透明な心
「エノーさん、この度も護衛の任務ご苦労様でした」
「いえ、俺なんて立っているだけの気楽な仕事です。ロザリンデさんこそ、大変でしたでしょう」
王都アディノポリス北部にある中央神殿の一角――――
聖女専用の控室で、エノーとロザリンデが、聖女付きの高位の女性神官たちが見守る中で、淡々と事務的な会話を交わしていた。
この日ロザリンデは、催し物のために王都にある学問所を訪れ、エノーはその護衛を担った。
聖女の護衛に男性にの――それも元平民の騎士が任命されるというのは歴史的に見て異例のことだが、魔神王討伐戦において最前線で共に戦った信頼感からか、ロザリンデは自身の護衛をよくエノーに頼んでいた。
一時期は周囲で賛否両論あったものの、エノーは誠実かつ礼儀正しく、見た目も麗しい。平民出身と言えども、今では魔神王討伐の功績により貴族になっており、その上勇者に並ぶ強さを持つとなれば、ケチのつけようがない。
それに、全身黒一色のエノーと全身白一色のロザリンデが並ぶと、いい絵になるという評判もあった。
「明日の予定は、王宮訪問で間違いないですね」
「ええ」
「この後の仕事は?」
「夜のお祈りだけです。今日はいつもより長めに行うつもりです」
「わかりました。では、先に失礼します」
いつものように、次の日の予定と、この日の護衛が必要ないことを確認すると、エノーはあっさりと控室を出て行ってしまう。そしてロザリンデもまた、いくつかの報告書に目を通して、やはり何事もないように自室へと戻っていった。
このやり取りをいつも目にしている女性神官たちは、どこかつまらなそうな雰囲気を漂わせていた。
「黒騎士様も聖女様も……本当に淡泊ですね」
「決まり事とはいえ、ここまでキッチリされると、拍子抜けしてしまいますね」
「あのお二方、実は仲が悪いのかしら?」
聖女ロザリンデは、女神信仰の頂点に立つシンボルそのものである。恋愛は一生禁じられ、異性は指一本でも触れれば存在を消されかねない。
だがそれでも、彼らとて人間である。どちらかが相手に好意を見せる程度は、神殿の上層部ですらも織り込み済みと考えている。ぶっちゃけた話、何かの間違いが起きたとしても「エノーなら仕方ない」とすら思っている。恋愛の禁など、結局人間の本能の前には最終的な防御になりえないことは「禁忌を決めた側」がよーく知っているのだ。
ところが――――エノーとロザリンデは、ほぼ四六時中一緒に行動しているにもかかわらず、お互い相手への好意を微塵も見せないのである。仕事中は雑談もせず、二人きりでいる時ですらお互いを置物とでも思っているかのように平然とした顔で黙っている。
これには、堅物集団で知られる神殿関係者たちですら困惑せざるを得なかった。
「確かに、聖女様のことを厭らしい目でじろじろ見るよりかは大いにましですが…………」
「ここまで徹底的に仕事上の関係にとどまっていると、むしろ不気味ではないですか?」
とはいえ、エノーもロザリンデも仕事を完ぺきにこなすので、面と向かって「本当はどう思っているのか」を聞くわけにはいかない。関係者たちは、今日も妙なもやもやを抱えつつ一日を過ごすことになった。
あの後エノーは中央神殿からどこも寄り道もせず自分の邸宅に戻ってきた。
彼ほどの地位にあれば、仕事終わりに毎晩どこかの貴族の家のパーティーに呼ばれ、交友と享楽をに耽るのが普通であるが、最近エノーはあまりそう言った集まりには顔を出さない。仲間からは「最近付き合いが悪い」とも言われているが、彼は多忙を理由に断っている。
「おかえりなさいませ」
「お疲れ様です、ご主人様」
「ああ、今帰った」
玄関に入ると、やや高齢の男女の召使がエノーを出迎えた。
帰ってきてすぐに着替えをし、夕食を摂ると、召使二人はいつものようにエノーに挨拶をして、それぞれの家に帰る。他の貴族に比べてかなり小ぶりな邸宅も、人がいなくなると途端に広く感じるから不思議なものである。
「疲れてないのに……疲れたな」
エノーはソファーに仰向けになり、ぼんやりと天井を眺めた。
身体に疲れは全くない。むしろ、最近は体力を持て余し気味に感じる。にもかかわらず疲れた気分になるのは…………やはり精神面の負担が大きいからだろう。
(リーズもこんな気持ちだったんだろうか。いや、あいつはもっと……それこそ逃げ出したくなるくらい)
そんなことを考えながら、エノーがふーっと溜息をついたとき――――リビングの扉が4回ノックされた。
帰ったはずの召使が戻ってきた……わけではない。
「エノーさん、入ってよろしいですか」
「おう、来たか」
聴こえてきたのは、若い女性の声。
エノーはソファーから跳ね上がるように起きると、軽い足取りで扉を開けた。
果たしてそこには、薄いローブを身にまとった、聖女ロザリンデが立っていた。
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