【御門エリカの恋物語、中編】 さよなら初恋

「あれ、エリカさん今帰り?」

「ひ、日乃﨑先輩?」


 ノートを運ぶのを手伝ってもらって、昼休みにミイちゃんやサヤちゃんと話をした日の放課後、下校しようと下駄箱までやってきた私は、そこでまたしても日乃﨑先輩と顔を合わせてしまいました。

 今日はよく先輩と会う日です。だけど昼間と違って、今は上手く先輩と目が合わせられない。

 もう、サヤちゃんが先輩と付き合うとか変な事を言うから、意識しちゃうじゃない。

 

 日乃﨑先輩と仲良くなったのが、一学期の終わり。あれから二カ月経ったけど、その間日乃﨑先輩の色んな面を見てきた。優しい所も恰好良いところも。そして好きな人がいるのに、未だ想いを伝えられていないことも。

 先輩に好きな人がいると言うのに、私は何を考えているのだろう。近くにいるだけで、凄くドキドキしてしまう。ダメだよ私、日乃﨑先輩は、春乃宮さんのことが好きなんだから。当の春乃宮さんは、全く気づいていないけどね。


 だけど私がこんなにドキドキしていると言うのに、先輩はそれに気づく様子もなく、上履きから靴に履き替えるのをただ待ってくれている。

 何も言ってはいないけど、どうやら途中まで一緒に帰ってくれるつもりらしい。ここで遠慮するのも変なので、私は素直にそれを受け入れる事にしました。それにしても、ドキドキする。


 二人並んで昇降口を出て。そこでふと、こんな所を見られたら、また変な誤解を生んでしまうんじゃないかって思ってしまって、背中に嫌な汗が流れた。

 私は嫌と言うわけじゃないけど、やっぱり先輩は迷惑だよね。そうだ、誤解されないように、せめて呼び方だけでも変えた方が良いかもしれない。


「あ、あの、先輩」

「なに?」

「私の呼び方ですけど……無理に名前で呼ぶこと無いですよ。『御門』って呼んでもらって結構ですから」

「えっ、いきなり何?」


 立ち止まって、いぶかしげな眼を向けてくる日乃﨑先輩。急にこんな事を言い出し他のだから、当然の反応だよね。仕方なく私は、ミイちゃんとサヤちゃんに勘違いされた事を、先輩に話した。凄く凄く、恥ずかしかった。


「ふうん、そんな事があったんだ」

「はい、ですからやっぱり、苗字で呼んだ方が良いかと」

「けど君は、苗字で呼ばれるの苦手でしょ」

「それはそうですけど」


 でもこのままじゃ、またいつ誰に勘違いされるか分からない。だけど日乃﨑先輩は、呆れたように息をついた。


「別にいいよ、このままで。もう慣れたし、今更変えるのも面倒くさいし。あ、でもそれだと、エリカさんが迷惑か」

「えっ?いいえ、迷惑だなんてそんな。私はむしろ嬉……」

 

 言いかけて、慌てて口を噤んだ。私、なんて言おうとしたの?何だかすごく大それたことを言おうとしたような……

 大きく息を吸い込んで、呼吸を整える。そして不思議そうにこっちを見ている日乃﨑先輩に、もう一度言う。


「先輩は本当に良いんですか?他の人ならまだしも、もし……もし春乃宮さんに勘違いでもされたら」

「――ッ!」


 先輩の顔に、初めて動揺の色が見えた。だけどすぐに気を取り直したように、いつものすまし顔に戻る。


「エリカさん、その事だけど……俺は別に、アサ姉とどうにかなりたいなんて思ってないから。臨海学校の時もそうだったけど、変に気を使ってもらわなくても構わないからね」


 先輩はこんな風に言っているけど、それはきっと嘘だ。日乃﨑先輩は春乃宮さんの事が好きで、だけど二人の幼馴染の風見さんも、春乃宮さんの事が好きで。そして春乃宮さんは何故か、風見さんと倉田さんをくっつける事に躍起になっている。


 この複雑極まりない状況のせいだろうか。日乃﨑先輩は自分の心を隠して、傍観しようとしている節がある。なまじ状況を一番把握しているだけに、周りに気を使いすぎてしまっているのだ。だけど……


「本当にそれで良いんですか?」


 ぐっと奥歯を噛みしめて問いかける。

 先輩は私に、欲しい物はちゃんとと欲しいって言うべきだって教えてくれた。なのにどうして先輩は、自分の気持ちに蓋をしているの?本当に欲しいものが近くにあるのに、手を伸ばそうとしない日乃﨑先輩。その姿はとても、もどかしく思えてならない。


「良いも何も、どのみち俺に脈があるとは思えないけど」

「そんなのやってみないと分からないじゃないですか。達観した気になって動こうとしないなんて、そんなの先輩らしくないですよ!」


 気が付けば大きな声を上げてしまっていた。周りを歩く生徒達が、何事かとこっちを見る。

 生意気な事を言っているとは思う。部外者の私がどうこう言うべきじゃないとは分かっているのに、こんな風に自分の気持ちに嘘をついている先輩を見ていると、どうにも抑えが聞かなくなってしまうのだ。


「それじゃあ先輩、例えばの話をしますね。もし私が、先輩の事を好きだって言ったら、どうします?」

「―——っ⁉それは……例えばの話、なんだよね?」

「はい、例えばの話です」


 返事を聞いて、先輩は難しい顔をしたけれど、すぐに真剣な表情に切り替わって、じっと私の目を見てくる。


「その気持ちには、応えられないだろうね。俺が本当に好きなのは誰かなんて、ハッキリしているから」


 ……うん、知ってた。日乃﨑先輩の心に私が入り込む余地なんて無いって、分かり切ってたことじゃない。だからショックなんて受けずに、次の言葉を言う。


「それでも。もし先輩の心がこっちを向いてくれないと分かっていても、想いを伝える事はバカなことだって思いますか?私だったら無駄だって分かっていても、呆れられても、それでも想いを伝えます。それが人を好きになるって事だって思うから」

「エリカさん……」


 重たい空気が流れて、お互いに見つめ合ったまま沈黙する。その間私は、乱れていた呼吸を整える。

 声がかすれちゃダメ、大きく息を吸い込んで、精いっぱいの笑顔を作って、私は重たくなっていた空気を壊しに入った。


「もちろんこれは例えばの話、ですけどね」


 だけど言ったことに嘘は無い。例え脈が無くても、想いを伝える事が間違っているなんて思えない。たとえその結果悲しい結末になったとしても、そうする事で前に進める事だってあるのだから。

 私は黙って、先輩の反応を待つ。先輩は少しの間、何かを考えているようだったけど、やがてフウッと息をついた。


「たしかに。そんな風に言われたら、どうせ無理とか言って動こうとしないのが、凄く格好悪く思えてくるよ」

「それじゃあ……」

「どうするかはまだ分からないけどね。けど、後輩に言われっぱなしじゃ立つ瀬がないからね。どうするか少し、真剣に考えてみるよ」


 そう言って遠くを見つめる日乃﨑先輩。私は、上手く背中を押すことが出来たのかなあ?

 そんな事を思っていると、先輩はふとこっちに視線を戻してきた。


「エリカさん。さっきのは、例えばの話で良いんだよね」

「はい、例えばの話ですよ」


 そう、今ならまだ、『例えばの話』にすることが出来る。心の奥に、ほんの少しだけ芽生えかけていた気持ち。まだ恋とは言えないかもしれない、多分憧れに近いものだけど。こんなおかしな形で気持ちを伝えて、『応えられない』という答えを貰って、この気持ちに決着をつける事ができた。

 チクリと胸を刺す、ほんのわずかな痛みがある。だけど後悔はしていない。いつも優しくて、面倒を見てくれてている日乃﨑先輩。私はそんな先輩に、自分の気持ちに素直になって、ちゃんと前を向いてもらいたかったから。


 切ない気持ちが込み上げてくる前に、わざと明るい声を出す。


「それじゃあ先輩。私はちょっと買い物があるので、ここでサヨナラです。それではまた明日」

「ああ……ねえ、エリカさん」

「はい?」


 歩き出していた私は足を止めて、くるりと振り返る。


「ゴメン……それと、ありがとう」

「……どういたしまして」


 ニコッとした笑みを浮かべて返事をする。うん、可愛く笑えた。そして踵を返して、今度こそ歩いて行く。


 ミイちゃんとサヤちゃんの言ったこと、半分は間違っていなかった。私は自分でも気づかないうちに先輩の事を好きになってて。けど自覚したと同時に、失恋をしてしまった。

 それでも、後悔なんてしていない。僅かな胸の痛だって、ちゃんと誇れる。今日の事を思い出した時、ああして良かったって、心から思える日が来るはず。きっとそう遠くないうちに。

 日乃﨑先輩。私は失恋しちゃいましたけど、先輩はちゃんと頑張ってくださいね。そうでなきゃ許しませんよ。


 さようなら、私の初恋。短い間だったけど、素敵な恋をすることができました。

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