第1話 狂犬(1)




 微睡む意識の中で夢を見た。


 真っ暗闇の中で俺は一人で立っていて、周りには何もない。


 その暗闇がわずかに動き、俺に話しかける。


『やぁ、よく来たね』


 暗闇は確かな形を持って俺に話しかける。その声は中性的で、聞いたことがないはずなのにどこか懐かしい。


『ずっと待ってた。この時が来るのを』


 俺は何かを言いたいのだが、声が音とならずに言葉が出ない。


 気がつけば、俺の手には小さな箱が握られていた。


 暗闇は告げる。


『私からの手紙は気に入ってくれたかな?ちょっと素っ気なかったかな。これは手紙にも書いた通り、君へ贈り物だ。まぁ、もともと君が持っていたものなんだけどね。それはいつでも開けるようにしたから、好きに使うといいよ。


 けど、気をつけて。その中の鍵は絶対に使わないこと。使ってしまったら、君が君で無くなってしまう』


 俺はそれを開けて中を見る。


『さぁ、それが君にとっての希望になる事を願っているよ』





 その中にあったものは。




  ***




 目を覚ますと、俺は保健室のベッドで寝ていた。白い天井が目の前に見え、窓からは朝日が差し込んでいる。


「あ、やっと起きた。大丈夫?気分悪くない?」


「千花……」


 ベッドの側には千花がいて、心配そうに俺を見る。


 俺は体を起こして、自分の状態を確認する。


 えっと、確か俺は教室にいて、机の中の手紙を見つけて……それから……それから。


「心配、かけたか?」


 そう聞くと千花は呆れ気味に答える。


「もー。そりゃあ心配したよ。だって授業中に急にバッタリ倒れるんだよ。誰だって心配するよ」


 やっぱり倒れてたのか、俺。千花はベットの端に座り、外を見る。


「お前は授業に行かなくていいのか?」


 この時間にここにいるってことはサボりだろ、完全に。


「私は保健委員だし、隼人の身に何かあったら心配だから、行かなくてもいいの」


 本当に気にしてないように笑って答える。


 はぁ。


「後で怒られても知らないからな」


「いいのいいの」


 なんでこいつは。


 こんなにも一途に俺を見てくれるんだ?


 どれだけ突き放しても。


 当たり前のように俺の隣にいる。


 当たり前のように笑いかけてくれる。


 だけど、俺は。


「お前、馬鹿だろ」


「ふふっ。別に馬鹿でいいよ。隼人が見ていてくれるなら、私は馬鹿でいい」


 こいつは本当に、どうしようもない馬鹿だ。


「なぁ、千花」


「何?隼人」


「俺は……」


 俺の言葉はそこで途切れる。


「っ!??」


 この瞬間、唐突に地面が、視界が大きく揺れた。今度は文字通り、地面が左右に揺れた。


「うわぁぁぁっ!?」


 今まで体験した事のないような揺れが起きた。


 ベットが揺れ、カーテンが波打ち、机が床を滑る。


 天井の電灯や窓はガタガタと揺れながらヒビが入り、棚の中の薬品は音を立てて棚から落ちる。物が次々と壊れ、その音を聞くたびに不安が押し寄せる。


 俺の脳内では過去に起きた大地震によって破壊された建物などの写真の映像が映る。あの映像も、こんな風に激しく揺れていた。


 だから、そんな事になったらと焦燥感と恐怖が一気に押し寄せる。



「きゃあぁぁぁぁっ!!」


「千花っ!!」


 俺はベッドから転げ落ちる千花に覆い被さるように千花を庇う。千花だけでも守らないと。


 きゃぁぁぁぁ!!


 他の教室からも生徒の恐怖の混じった悲鳴が聞こえ、揺れは強さを増す。何分揺れが続いたかは分からない。


 五分程度かもしれないし、一時間のような気もした。とにかく、耐える事に必死でそれどころじゃなかった。


 けれど、一分一秒でも早く揺れが収まることを祈った。


 揺れが完全に収まり、俺は千花から退く。


「やっと収まったな。千花、大丈夫か?歩けるか?」


「う……うん」


 千花は恐怖に体を震えさせながら答える。


「とにかく、屋上を目指そう。


 津波が来るかもしれない」


 テレビで見た事がある。首都直下型大地震が起きた場合の想定をしていた番組で、最悪のケースを紹介していた。


 もし、今回の地震が東京湾で起きた場合、地震の後、大きな津波が起きると。


 そしてここは南区の中でも海に近い地区。津波が来る可能性は高い。


 俺は千花を立ち上がらせ、まだ足取りがふらつく千花の手を繋いで保健室を出て、階段へ急ぐ。できるだけ上に行って津波を防がないと。



 生徒に全く会わない。先ほどまで悲鳴が聞こえていたのだから、みんな廊下に出て避難していてもおかしくないはずだ。そう思いながら曲がり角を曲がったところで。


「……な……」


 言葉を失った。


 救急車のサイレンと車のクラクションが喧しく鳴り響き、青い空へ向けて黒に近い灰色の煙と炎が無数に立ち上る。


 近くの建物が崩れ落ちる破壊音と、爆風。


 耐震工事を怠っていたであろう、半ばで折れた高層ビル。


 そんな中、俺は自分の目を疑った。




 本来あるはずの、校舎の階段から先が、無かった。






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