第9話 じょしであそぶ
じょし なんて ひらがなで書きましたけど
助詞の話です(最初だけ)
これは意図的な悪意もとい、イタズラでございます。とても分かり易い、どうしてこんなことをするのかと問い詰められても困るのです。
言葉で遊ぶ
言葉で遊ばされる
言葉と遊ぶ
言葉遊び
言葉が遊ぶ
言葉の遊び
言葉も遊ぶ
こんなことを書いていたら一つの本を思い出しました。
「像は鼻が長い」
著作:三上章さん
1960年に出版されています。
日本文法入門と名を打っている通り、日本語の文法について書かれています。
何度か読もうとして挑むのですが、すぐにハングアップしてしまいます。
書いてあることは分かるのですが、ちゃんとまだ理解しきれていません。
私の読解力、言語能力によるものでしょうか。
本が空を飛んでいる
空を本が飛んでいる
飛んでいるのは本だ(空を)
本は空を飛んでいる
助詞の使い方で変わる言葉の印象。
主語と述語の関係
「ハ」の兼務、本務、周囲なんて題目で話をされて「はぁ」となる方は多いと思います。
私もそれを改めて言われても「ハ」は「は」でしょう。と思うのです。
それでも説明しろと言われてもまっとうな説明が出来るのかと言われれば「ハ」は「は」なのだから、この言い方には不自然さが残っているとか、この言葉はここにかかっているとか、文面が合っている間違っているというという曖昧な成否を出すことは出来ても「ハ」がいったいどこから来て、何をしているのかということを突き詰めて考えることなんてないのです。
主述関係をはっきりさせた文章
「私は人間デアル」といった事を言った時に、私と人間が繋がっていて、デアルの後ろには「こと」という「人間であること」という表現が省略されているとかとか。
吾輩は猫である
名前はまだない
どこで生まれたか屯と検討がつかぬ
という言葉を1行ごとに考えた時、
「名前はまだない」の前には「吾輩は」が省略されていて、
「どこで生まれたか屯と見当がつかぬ」の前にも「吾輩は」が省略されているのです。
前の題目が省略されていますが、極端にはならないかぎり日本語としては題目を省略することも正式なものになります。
というような話が書かれています。
うーーーーぬ。
遊ぶつもりが知恵熱がでそうになるのです。
遊ぶことは良いことだ
良いことは遊ぶことだ
友人と遊ぶことは良いことだ
私が遊ぶことは良いことだ
友人が遊ぶことは良いことだ
私が遊ぶことは良いことだ(大事な事なので2回言いました)
友人で遊ぶことは良いことだ(如何わしくなってくる)
私で遊ぶことは良いことだ(いったい何をするつもりなのか)
遊ぶ友人は良いことデアル(ただの遊び人のような印象)
私は遊ぶ。良いことデアル(開き直っている気がする)
友人と私は良いことをする。遊ぶことである(やっぱり遊び人だろ)
まーたこんなことをして~
しょーもな(笑
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