8日目 寝室

 簡易ベッドが来てから別々に寝るはずだったリーズとアーシェラは、もはや当たり前のように同じベッドに入る。

 今夜からは2人が十分に寝転がれる大きさのベッドで、ともに夜を過ごすことになる。リーズはさっそく、毛布もをぎゅっと抱きしめて、感触を確かめた。


「あ~……ふかふかっ! あの山羊さんたちからとれた毛の毛布、さいこうっ!」

「ははは、家は質素でも布団は最高品質だからね。まったく、簡易ベッドでいいって言ったのに」


 いい具合に身体が沈むマットと、それを優しく包む毛布はそこらのお金持ちですら味わえないようなぜいたく品だ。しかし、アーシェラはちょっと前から疑問に思っていたことがあり、今夜は思い切ってリーズに聞いてみることにした。


「でもリーズ、君が王宮にいた時は、もっと豪華なお屋敷でもっといいベッドに寝ているものかと思ったんだけど、そうでもないの?」

「王宮にいたころのベッド?」


 アーシェラの意外な質問に、リーズは少し考え込んだ。

 彼女は1年ほど王宮に戻っていないというのもあるが、なぜか豪華なベッドで寝たという記憶があまりなかったのだ。

 勇者リーズには王都の中心部に新しく豪華な屋敷を宛がわれ、自分の家族や親戚たちとそこに住んでいた。四女として生まれ周囲からあまり期待されていなかったリーズの大出世に、両親や兄弟たちは大いに感謝し、高い爵位と使い切れないほどの資産を得てこの世の春を謳歌していた……のだが、肝心のリーズは王国からの要請で連日演説にパレードにパーティーに、上流貴族としての嗜みを身に着けるための教育も施された。それゆえ、あまり王宮での生活のことをよく覚えていなかったのだ。


「……………確かに初めてあのベッドで寝た時は「すごい」って思ったけど、そのあとは忙しすぎてあまり覚えてない」

「そっか、それは大変だったね」

「あの頃は、なんだかリーズがリーズじゃなくなっちゃうみたいで、少し怖かったかも」

「リーズは魔神王を倒した勇者だから。王国も、リーズを人々の希望の光にしたかったんだろうね」


 字面はいいかもしれないが……要はこれから先、リーズは私心を捨てて王国のために働かざるを得ないということに他ならない。

 まだ少し子供っぽい性格は、上流社会に出ても恥ずかしくない立派な淑女になるよう矯正強制され、望む望まないにもかかわらず王子かあるいは高位の貴族と結婚し、王国の繁栄のために力を尽くすことになる。


「シェラ……」

「なに? リーズ」

「リーズは……そんな存在に、なれるのかな」

「大丈夫。リーズならきっとなれる。仲間想いで、強い心のリーズなら、心配しなくてもみんなが支えてくれるさ。さ、今日はもう寝よう。明りを消すよ」


 なぜかアーシェラは「それ以上聞きたくない」といわんばかりに、やんわりと……しかし無理やり切り離すように、話題を止めた。

 ランプの明かりを吹き消せば、寝室は闇に包まれ、目が慣れるまではお互いの位置もわからなくなる。


「ん? どうしたのリーズ、急に手を握ってきて」

「うん、ちょっとね…………こうしていないと、シェラがいつの間にかいなくなっちゃいそうで」

「リーズ、僕はここにいる。ここにいるから」


 痛くなるほど握ってくるリーズの手を、アーシェラがもう片方の手でゆっくりとさすってあげる。そうすると、徐々に手から力が抜けていくのを感じる。

 そして……アーシェラは確信した。リーズの中から、王都への未練が薄れ始め、徐々にこちらに情が移り始めていることを―――――


(本当に、これでいいんだろうか?)


 暗闇の中で何度も自問自答するアーシェラ。

 もしリーズが勇者などではなく、以前のような一介の冒険者だったら、この開拓村でずっと一緒に暮らしてほしいと臆面もなく言えるかもしれない。しかし彼女は…………本来なら、アーシェラが勝手に独占していいものではない。魔神王を倒した圧倒的な存在を、こんな世界の端の開拓村でぬくぬくと甘やかすのは、歴史的に考えても大変な損失に違いない。

 きっと世界の人の十中八九は、勇者をとことん甘やかし堕落させることは論外で、きちんと突き放してやることが本当の愛情だと指さすことだろう。


(でもやっぱり、僕は鬼になれそうもない。ダメ人間だなぁ)


 そんな思いが巡り巡って、アーシェラを悶々とさせているのと同じように……隣にいるリーズも、似たような悩みを抱えていた。


(シェラは、リーズをどこまで許してくれるんだろう……)


 リーズにとってのアーシェラは、彼女を甘やかすばかりの存在ではなかった。

 彼女が間違ったことをしたとき、彼はきちんとリーズを叱ったし、お説教も何回かした。今でもリーズは自分が十分我儘だと自覚しているが、アーシェラがいなければもっとひどいことになっていただろう。

 それでもなんだかんだでアーシェラはリーズの我儘はできるだけ聞いてくれた。自然体のリーズが一番だと、力強く言ってくれた。

 たとえある日突然リーズが勇者じゃなくなっても、アーシェラならきっと変わることなく接してくれるに違いない。


(もっとたくさん甘えたい……ずっとここにいたい。そう言っちゃったら…………シェラは許してくれるのかな)


 ただし、それをしてしまえば、リーズは世界中の人々を裏切ることになる。

 もう大人になりつつあるリーズには、そのことを十分理解している。

 この地を離れ、王国に戻れば――――今後リーズは自分を一切捨て、ただただ世界の人々のために身を粉にして働かざるを得ない。


(リーズは、どうしていいかわからないよ…………)


 暗闇の中……リーズは無意識にアーシェラの身体に抱き着く。自然に心が安らぐ気がした。

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