第19話 二章 四月二十八日 水曜日

 朝の教室は今日も騒々しい。主に一人の女生徒が騒ぐからである。その元凶は他でもない。元よりそんなもの、説明するまでもないだろう。


 ――天河のせいに決まっていた。



「ね、ね、委員長君!」



 俺が教室の扉を開けるなり、こちらに駆け寄るバカがいる。



「天河。おはよう」

「うん、おはよ。でね、委員長君。あのさ、バンドの話なんだけど。君たちの仲間にドラム居ないじゃん。あたし、混ざっても良いかな。良いよね?」

「え?」



 天河の奴、朝から何を言いだすのかと思っていたが、それはバンドの話だった。

 林間学校でのセッションを通じて、このコから俺達はいたく気に入られてしまったらしい。



「ダメ、かな?」



 天河の目が潤んでいた。表情まで一変し暗く沈みつつある。

 な、なんだよ天河!

 今まではしゃいでいたくせに、いきなりそんな顔するんじゃない! 心臓に悪いじゃないか。なんだか俺が天河を虐めているのでは無いかと錯覚してしまう。

 それに、俺の頭によぎったのは他でもないアイツの顔だった。……天河と一緒にバンド活動などしてしまったら、アイツはこれ以上無く気分を害するだろうと思えた。



「あたしを委員長君と一緒のバンドに入れてよ! お願いだよ!」



 両の掌をを合せて俺を拝み、先ほどからその台詞を繰り返す天河は、どこをどう見ても本気に見える。どうしよう……。

 脳裏に浮かぶアイツは、氷点下まで冷え切った視線を俺にくれていた。俺の手は、ズボンのポケットの中にあるガラケーに無意識に伸び、アイツに許しを請うのだった。



「別に俺、バンドやってるわけでも、バンドをやりたいわけでもないからな……」

「そ、そうなの?」



 天河が心底残念そうな視線を向けてくる。



「ああ。だから、その、なんというか……」

「じゃ、じゃあさ、みんなでやろうよ! 良いよね?! あたし本気だよ!? 本気も本気! 頑張るから!!」



 近い近い近い! 顔が近いって! 迫ってくるなよ、天河!

 俺は天河に詰め寄られて身体をのけぞらせていた。

 天河はそれこそいつものように、自分にとって都合の良いように解釈したらしい。



「ちょっと待ってくれ、悠人や織姫とも話を付けないと」

「空見は『やろう!』って言ってくれたよ!?」

「え? そうなの?」



 先に悠人に手回をししていたのか。良く廻るのは口だけじゃなくて、手も早いんだな、このコ。



「うんうん。さっきさ、空見とも話したんだけど……あ! 空見発見! ね! 空見! 君、君はあたしとバンドやってくれるんだよね!? 嘘じゃないよね!?」



 どこに行っていたのか、悠人が教室に入ってきたところだった。



「朔耶ちゃん? それに充彦? ああ、その話をしていたのか。そうなんだよ充彦。済まん、真っ先にお前に相談しなきゃいけなかっな。今、E組で織姫ちゃんを説得してたんだ。良いよな、別に。織姫ちゃんもお前がOKならバンドやってもいい、って言っていたぞ?」

「え……?」

「なんだ充彦、嫌なのか?」



 顔を見れば判る。実に楽しそうな顔。白い歯が眩しいから、その笑い方は止めて欲しい。

 ……それにしても、悠人は本気だ。そして俺が断らないことを何故か確信しているようでもあった。



「そんなわけじゃ、……ないけど」



 俺は観念した。悠人も織姫も天河のバンドに期待しているらしい。

 そうなると、俺は断れない。うん。俺はこの話を断らない。

 ……でも、引っかかるんだ。



「別に良いじゃん。確かにドラム居ないし、それになにより朔耶ちゃん、腕は確かだし、可愛いし。文句あるわけないって」

「……っ」



 アイツの事が頭をよぎる。アイツを裏切るような気がしてならない。



「なんだよ、充彦。変な奴だな……」



 悠人が俺を睨み付ける。判断に迷う理由を悠人の奴はまず間違いなく見透かしていた。奴は俺の耳元で囁く。



「充彦。お前、アイツのこと気にしてるんだろ? メールで一言事後連絡でいいじゃないか。でも、アイツはロサンゼルスなんだし、構わないだろ? きっとアイツも向こうで同じようなことやってるって。気にするなよ。それにさ。お前さえしっかりしていれば、どうと言うことはないよな? しっかりしろよ、充彦」

「それは……そうだけど」



 そう。俺さえしっかりしていれば問題は無いはずなのだ。俺は天河に目を移す。

 その天河は両手の拳を胸の前で握りしめ、先ほどから、あのコらしくない緊張した面持ちで、熱のこもった眼差しを俺に向け続けている。



「おいおい、他ならぬアイツから、ベースの練習するように言われたんだろ? そう話してくれたのはお前じゃないか」

「……っ!」



 悠人のトドメの囁きに急に顔が熱くなった。

 妙に火照り出す俺の頬。……どうしたって言うんだよ!



『これやるよ。良いか? ヘタクソ。お前はこのベースで練習してろ。私が傍にいないからって、手なんか抜くなよ!? お前の弾く音の全ては私に聞こえているんだからな!? いいか、判ったな!』



 言葉もそのままに思い出す、アイツの台詞。アイツの真剣な眼差しが俺を貫いていた。



「判ったよ、やるよ。やれば良いんだろ? 良いか悠人、俺はベースしか弾かないからな!? 後はお前がやれよ!?」

「逆ギレするなって。お前のためだろ?」

「うるせぇよ、悪友」



 悠人が顔を綻ばせ、俺に笑顔を見せた。コイツも何だかんだで口が上手いよな。全く。



「はいーはい。あー、朔耶ちゃん。コイツさ、充彦の奴、OKだって。朔耶ちゃんと同じバンドで是非ともベースを弾きたいんだと」

「本当!? や、やった! やったよー! うぅ。空見、大好き!」

「おおっと!?」



 天河が悠人に飛びついた。

 それを見た俺は何故か悠人が憎らしく思えたんだ。かと思うと俺の傍までやって来た天河が、いきなり俺の背中をその右の掌で容赦なく叩き出す。



「嬉しいよ~! ありがと、ありがとう委員長君! やった、これでメンバーが一気に四人! これで、これで夢にまで見たあたしの野望が! ついに始まるの! これから本格的に始まるのよ! 燃えてきたぁ! 待っててね、お父さん、あなたの娘が代わりにお父さんの夢を叶えます!!」



 一人盛り上がる天河だった。



「こら! またお前か、天河。静かにしないか。さっさと席に着け。授業を始めるぞ!」



 教室に現れた教師の呆れ顔がやけに頭に残った。



 ◇ ◇ ◇



 その夜のメールの遣り取りは荒れに荒れた。俺がアイツにメールを送信すると、矢継ぎ早に返事が飛び込んできたのだ。



『バンド? 委員長が? ふーん。そっか。私を抜きでバンド。良かったじゃないか』

『練習になると思ってOKしたんだ』

『ふーん。私抜きのバンドを組むなんて、良い度胸だよな、委員長』



 一瞬、冷や汗が流れた。だから俺は、謝罪文を打つ。



『ごめん、本当にごめん! 本当は諸星と組みたいよ。一緒に弾きたいんだ。でも、そういうわけにもいかないだろ?』



 返信まで暫く間があった。



『判ったよ。まずはそこで下積みしてろよ』

『うん。ありがとう』

『メンバーは何人?』

『ギターとボーカルに織姫、キーボードが悠人、ドラムにこの前話したコで天河ってコ。んで、俺は当然ベースをやるよ。練習するから!』

『その女をお前、気に入ったのか? 可愛いんだよな? 私なんかよりずっと。この前、その女の腕前を褒めてたよな? リズムセクションを完璧に任せられる、って。そっか。そうかよ委員長。私を抜きでバンドかよ』



 今夜も俺は墓穴を掘ったらしい。どうしてこうなるんだ? 毎回毎回……。



『誤解だ! そんなんじゃないって! 信じてくれよ。俺はお前と一緒が良いんだよ!』

『そうかよ。知らないな。好きにしろよ。で、お前、次の歌詞はまだなのかよ。それに、この前書いてやった曲のデモ音源、適当なフォーマットで良いから早くよこしやがれ』

『ごめん、もう少し待ってくれ』

『デモはともかく、歌詞は早く寄こせ。これ以上ない、ってレベルの曲書いてやるから。急げよ!? 私がお前の事を忘れる前に! 私は飽きっぽいんだ! 知ってるだろ!?』



 怒ってる。アイツは絶対怒ってる。……次の歌詞はなるべく早く考えよう。俺はそう心に決めた。



 ◇ ◇ ◇



 朝。目が覚めるとメールが届いていた。



『お願いだ、忘れないでくれよ。約束したよな?』



 朝の日差しは明るく俺の部屋に差し込んでいたのに、なんだか心が重かった。

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