウチのバカ娘にもまだ勝ち目はあるんだ。これは面白いことになってきたわね……。でも君、キスまでした娘の親の前で、自分は二股かけてます、なんてよく言えるじゃない。凄いわね? 君」

「言ってません! 一言もそんな事、口にしてません!」


 思わず声が大きくなった。つ、疲れる、この人と話すととても疲れる!


「いえ、褒めてるのよ? あたしにはそんな勇気はなかったから。でも、血は争えないわね。……言っておくけど、本気で褒めたのよ?」

「止めてください、俺は真面目で通っているんです」

「あの人もそう言っていたわよ? あたしと出会って暫くはね」


 俺は思わず息を呑む。織姫が俺を見る目が冷たかった。織姫のフォークには肉が突き刺さっている。


「男って、サイテー」

「あら。貴女にもその道を手解きしてあげても良いのよ?」

「お断りです」

「あら。遠慮なんてしなくて良いのに。きっと貴女にも素質はあるわ?」


 肉の切れ端を口いっぱいに頬張りつつも即答する織姫をからかう由美子さんの口調はとても冗談だとは思えず、本気で言っていたに違いない。そうだな。少しはレディーというものを教わるべきだろうと強く思う。


 ◇ ◇ ◇


「今日は面白い話を聞けたわ。久しぶりに楽しかった。たまにこの国ににも帰ってきてみるものね。ね、君。今は素敵な恋をしなさい。君がウチのバカ娘を選ばなくても、どんな酷い振り方をしても恨まないから。ただ、ウチのバカ娘は君に相当入れ込んでいるから、振るときは中途半端はダメよ? 二度と君のことを思い出したくないくらいに徹底的に振ってあげてね? それだけはお願いしておくわ。じゃ、あたしが連絡するまで、君たちは今のまま、しっかり練習に打ち込んでおきなさい。悪いようにはしないから。あたしが忘れていても、君たちが練習に打ち込んだ日々は無駄にならないから安心しなさいな」

「忘れるんですか」

「あら。当たり前じゃない? バカ娘の事なんて、些細なことだもの。気が向いたら考えておくわね、彼氏君」


 別れ際、そう俺に告げる由美子さんからは、どこか母親の匂いがした。


 ◇ ◇ ◇


 帰りは普通電車に揺られて帰った。織姫が俺の耳にそっと唇を寄せて囁く。

「……お兄ちゃん、お母さんが言っていたお父さんのあの話って本当だったんだね……」

「良いか、俺達はこの話は聞かなかった。いいな? 織姫」

「え?」

「父さんと母さんの話なんて、俺達はそんな話は知らないし聞いていない。いいな?」

「……うん。約束するよ、お兄ちゃん」


 織姫はそれきり、俺の肩に頭を乗せて黙り込む。枕にでもするつもりだろうか。俺も胸の前で腕を組んで目を閉じる。俺は疲れていたのか、直ぐに眠りに落ちた。俺が織姫に起こされたときには、俺の方が織姫の肩に頭を乗せていたのだった。


◇ ◇ ◇


 最後のカードを切った。だが、これで見事に解決ではない。むしろ問題は山積みだろう。


「はぁ、だめか。これから俺がどう動けば良いのかなんて判るわけがなかったんだ。最後は由美子さんが拾ってくれる可能性は残ったけれど、結局のところ俺達自身でやるしかない。母さんの言ったとおり、俺が根性で知恵と勇気を絞ってなんとかするしかないのか」

「判ってるならどうするのよ、お兄ちゃん?」

「まあ、待て。俺にまだ考えがある。要はメジャーになれば良いんだろ? 俺達の優位な所を何でも使って、俺達自身を売り込めば良いんだ。任せろよ」

「え? うん……」

「織姫、ちょっと耳を貸せ」

「周りに人なんか居ないし、いても知ってる人なんか通るわけないじゃん。その必要があるのかな、お兄ちゃん……って、ええ!? やだよそんなの、いくらわたしでも無理! ヤダヤダやだってば!!」

「良いから良いから」

「うー! 死ぬほどイヤだけど……もう良いよ! やれば良いんでしょ、やれば! わかったよ! でも、後で裏切るのだけは無しなんだからね!?」

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