一人の夜
ロザリンデがエノーの家に来てから、あっという間に1時間が経過した。
名残惜しいが、そろそろ戻らないと、彼女が神殿からいなくなったことに気がついてしまうかもしれない。なにしろ、ロザリンデは神殿からエノーの家まで、術を駆使しているとはいえ、自分の脚で走ってきているのだ。片道だけでも10分以上はかかるだろう。
「もうこんな時間か……なんだかあっという間ですね」
「つまらない時間はゆっくり過ぎるというのに、素晴らしい時間はどうしてこんなに早く経ってしまうのでしょう。ふふっ、いっそのこと時が止まってしまえばいいのに」
「同感だ」
1時間――――それは十分なように思えて、とてもとても短く物足りない。こうして話してお茶を飲むだけで、あっさりと消費しきってしまう。そして、神殿に戻ればロザリンデは女性神官たちに見守られながら沐浴をして、何重にも結界が張られた部屋で一人で寝るだけだ。
そんな生活が、ロザリンデはこのところ徐々に窮屈さを感じ始めてきていた。
夜の間くらいは、自分の好きなように気楽に過ごしたい。そして、好きな人と共に過ごしたい。――――――以前なら思いもしなかった、些細なのに決して叶うことのない願いが顔を出し始めたのだった。
「また明日も、よろしくお願いいたします」
「ああ、良い夜を」
エノーとロザリンデはしっかり握手を交わした。
お互いの熱をお互いの手に余韻として残るように、強くしっかりと…………
「時が止まってしまえばいいのに…………か」
エノーは、出した食器をすぐに片付けると、術式炉に火を入れて入浴の支度をした。
ロザリンデと密会しているところを見られたくないので、使用人はもう家に帰してしまっている。ほとんどの家事は終わっているものの、風呂の追い焚きなどは基本的に自分でやらなければならない。
「時を止めるなんて、普通に考えれば無謀もいいところだ。けれども、そっちの方が簡単なように思えるんだよな」
一人で過ごす家は、ひっそりとしていて若干寂しい。
だが、それもこれもたった1時間ロザリンデと過ごすためなのだから文句は言えない。念願の貴族生活をエンジョイしたいのなら、毎晩どこかで開かれているパーティーに参加し、彼らと夜が明けるまで騒いでいればいい。
かつて共に戦った勇者パーティーのメンバーたちも大半はそうして過ごしているし、エノーにも楽しむ権利はある。
「リーズがいた時は、そんなこと思いもしなかったんだがな」
エノーがこのような寂しさを覚え始めたのは、リーズが王国外にいる仲間たちを訪ね回る旅に出始めてしばらくしてからだった。王宮生活の中で、元来の天真爛漫さを封印されてなお、リーズの微笑みと前向きな性格、それにあふれ出るカリスマは、仲間たちを魅了し続けた。リーズと話すだけでどんなに忙しい日でも頑張れる気がしたし、近くにいるだけで一日中にぎやかだった。
リーズの周りには常に人が絶えず、王国の各地に赴いて激励を送れば、その地域の国民の不満が一気に消し飛んだ。
王国のヒーローたるリーズがいなくなってからというものの、王国の内情は徐々に悪化している。このまま行方不明が続いたら、いったいどんな悪影響があるのか、エノーには想像もつかない。
「ふぅ…………考えれば考えるほど、気が滅入る。今日は早く寝てしまおう」
エノーが何を考えようとも、結局彼にできることはほとんどない。
それこそ、エノー自ら単身でリーズの捜索に乗り出すという大胆な手段を取らない限り、彼に手出しはできないのだ。
頭の中のもやもやから目を背けるように、エノーはベッドで横になった。
ベッドに入った後も、エノーはなかなか寝付けなかったが、日付が変わるころには彼も寝息を立てて熟睡していた。
そんな頃、彼のベッドにどこからか1羽の白い小さなフクロウが舞い降りてきた。フクロウは煙突から邸宅内に入り、寝室のドアのカギ穴を通り抜けて彼の枕元まで来ると、その場で光の粒に姿を変え、1枚の便箋となった。
エノーが手紙の存在に気が付いたのは、翌日の朝のことだった。
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