5日目 早朝

「リーズはもう手の届かないところに行ってしまったと思っていたのに…………」


 カーテンの隙間から差し込む薄い朝の陽射しが顔に差し掛かり、アーシェラは自分が何を呟いたかしばらくわからないまま、ぼんやり目を開けた。

 記憶している限り、彼は窓の方を向いて寝たはずだったが、目の前に見えたのは紅色の綺麗な髪の毛。

 背中に感じていた熱はなく、かわりに――――とてもとても愛くるしい寝顔の少女が、アーシェラの腕の中で静かに寝息を立てていた。


「やっぱり僕は我儘なんだろうか」


 無意識に抱き合って寝ていたと知ったアーシェラは、自分の深層心理の厚かましさにあきれてしまう。


「僕は一体、どうしたらいいんだろうね」


 放したくなかった――――

 逃がさないというよりも、リーズを守ってあげたいという想い。

 そしてリーズのことを本当に大切にできるのは自分しかいないという、呆れるほど傲慢な使命感。

 一度手放した大切な存在が、腕の中にあるのが、今でも信じられなかった。


 アーシェラが、リーズの頭を優しく……優しく、撫でる。ポンポンと、跳ねるように、スルスルと流れるように…………


「ふ…………ふ……」


 リーズが腕の中で嬉しそうに身じろぎした。

 昨日あれだけアーシェラを蹴らないか不安な顔をしていたというのに、そんなことをすっかり忘れたかのような、何とも締まらない……幸せそうな寝顔だ。


 アーシェラは、この時間が永遠に続けばいいのにと思いつつ、10分、20分、ひたすらリーズの頭を撫でた。その間にも太陽は昇り、朝食の準備をしなければいけない時間になる。

 名残惜しいが、アーシェラは上体を起こしてふぅと一息身体を伸ばす……が、体を起こしたときリーズの身体も一緒についてきた。彼女の腕が、未だに彼の腰に絡みついてがっちり放さない。

 こっそり手で解こうと試みるが、やっぱり1mmもうごかない。


「リーズ、ほら、朝だよ。もう起きな」


 右手でゆっくりリーズの身体を揺さぶると、ようやく彼女も瞼を開いた。

 瞼の下から特徴的な金と銀の瞳が現れ、すぐにアーシェラの顔にピントを合わせる。


「あ~……んっ、シェラ……おはよ」

「おはよう、リーズ。朝ごはん作るから先に起きてるよ」


 目覚めて間もなく、若干の間ポケっとしていたリーズだったが、すぐにはっと目を覚まし、ベッドから離れようとしていたアーシェラの服のすそを掴んだ。


「シェラっ! ちょ、ちょっと待って! リーズは……シェラのこと、蹴ってないよね!?」

「僕は起きるまでずっとベッドの上にいた。おめでとう、リーズは僕を蹴ることはなかったみたいだ」

「本当に!?」


 大切な人を蹴ることがなかった安堵感と、ずっと一緒に寝ることができたのが嬉しかったリーズは、その驚異的な身体能力でベッドから跳ねて、後方宙返りで着地すると、アーシェラの両手を握ってブンブンと振った。


「えっへへぇ~♪ やったよ、シェラっ!」

「よかったよかった。この調子で、他の人も蹴らないように努力しようか」

「シェラさえ蹴らなければそれでいいっ」

「こらこら、頑張ってけること自体をやめようか」


 物騒なことを言い出すリーズをアーシェラが何とか落ち着かせた。


「さ、それより朝ごはんの支度をしちゃうから、出来たらまた呼ぶね」

「わかった! リーズはトレーニングしてお腹空かせて来るっ!」


 こうしてリーズは、さっきまで寝ぼけていたのが嘘のように、すぐに着替えて家の外へと駆け出していった。


「お腹空かせて来る……か。ふふ、食材足りるかな?」


 リーズが家を出た直後に台所に立ったアーシェラは、まったく困ってなさそうにそう呟きながら、エプロン三角巾を身に着けて、竈に火を入れた。

 この日のメニューはいつも通りの黒パンと、黒酢漬けの人参サラダ、大きめのソーセージ、それにふんわりとろとろのスクランブルエッグ。塩と、秘伝の香辛料を加えてササっと焼けば、そのうち匂いを嗅ぎつけたリーズが呼ばなくても戻ってくるだろう。


 どうやらこの日も、勇者リーズは帰りそうにない。

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