19日目 準備

 瞳を開いて見極めよう。手で持って確かめよう

 我ら冒険者、戦う前に準備あり

 手足に、心に、備えよ常に

 剣は研いだか、服は縫ったか、盾は万全か、靴紐は結んだか

 薬は持ったか、水はあるか、磁石は正しいか、親への別れは済んだか

 我ら冒険者、戦う前に準備あり


 誰が作ったか知らないが、冒険者の間でよく歌われる歌がある。

 冒険は、準備を怠った者から脱落していくという、先人からの教えである。


「ふんふんふん♪ 鏡を開いてみっきわめよ~♪ 手の爪綺麗かたっしかめよ~♪ 女の子は、デートの前に準備あり~ 手足に、心に、備えよ常に~♪」

「準備の歌、ですね。リーズさんにとって負けられない戦いですから、私も久しぶりに気合が入りますね」


 椅子に座って上機嫌で替え歌を歌うリーズの顔に、ミルカが丁寧に化粧を施していく。

 この前の攻撃的な化粧と違い、全体的に柔らかいが、時間をかけて意中の人を引き込んでいくような奥深い容姿に仕上げていく。


「わたしも、あんなふうに可愛くお化粧して、ブロスとデートしたかった」

「リーズさんも気合が入っているな。絶対に村長をモノにしてきな。村長の隣が似合うのは、貴女以外知らないからな」

「えっへへ~、ありがと♪」


 応援に駆け付けた茶会のときの仲間たちも、デートと言う名の戦いに赴くリーズが可愛くなっていくのを見て、興奮が収まらないようだ。これだけの人に期待されていることに、リーズはほんの少しだけプレッシャーを感じたが、そのプレッシャーですら今はなぜか心地いい。


「じゃあ、リーズは行ってくるっ!」

「うん、がんばって」

「リーズお姉ちゃん! ミーナも応援してる!」

「もう細かいことは考えなくていい。貴女ならきっとできる」

「ふふふ、行ってらっしゃいませ。素敵な思い出ができるといいですわね」


 女性人たちに見送られて、リーズがイングリッド姉妹の家を出た時、陽はすでに傾き始めていた。

 これからいよいよ、待ちに待ったアーシェラと二人きりでデートに行く。リーズの心が跳ねるのに合わせて、足も軽やかに跳ねる。何があっても、この日に「決める」――――リーズは心の中で固く誓った。


(シェラ……リーズを見てドキドキしてくれるかな? 早く見てほしいな♪)


 イングリッド姉妹の家から、アーシェラが待つ自分の家 (※リーズの中ではもう自分が住人になってる)まで普通は2分かかるところをわずか20秒足らずで駆け抜けた。

 アーシェラはすでに家の扉の前で、食べ物が入った大きなバスケットを抱えて待っていた。


「シェラ~~~~っ!! ただいまーっ!」

「おかえりリーズ! おっと、今日もすごく可愛くなったね。さすがミルカさんだ」

「えっへへぇ~……暗くなるとよく見えなくなるかもしれないから、今のうちにたっぷり見てね♪」

「そうだね…………でも、今日はいつもみたいに顔をすりすりしちゃだめだよ。この前みたいに化粧が落ちちゃうからね」

「う、うんっ! わかってるよっ!」


 前回リーズの化粧を見せてもらった時、リーズは興奮してアーシェラの胸に顔を擦り付けてしまい、せっかくしてもらったお化粧がアーシェラの服についてしまった。そのあとの洗濯でもなかなか落ちなかったので、リーズは大いに反省した。それでも可愛いと言われて嬉しくなると、ついつい飛びついてしまいたくなる衝動に駆られるのだが…………

 一方でアーシェラはこの前ほどの衝撃は受けなかったが、それでも思わずずっと見ていたくなるようなリーズの可愛さに、顔が熱を帯びていくのを感じた。


(リーズの顔の持ち味が生かされてる……思わず見入っちゃうな。きちんと星を見れるかな?)


 流れ星を見るか、リーズのかわいい顔を見るか、何ともぜいたくな悩みだ。

 もうデートなんかに行かなくても、ずっとリーズの顔さえ見れれば満足できそうだったが、アーシェラにはリーズを満足させる責務がある。自分だけいい思いをするわけにはいかない。


「じゃあ、行こうかリーズ。手を繋ぐ?」

「ん~……リーズはこれがいいな♪」

「え!?」


 アーシェラに差し出された右手……いや右腕に、リーズは左腕を絡めて自身の体重を少しだけアーシェラに預けた。リーズの大胆な愛情表現に、アーシェラは今までにないくらい一気に顔を赤くして驚いた。


「えっへへっ! なんかこうしてると、シェラのドキドキが伝わってくるみたい」

「もう、リーズってば…………」


 腕を組んでいちゃつきながら、目的地に向かう二人。太陽すらも見ていて恥ずかしくなったのか、空が徐々に赤い夕焼けに染まっていった。

 かつて世界を危機から救った勇者リーズは、この日は己の心に決着をつけに向かう。

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