12日目 早起

「ん~……んっ…………朝?」


 その日、カーテンからわずかに漏れる朝の陽射しで目を覚ましたのは――――リーズだった。

 彼女が瞼を開けてまず目に入ったのは、白無地の寝間着と隙間からわずかに見える柔肌。それに、自分が何か温かいものに包まれて、そして自分の腕がその温かいものに抱き着いているのに気が付いた。


「ふぇ? あれ~? シェラ?」


 頭が徐々に冴えてきたリーズは……ようやく自分が、アーシェラより早く起きたとわかった。

 今まで毎日アーシェラと一緒に暮らしていたというのに、12日目の朝にしてようやくアーシェラよりも先に目を覚ますことができた。そのことにリーズは少しの間信じられず、柔らかい頬を自分で抓ってみた。もちろん抓った部分は痛い。


「夢じゃないっ! リーズ、シェラよりも早く起きちゃったっ! ど、どうしよう……! シェラの寝顔初めて見たっ!」


 興奮のあまりリーズの顔は真っ赤になり、金と銀の瞳がアーシェラの無防備な寝顔にくぎ付けになる。心拍数も一気に上昇し、鼓動の音だけでアーシェラが目覚めてしまうかもと思ってしまうほど。

 もちろん、寝る前はお互い背を向けていたのに、いつの間にか抱き合った形になっているのも驚きで、もう蹴る心配はなくなったとはいえ、アーシェラが自分にここまで心を許してくれているのはリーズにとって何よりも嬉しかった。


「もしかしたら……急にリーズが家に来たから、今まで疲れてたのかもしれない。そうだったらちょっと申し訳ないけど、でも…………」


 いつもリーズが目覚めるとき、アーシェラは体を優しくゆすって起こしてくれる。窓の外から入ってくる明るい光と一緒に、アーシェラの朝一番の笑顔が輝いて見えて…………そんな素晴らしい寝起きをもらってしまうと、自然と「今日もいい一日になる!」と確信できた。

 あとは朝食前の腹ごなしに、村の外周を全力疾走で3周して剣の素振りを500回やれば、おいしい美味しい食事が待っている。それがリーズの最高の一日の始まりだと思っていた。


「でもっ……こーゆーのも、悪くないな。ううん……こんなことめったにないから、いつも以上にラッキーな日になりそう。えへへっ」


 すやすやと寝息を立てるアーシェラの身体をちょっとだけ強くぎゅっと抱きしめ、胸板に顔を押し付けてちょっとだけ擦り付けてみる。


「…………はふ」

「!!」


 アーシェラの口から少し漏れた声に、リーズは思わずビクンと驚いた。

 もしかしたら起こしてしまったかもしれない……そう思いながら、恐る恐るアーシェラの顔を見るが、幸い起きたわけではなく、ちょっとした寝言だったようだ。


(あー、びっくりしたっ! ま、まだ寝てる……よね? せっかくなんだから、起こすなんてもったいない)


 いつもはリーズの方が、さんざんアーシェラに寝顔を見られているに違いない。

 だったら少しはアーシェラにやり返しても、罰は当たらないだろう。


「ほーら、つんつん♪ つんつん♪」


 まずリーズは、アーシェラの頬っぺたを、人差し指でつんつんと軽くつついてみる。

 肌は適度な弾力で若干モチモチしており、それなりに手入れがされていることがうかがえる。おそらくは、入浴所にある天然ボディーソープのおかげだろう。

 ただつついているだけでも一日時間を潰せそうな気がしてきたリーズだったが、せっかくなのでもっといろいろやってみたくなる。


「ん~……すんすん、んっ。今まであまり気が付かなかったけど、シェラの髪の毛ってなんだかいい匂いがする♪ なんだろう? お花の匂い?」


 アーシェラのクリーム色の髪の毛は、普段は後ろを少しだけ伸ばして布で結ってあるが、寝ているときはそれを外しているので、肩のあたりまで伸びるロン毛になっている。

 その髪の毛を、リーズは少しだけ手ですくって、なんとなく匂いを嗅いでみた。アーシェラの髪の毛に残る匂いは、おそらく調理場に大量にストックしてある香草の香りなのだろう。


「まだ………おきない、かな? 起きない……よね?」


 アーシェラがいつ目を覚ますかわからないハラハラ感が、リーズをさらに大胆にする。

 彼女は……アーシェラの頭をちょっとだけ上に向けて………


「チャンス…………なのかもしれない。今を逃したら…………もしかしたら、ずっと…………」


 リーズの双眸は、ただ一点―――――唇だけを見つめている。

 何度も夢にまで見た。それがすぐそこにある。

 けれども…………これは卑怯ではなかろうか。相手の同意を得ないまま、一方的なのはいけないことではなかろうか。そんな思いがリーズの頭の中をぐるぐる渦巻き……今一歩を踏み出せないでいる。


(こんなに近くにあるのに…………遠いの。リーズは……リーズはっ!)


 魔神王に正面から立ち向かい、勇者とたたえられたリーズが、たった一人の青年の前で勇気を出すことができなかった。

 せめてもの思いで、緊張で震える指をのばし…………そっとアーシェラの唇をなぞる。


「んぅ………んっ」

「っ!!」


 リーズが指を放した直後、アーシェラの身体が大きく動いた。間違いない、アーシェラが目を覚まし始めたのだ。

 危ないところだった。調子に乗って唇を重ねていれば、取り返しのつかないことになっていたに違いない。


(よかったような………残念だったような…………)


 複雑な気持ちが残るリーズだったが、すぐに気持ちを切り替え、ゆっくりと瞼を開くアーシェラの顔を横から覗き込んだ。そして、太陽にも負けない笑顔で、アーシェラに朝の挨拶をする


「シェラ! おはよっ!」

「え……リーズ? え?」


 アーシェラは一瞬混乱し、何が起きているのか理解するのに数秒かかったが、状況を理解すると一瞬で身体が跳ね上がり、顔が驚愕に染まった。


「リーズ!? 起きてたの!?」

「えっへへへぇ~! シェラより早く起きちゃった♪ シェラの寝顔、じっくり見せてもらっちゃった!」

「あ~……まいったな。寝坊したか……」

「いいじゃん、たまにはっ! ゆっくり寝ててもリーズはちっとも困らないから――――」


 そんな時「くぅ」とリーズのおなかが抗議の声を上げた。いろいろと台無しである。


「あうぅ……シェラ、違うの、これはお腹の音じゃなくて、おな――」

「ストップ、それ以上いけない。すぐ朝ごはん作るからちょっと待っててね!」


 そう言ってアーシェラは、慌てていたのか靴を履くことも忘れてベッドを飛び出し、台所へと駆け出した。そんなアーシェラを見たリーズはおもわずくすっと笑うと、アーシェラの靴を持って彼の後を追った。


 アーシェラの意外な一面が見れてとても嬉しかったのだろう。

 この日も勇者リーズは帰る気配がなかった。

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